第19話 前夜(1)

 生徒会のC教室来訪から、早くも十日が経とうとしていた。


表面上は一見平事を保っているように見えるUNITTEユニット筑浦研究所も、日毎に慌ただしさを増し、緊張感が漂っている。


先週公表された次回のフィールドワーク調査活動は、これまでに無い規模となることがわかった。

ディメンジョン・アーマーが四体投入される調査活動は、UNITTE発足以来初となる。


ある程度大きめに見積もった予測値とはいえ、TL3というこれまでに無い数値も研究所内を緊張させるに十分な値だった。

メカニック班はほぼフル回転の状態となり、リードを務める南の指揮の元で着々と準備が進められている。

ディメンジョン・アーマーのみならず、武装品や支援ドローン、特殊トラップなど、研究所内で用意できる装備のほとんどを使用する予定となっていた。


近接調査員としてディメンジョン・アーマーを駆るあかりや一真、大進、静香は、普段よりも数段階上げた訓練を連日行なっている。


「よし。久遠くん、次はエリア5だ。」


北沢主任の指示で、久遠は大量の計測機器を抱えて移動する。

彼もまた、休日返上で分析を始めとする様々な仕事に追われていた。


各階を繋ぐエレベーターに続いている廊下に貼られたガラスの向こうには、学校の体育館ほどの広さを持つ訓練場が見える。

そこには、特殊装甲服を身につけた一真と大進が、実戦に即した訓練を行なう姿があった。


一真の主武装となる日本刀に似た片刄の剣が閃くたびに、高さ2メートルほどの訓練用可動型ターゲットが次々に両断されて倒れていく。

彼の頭上に訓練用ターゲット・ドローンの一群が音を立てて迫ると、一真は腰に装着したボウガンを素早く取り出し、空中のドローンを打ち落としていく。


「全部堕とした……!一真君、凄いな。」


久遠が思わず口にすると、一真の後ろには大型の次元獣を想定した4メートルほどの巨大なターゲットが迫っていた。

一真が振り返るよりも早く、疾風のような影がターゲットを軽々と飛び越すように高く跳躍する。


深緑色の特殊装甲を身につけた大進は巨大な大剣を振り下ろすと、巨大なターゲットをそのまま縦に切り裂いた。


「ディメンジョン・アーマーを着ていなくてもあの動きとはね。大進君は本当に忍者なんだな。」


同じく足を止めて見入っていた北沢が声をかけると、久遠は黙って頷いた。

ガラスの向こうの一真がヘルメットを脱いで汗を拭うと、傍に立つ大進に声をかける。


「大進、次は兵装ドローンを使った装備変更の訓練をしておくか。」

「了解でござる。どんな相手にも対応できるようにしたいでござるからな。」


二人は頷くと、再びヘルメットを身につける。


「二人とも訓練は順調みたいだな。我々も行こう、久遠君。」

「はい、北沢主任。」


久遠は頷くと、ガラス越しの二人を横目で見ながらエレベーターへと向かった。



 北沢主任と久遠はエレベーターに乗り込むと、内部に取りつけられた読み取り装置にIDカードをあてる。

久遠達が向かう先のエリア5は特殊研究を行っているため、地下研究所の中でも特に機密性が高いエリアとなっていた。


地下五階に到着した二人はフロアの大部分を占める「第一特殊研究室」に入っていく。

白い壁面に覆われた内部には白いシーツが敷かれた検査用のベッドを囲むように様々な計測機器が整然と置かれており、一見しただけでは病院の検査室を連想される。


室内を横断するように取り付けられた強化ガラスの奥にも、広々とした空間が広がっており、壁面にはやはり機器が並んでいる。

そちらは打って変わって、さながら精密機械や医薬品を製造するクリーンルームのようだ。


「分析チームが来たわ。静香、準備はいい?」


細身の身体に白衣を着た短髪の女性が、通信用マイク越しに話しかける。

諏訪内静香を担当している五浦綾子いつうらあやこ教授は、脳医学と心理学の博士号を持ち、海外の研究機関を渡り歩いた才媛として知られている。

彼女はケルン大学に籍を置いたまま、UNITTEに協力をしていた。


五浦教授が真剣な眼差しを向ける先には、真新しい薄灰色の装甲に身を包んだ諏訪内静香が立っている。

第五世代型と呼ばれる機体は、これまでの直線的なデザインだった装甲に曲線が多く取り入れられ、流麗なシルエットを描いていた。

胸部装甲は静香の識別色となる桜色に染められ、白抜きの国際連合のマークと、UNITTEの紋章が入っている。

背部には他の機体には無い、二対に伸びる長い羽根のようなパーツが取り付けられていた。


久遠の姿を見つけた大鳥真美が声をかける。


「おや。久遠くんじゃないか。」

「大鳥博士。何だか久しぶりですね。」


久遠が声をかけると、床に座り込んでいる真美はいつものように凄まじい速度でキーボードを叩きながら、言葉を返す。


「寂しかったよ。今度またチキンナゲットでも食べようじゃないか。」


