第17話 生徒会への誘い

 「生徒会です。」


廊下からでもよく響く声が、C教室の中へと入ってくる。


「生徒会? 珍しいでござるな。」

「そっか、あの時は大進くんはいなかったんだよね。」


机の天板に頬杖をついているあかりが渋い顔をする。

一真は特に気にかけることもなく、手元の携帯ゲーム機を操作していた。


「失礼するよ。」


引き戸がガラリと開くと、入り口には端正な顔立ちに長身の男子生徒と、ショートカットの小柄な女生徒が立っていた。


「生徒会の方でござったか。何かあったでござるか?」

「いえ、そういうわけではないです。楽しまれているところ、失礼。」

「C教室の利用申請もちゃんと受け取っていますよ。滝沢大進さん。」


ショートカットの女性の涼しげな声。


(大進君、そんなの出してたんだ。)


付いていた頬杖をやめ、あかりはそっと背筋を伸ばす。


「できれば新しい校舎か本校舎を使って欲しいところですがね。他の生徒達もそうしています。」

「私たち、ここの教室が気に入っているんですよ。新誠学園高等学校の歴史を感じられますし。」


あかりが作り笑いで答える。


「……我が校の歴史を大切にしてくれるのであれば、八十周年記念冊子の表紙は、ぜひ受けて欲しいな。城戸あかりさん。」

「あー……。」


思わず目を逸らすあかり。

創立八十周年を記念する冊子の表紙に現役生徒の代表として出て欲しい、という話が生徒会からあったが、何だか面倒ではぐらかしていたのだ。


「大切な我が校の歴史が傷つかないように、と考えているんだな。あかり。」


あかりはその言葉の意味を一瞬考えてから、机の下で一真の太腿をぎりぎりとつねる。


「御堂一真君。我々は君に用があってきたんだ。」


一真は液晶画面に映るデイリークエストから目を離さないでいる。


「御堂さん、返事くらいしたらいいんじゃないですか? 失礼ですよ。」

「生徒が楽しんでるところに、何度も理由つけて踏み込んでくるのは失礼じゃないんですか。幸田先輩。」

「な……!」


憤然とする早希を、剣持秀一郎は黙って制する。


「我が校も毎年生徒が増え、生徒会も全く人材が足りていない。優秀な生徒の元へは積極的に足を運ぶようにというのが生徒会の意志だ。」


剣持の剣道部で鍛えた体躯から発される声は、教室によく響いた。


新誠学園高等学校は六年前に経営体制を刷新し、学校改革の一環として「自由な校風と生徒による自治」を打ち出している。


同時期に発足した新しい生徒会は、生徒自らがルールを定め、守り、運営していくことを宣言した。

外的脅威対策を理由として必要以上に生徒を縛っていた校則を大幅に緩和し、授業や部活動に至るまでの広範な改革に着手して大きな効果を上げ、近隣の高校では例がないような自由な校風を作り上げた。


その一方で、定めたルールに関しては厳格に守ることを掲げ、生徒自らが率先して取り締まりを行う。

そのために毎年優秀な生徒を生徒会に集め、強力な管理体制を作り上げてきた。


生徒会に在籍することは生徒にとっても大きなメリットがあった。

有名難関大学への推薦はもちろんそのひとつだ。

元々国連管轄の高校だったこともあり、国内外の公的機関や教育機関から、国際交流や海外留学などの話が舞い込む。

そこで得た人脈や経験を活かして、将来的に一流企業や官公庁に入るルートが開かれることも少なくなかった。


「生徒会に入ることは、君にとって悪くない話だと思うがね。」

「別に良い話でも無いです。」

「何か不満でもあるのなら言って欲しいな。」

「不満はないが、興味もない。」


一真の遠慮会釈の無い言い方に、感情を抑えてきた剣持も腹に据えかねているのだろう。

時折、声の端が震えている。

幸田早希は不安そうにその姿を伺っていた。

そんな中、緊張感の漂う教室に久遠と静香がそっと入ってくる。

剣持は二人に気に留めることなく、怒気が入り始めた声で続ける。


「興味がない、か。」


握りしめられた彼の拳に力が入る。


「生徒の自治は我が校の誇りであり、それを執行する生徒会に選ばれることは、名誉あることだと俺は思っている。」


久遠はその剣幕に思わず身体が固くなる。


「御堂一真。お前とは中等部生徒会の頃から知っている仲だ。」

剣持は、彼の袖を掴もうとする早希の手を振り払うようして一真に近づく。

「その恵まれた血筋と能力を、こんなところで埋もれさせたくないからわざわざここまで来ているんだ。それが……わからないのか!」


(こんなところ……?)


