第15話 はじまりの白騎士

 エレベータが静かに止まり、扉が開く。


見た目は他の研究フロアと変わらないように見えるが、廊下には歪んだ文字で「13」と白いペンキで記されている。

研究所の見取り図にも記載されていない隠された場所だ。


「ここがエリア13……。やっぱり地下十三階なんですか?」

「本当は七階なんだけどね。隠し階だし、13の方がなんかカッコいいだろう?」


目を輝かせて話す真美に、久遠は曖昧な笑みで返した。


長い通路に、二人の靴音だけが響く。

やがて巨大な鉄扉の前に立つと、真美は扉にそっと手を触れる。

魔法陣のような幾何学模様が一瞬現れて消えると、ゆっくりと扉が開いた。


薄暗く、冷気の漂う室内を、白衣のポケットに手を突っ込んだ大鳥博士は軽い足取りで歩いていく。


「私だけの研究室なんだ。ここは。」


真美の言葉が小さく残響を残す。

室内は相当に広く、天井もかなり高い。

天井と壁に備え付けられた白い照明がほのかに光を灯していた。


辺りをよく見ると、作りかけの機械や道具らしきものが雑然と置かれている。

ふと壁の隅を見た久遠は、白い布がかけられた機体を目に止めた。

水上オートバイほどの大きさを持つ中央ユニットの両脇には、巨大な推進器が取り付けられ、布の裾からは細長い筒状のパーツと着陸脚がのぞいている。


「あれは……小型飛行機か何かですか?」

「そんなとこかな。どうだい、面白そうなものがたくさんあるだろ。」


不敵に笑う真美に、久遠は黙って頷く。


「これから、もっと面白いものが見られるよ。」


ふたつの足音が響く中、二人は部屋の中央までたどり着いた。

広々とした円形のフロアの中心には、直立した巨大な黒い棺を思わせるような構造物が建っている。


真美は認証システムに掌をかざし、傍らの端末を操作する。

黒い棺が静かに開いていくと、久遠は思わず目を見開いた。

「これは……!」


中にはまさに白亜の鎧としか言いようのない人型の機械が直立していた。

ディメンジョン・アーマーに似ているが、全体的に細身で、美しい流線形のフォルムを持っている。

欧州の城の広間や博物館に飾られている、工芸品のような西洋鎧を連想させた。


「これも……大鳥博士が作ったんですか?」


真美はゆっくりと首を振る。


「残念ながら、私ほどの天才でもこれは作れないよ。」

「……。」

「私たちは白騎士と呼んでいる。」

「白騎士……。」

「これがすべての始まりなのさ。」


天井から降り注ぐ光を浴びて白く輝く装甲に、真美は愛おしそうに手を触れた。


「ところで。」

唐突に真美が尋ねる。

「はい。」

「君はどちらが好きだ?」

「え?」

「マスタードとバーベキューだ。」

「は?」


真美はいつの間にか作業机の隣にあった冷蔵庫の前に移動し、中を探っている。


「チキンナゲットが390円だったので、買いすぎてしまった。君も食べるだろう。」

「え? 今? この流れで?」

「そうだ。そろそろお腹空いてるだろう。それとも、私に残り12個も食べろというのかい?」

「……じゃあ、バーベキューソースで……。」


困り顔の久遠が答えると、真美は満足そうに頷いた。


   ◇


 広い研究室内に、電子レンジの低い動作音が響く。

久遠が片隅の作業机を片付けている間、大鳥真美は何やら高速でノートPCのキーボードを叩いている。

程なく「チン!」という今では懐かしい音が鳴った。


「大鳥博士、できましたよ。」


作業机に並べた紙皿の上では、温かいチキンナゲットが湯気を立てている。


「おー、すまないね。飲み物はドクターペッパーとマックスコーヒーのどちらがいい?」

「え? ……じゃあ、マックスコーヒーで……。」


久遠はこれまで大鳥博士と食事をするどころか、ほとんど会話といえるような会話をしたことがないことに気がついた。

遠目で見かけるくらいのことはあっても、仕事で直接関わることが少なく、公になっている業績と、篠宮先生や竜崎補佐官との古い友人であるということ以外はほとんど彼女のことを知らない。


くたびれた白衣を着てマックスコーヒーを片手にチキンナゲットを美味しそうに頬張る大鳥博士。

彼女は研究所内でも一目置かれる主席研究員というだけではなく、三つの学位をもつ世界的な科学者であり、ITやロボティックスのみならずコンサルティングや投資まで幅広い巨大企業オオトリ・グループの中枢にいる人物であるとは、目の前の彼女を見る限りでは全く信じられなかった。