彼女の言葉を聞いた北沢主任と五浦教授が、揃って不思議そうな顔をする


「はいはい。」


久遠は生返事を返しながら、研究室の端末に手早く計測機器のケーブルを繋ぐ。


「頼まれてたマックスコーヒーも発注しときましたからね。」

「すまないね。あれが一番好きなんだ。」


真美はキーボードを叩きながら口の端で笑みを作る。

エリア13での出来事以来、久遠は真美の扱いに慣れてきていたのだった。


「接続確認よし。計測器、準備できました。」

「始めましょうか。まずはウェイト10から。落ち着いていきましょう。」


五浦教授はドイツ語で書かれた手元のノートを見ながら、丁寧な語り口で言葉をかけた。


「静香。今日は久遠君が来てるよ。」


真美の言葉に、ガラスの向こうにいる静香が研究室側に顔を向ける。

久遠の姿を認めると、あ、と口を小さく開いた。


「手でも振ってやってよ。」


久遠が遠慮がちに小さく手を振ると、半分上げた金属製のバイザーから見える口元で、静香が小さく微笑んでいるのがわかった。


「もう。見せものじゃ無いんですよ、博士。」


五浦は呆れ顔で小さくため息をつく。


「『見せもの』じゃないからさ。このエリア5に来ることを許された者は、彼女と目的を共有し、信頼できる仲間だけ。そうだろ、五浦教授。」


真美が小さく笑いながら言葉を返すと、彼女はほんの少しだけ口元で笑みを作り、頷いた。


不意に計測器の値が大きく動く。


静香の周りに五つ配置された四十センチほどの立方体が浮き上がっている。

金属を濃紺の樹脂で覆っているその立方体には「25」と数字が記されていた。


「張り切ってるねえ。」


真美がにんまりと笑う。

五浦教授は丹念にメモをとりながら、計測器の数値を端末から変更していく。

五つの立方体は静香の背丈ほどの高さまで浮かび上がったまま空中で静止している。

静香の機体は軽く顎を引いた状態で両手を横に下げたままみじろぎもしない。

胸部装甲の中央部では、桜色の光がほのかに輝いていた。


「……いつ見ても、目の前に起きていることが信じられませんよ。」


感嘆する北沢主任の言葉に、五浦教授はガラス越しの静香から少しも目を離さずに呟く。


「私も、何年見ても信じられません。でもこれがあの子の現実なんです。それこそ子供の頃からのね。」


ほんの少しだけ優しげな笑みを口元に作る五浦教授。

久遠はふと、旧図書室で見た空中で静止するティーカップを思い出していた。


「ディメンジョン・アーマーが強化するのは身体能力だけじゃないんだ。」


真美はノートパソコンの画面に映し出されている静香の脳波を確認しながら続ける。


「見ての通り、念動力などの超能力を強化することもできる。凄いだろ。」

「元々静香が持っている超越力トランセンドを高めると同時に、精神や肉体への負荷を大幅に下げることができるのよ。」


五浦はそう言うと、通信用のマイクに口を近づける。


「良い感じね、静香。次は40でいきましょう。行ける?」

諏訪内が頷くと、静止している五つウエイトの他に、60と書かれた巨大な立方体が次々に浮かび上がっていく。

五浦教授は少し苦笑いを浮かべて、計測器の数値修正を慌ただしく行っている。


「凄い……。」


久遠はガラス越しの不思議な光景に魅入られるようにして見つめている。

金属製のバイザーを上げた静香の口元は、ほんの少し笑みを浮かべているように見えた。

北沢主任は画面を高速で流れるコードを確認し終えると、ノートパソコンの画面を閉じて口を開いた。


「よし、分析室に戻ろう。今夜のうちにデータを上げれば、北米の方で制御プログラムを更新してくれるはずだ。」

「頑張るねえ。北沢主任。」

「ええ、大鳥博士。みんなには少しでも良い機体で調査をして欲しいですからね。」


北沢の言葉に、真美が満足そうに頷く。

久遠は計測機器を取り外し、引き上げの準備を済ませた。


「分析室に戻ったら、久遠くんは今日は上がりたまえ。」

「え、僕は大丈夫です。まだ手伝えますよ。」

「何言ってんだ。あとは大人に任せとけ。」


北沢は笑って久遠の背中を叩く。

彼はほんの少し表情を曇らせている久遠に気づいていなかった。


「五浦教授、我々は第一分析室に戻ります。」

「北沢主任、和泉さん、ありがとう。明日の調査は良いものにしましょう。」


五浦教授はガラス越しの静香から目を離すことなく、背後の久遠達に手を上げて答えた。


久遠は黙って一礼して出口に向かうと、少しだけ振り向いて、ガラス窓の向こうにいる静香を見た。

彼女は金属製のバイザーを下ろして次の訓練に入っている。

その装甲は、全身に淡く輝く桜色の光を纏っていた。

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