あかりの眉がぴくりと反応する。


「剣持先輩。」


一真は携帯ゲーム機を机に置くと、ゆっくり立ち上がった。


「俺は、その能力やら血筋やらよりも、『こんなところ』の方に価値を感じている。」


眼鏡の奥の切長の目が剣持を見据える。


「それだけだ。」


対峙する二人。

久遠は二人を交互に見ながら、何か言うべきかどうなのか迷っている。


その時、スパン!という軽い音がC教室に響いた。


「こら。先輩にそんな言い方するな。」


頭を押さえて振り返る一真の前に、丸めたプリント用紙を手にしたあかりが仁王立ちしている。


「せっかくあんたのことを認めてわざわざ誘いに来てくれたんでしょ。もうちょっと考えて物を言いなさいよ。」

「……そんなこと言われてもな……。」

「あんたがのらりくらり適当な返事ばっかりしてたら、先輩達だって困るでしょ。」


あかりの剣幕に我に帰ったのか、剣持は小さくため息をついた。

張り詰めた表情をしていた早希は、ほっと息をつく。

様子を伺っていた大進も安堵の顔を見せていた。


(あかりはこういうことを計算でなく本能でする。全く大したものでござるよ。)


大進は心底感心した面持ちで、あかりの横顔を見ていた。

剣持は小さく息をついて姿勢を正す。


「……みなさん、邪魔をして失礼した。行こう、幸田。」


彼は背筋を伸ばして一礼をすると、教室を後にする。

剣持の背を追うようにして教室を出る幸田早希と、久遠は一瞬目が合う。

一本気な真面目さと、繊細さが同居しているような瞳が印象的に感じた。


入口の引き戸が閉まると、久遠と静香はあかり達の元に近づいた。


「大丈夫なんですか?」


静香が声をかける。


「しばらくは来ないでござろう。まったく、生徒会の人材不足にも困ったものでござるな。」

「今のは生徒会の剣持先輩でしょう。わざわざ勧誘に来るなんて、一真くんってすごいんだね。」


久遠は一度だけ図書委員会と生徒会の会合に出席した時に、理路整然と議題を整理し、的確に生徒会メンバーに指示を出す剣持の姿を見たことがあった。


「でも、今日は一真くんの方がちょっとカッコよかったな。」


久遠の視線から逃げるように、一真は無言で携帯ゲーム機を手に取る。


「どうせ、放課後はゲームしたいからでしょ。」

「……生徒会室は回線が弱いしな。」

「やっぱり。本当どうしようもないわね。」


あかりが呆れてため息をつく。

静香と大進はふと目を合わせると、互いに微笑んだ。


「お茶でも淹れましょうか。紅茶はさっき飲んだから、ハーブティーにしますね。」

「いいね、手伝うよ!。」


あかりが机から立ち上がる。


「また失敗して諏訪内に迷惑かけるぞ。」

一真は新しいゲームを起動させながら呟く。


「失敗してないわよ! ……二、三回しか。」


静香はニコニコしながら、あかりがした失敗の数を頭の中で数え、途中で数えるのをやめた。


   ◇


 旧校舎を後にした剣持秀一郎と幸田早希は、生徒会室がある本校舎に向かって渡り廊下を歩いていた。

遠くでは野球部の掛け声と、ノックを繰り返す快音が聞こえてくる。


「全く、御堂は中等部の頃から全然変わっていないな。」


剣持の言葉に、早希は口を結んだまま頷く。


「いや……。あの頃の御堂だったら、あんなことは言わなかったかもしれんな。」


独り言のように呟く剣持。

彼は中等部の剣道部にいた頃を思い出し、当時の冷たい目をした御堂と、先ほどの彼の姿を重ねていた。


「御堂さんのことはもう諦めるんですか。」

「なぜ諦めるんだ。彼のような人間こそ、これからの生徒会に必要だ。二人が生徒会に入ってくるまで、粘り強く話すだけだな。」

「そうですか……。」


早希は剣持の大きな歩幅に合わせるように、早足で隣を歩きながら、ハッと気づいた。


「今、二人って言いました?」

「ああ。御堂が生徒会に入ったら、抑える人間が必要だと気づいたからな。」


幸田の脳裏に、御堂一真の脳天に一撃を与えた城戸あかりの姿が浮かぶ。


「生徒会長と作戦の練り直しだ。これからまた忙しくなるな。幸田、よろしく頼むぞ。」


剣持のたくましい笑顔を見ながら、幸田早希は胸の奥に小さな痛みを感じていた。

中等部の剣道部にいた頃に見た剣持の笑顔は、今も変わらない。

早希もまた、同じ剣道部の副主将から生徒会の文書担当になった今も、心に秘めた想いは変わっていなかった。


「……私にも何かできるといいんですが。」

「ん? 幸田はできることをしてくれればいいんだ。」

「私にできること……ですか……。」


正直なことを言えば、御堂が、ましてや城戸あかりが生徒会に入ってくることは、早希にとって興味の範囲では無かった。

だが、生徒会の意向に沿わず旧校舎に出入りし、剣持や生徒会をぞんざいに扱う御堂が率直に腹ただしかった。


何よりも、彼を認めて足げく通い、深々と頭を下げる剣持の姿を見るたびに、穏やかな気持ちではいられなかった。

とはいえ、剣持のように生徒会の中心メンバーとして腕を振るう身ならいざ知らず、規程や様式などの文書を管理するだけの自分に何ができるというのだろう。


(私にできることなんて……。いや、待って。文書……)


早希はふと立ち止まり、旧校舎を振り返った。

古びた木造の壁を眺めるその瞳に、小さな光が宿っているように見えた。

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