「さて、久遠くん。白騎士の話をしようか。」

「はい。」


久遠はマックスコーヒーの缶を机に置く。


「あの白い鎧は、誰が作ったんですか。」

「わからない。詳しいことは言えないが、人から譲られたものだ。」


「ディメンジョン・アーマーはひょっとして……。」

「うん。ディメンジョン・アーマーには白騎士をリバースエンジニアリングした技術が使われているから、半分は君の想像する通りだな。」

「というと、もう半分は。」

「機体に使われている技術の大部分は既存の技術の転用や発展型なんだ。その辺りは君もなんとなく気づいただろう? まるっきりコピーしたってわけでは無いってことさ。」

「なるほど……。」


リード・エンジニアを務める南ひろ子から聞いた限りでは、機体を構成している部品の多くは汎用的に使われている素材や機械部品とのことだった。


「もちろん、白騎士の技術をそのまま使っている部分もあるけどね。」


彼女は白騎士の胸部装甲に目を向ける。


「それに、最新のロボティクス技術には、実はこっそり白騎士の技術が使われていたりするから、そういう意味で言えばほどんど白騎士がベースと言ってもいいだろうね。」


ロボティクスはここ十年ほどで向こう百年分の進化を遂げたと言われるほど急成長した分野だ。

世界的に不足している労働力を補うため、人の操作無しで作業を行うことができる自律制御ロボットや、力の弱い女性や老年層でも身体に負担をかける事なく作業ができるようにするアシストスーツは急激な需要増となっていた。

それを背景に、莫大な投資が行われるとともに、法律を含む社会整備が急ピッチで進められることとなった。

そのため、建設現場や工場、病院や介護施設といったあらゆる場所で、自律型の作業支援ロボットや、人間の作業を助けるアシストスーツの姿を見るようになって久しい。

だが、ディメンジョン・アーマーのように軽やかに動き、かつ凄まじいパワーを誇るアシストスーツは、久遠が知る限りではとても考えられなかった。


「白騎士は、ディメンジョン・アーマーの、いわば始祖なんですね。」

「始祖って言い方はカッコよくていいな。そういうことになるだろう。」

「『はじまりの白騎士』か……。」


久遠は立ち上がり、白騎士までゆっくりと歩いていく。

そして、白く輝く機体に相対するようにしてその姿を見つめた。


「どうだい? 知的好奇心がくすぐられるだろう?」


コツコツと大鳥真美の靴音が響く。


「ええ。こんなに凄いものを初めて見ました。」

「感謝しておくれよ。あかり達にだってまだ見せたことがないんだ。」

「え? ……じゃあ、なぜ僕に……」


背中にそっと添えられた手に、久遠の言葉が止まる。


「君が気に入ったからかな。」


腰に回された真美の両手に気づく。


「あの、じょ、冗談は……やめましょうよ……。」

「なぜ私が君に冗談を言うんだい?」


真美の身体から離れるようにして振り向き、後すざる久遠。

彼女は気に留めることなく近づき、彼の制服の両腕にそっと手を当てる。


「楽にしたまえ。久遠くん。すぐに終わるよ。」


そのまま小さな手を滑らせるようにして肩を、首筋を撫で、両の頬に触れた。


彼女は研究所の中でも特に小柄で、平均的な身長の久遠でも向かい合うと彼女を上から見るようになってしまう。

大鳥真美は久遠よりも八つ年上だが、眼鏡の下の彼女の顔はとてもそんな年齢差があるように見えず、大きな潤んだ瞳は彼を動揺させるには十分な美しさだった。

久遠は、息がかかりそうな程に近い彼女の顔と、白衣からのぞく無防備すぎる胸元から目を背けるだけで必死だった。

彼が全身を硬直させて理性で耐えていると、真美は唐突に両手を離した。


「うん。サイズは大体合ってたな。」

「え?」

「君の身体のサイズを確かめていたんだ。大体の目安はつけていたんだけど、ちょっと自信なくてね。」

「何だ……。そういうことなら、そう言ってくださいよ……。」

「うん? ……ああ、なるほど。」


久遠の真っ赤に染まった顔を見て、何か気がついたようだった。


「今のは良子には内緒にしておいてくれ。」

「……言わないですよ、もう……。」


久遠は顔を赤らめたまま、口を尖らせる。


「でも、何で身体のサイズなんて……。」


唐突にその意志に気が付き、彼女の顔を見る。


「夢中になると、何でも自分で試してみたくなるんだろう?」


真美は不適な笑みを見せる。


久遠は息を呑んで白亜の鎧を見上げた。

黒い棺に収まっている機械の鎧からは、低い動作音が聞こえてくる。

胸部装甲の中心には、淡い白い輝きが宿っているのが見えた。


はじまりの白騎士は、これから自らに迎え入れる目の前のあるじを無言で見つめていた。

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