第12話 水曜日の放課後
「今日のおやつはドーナツです!」
「おおー!」
旧校舎のC教室に歓声が響く。
机に敷かれたテーブルクロスの上にはティーセットが並べられ、藤の籠には沢山のドーナツが並んでいた。
「シンプルなドーナツと、チョコレートのと、白いのはシナモンシュガーです。」
「やばい……迷う。」
「あかりちゃん、大丈夫。ちゃんと人数分全種類ありますからね。」
静香はティーポットで紅茶を注ぎながら微笑んだ。
久遠を歓迎するお茶会が開かれてから、彼らは定期的にC教室に集まるようになっていた。
学校ではそれぞれに教室が異なり、研究所でもお互いが別の業務をしていることが多いため、普段は関わることが少ない。
小学生の頃からディメンジョン・アーマーのテストパイロットとして長い経験を持つあかりは、多くの時間を機体のテストに費やし、元々近接調査のために加入した一真と大進は、座学や訓練の時間が業務の大半を占めている。
静香は研究所内でも秘匿性が高い研究に協力しているため、深層階のエリア5に位置する研究室にいることがほとんどだった。
「普段関わる事が少ないからこそ、みんなで会う時間を作りたいんだよね。」
あかりのひと言がきっかけで、水曜日の放課後には五人が集まり、お菓子を食べたり紅茶を飲んだりして時間を過ごすようになっていた。
研究所全体の方針として、水曜日は原則として午後の研究や業務を行わないことになっていたことも大きい。
『放っておくといくらでも研究に没頭してしまうから』という理由なのが、いかにも大鳥研究所らしかった。
「ところで、大進君は?」
「研究所に少し用事があったんですって。もうすぐこっちに来るって連絡が。」
程なく、使われなくなって久しい空の書類棚に仕掛けられた小さなランプが緑に点灯する。
「あ、来た。」
教室前方に設置された書類棚が横にスライドし、壁に開いた入り口からは大進の大柄な身体がひょっこりと現れた。
「遅くなったでござるよ。おお、甘い香りがするでござるな。」
「今日はドーナツですよ。今紅茶を淹れますね。」
静香がにこやかな笑顔で出迎える。
新誠学園高等学校の地下に位置する研究所には、いくつかの隠された出入り口が存在する。
そのうちのひとつが、旧校舎のC教室だった。
旧校舎をはじめ、新誠学園のさまざまな場所に大鳥博士と大鳥研究所による仕掛けや改造が施されていた。
新誠学園には大鳥研究所が属するオオトリ・グループから多額の寄付金が出ているため、実害が無い範囲は半ば黙認されているというのが現状だ。
元々C教室は、あかり達が時々隠れ家的な使い方をしており、それは研究所から直接出入りができるということが理由のひとつだった。
「あんた、またここに忍び込んでゲームしてたでしょ。」
「ここは誰もいなくて静かだからな。」
「家でやればいいじゃない。」
あかりはシナモンシュガードーナツを頬張りながら、茶々を入れる。
「……一人で集中したい時もあるんだ。」
一真は丁寧に切り分けたドーナツをフォークで口に運んだ。
「妹さんがいるんですよ。一真君。」
「そうそう。入学式で見たけど、めっちゃ可愛いの! 兄貴に全然似てなくて。」
「へえー。」
久遠の視線に、一真は思わず目を背ける。
彼は自分が話題の中心になるとちょっと困った顔をするのだった。
「あかりちゃんのところは?」
「うん。昨日も弟と通話しながらゲームに付き合わされちゃった。小学生なのにやたら上手いから、ついていくだけでもう大変。」
あかりはそう言うと、少し恥ずかしそうに笑った。
静岡県の浜松市で離れて暮らしているあかりの弟と両親の話の後は、そのまま別の話題になったので久遠はちょっとホッとしていた。
家族の話を振られると、いまだにどう答えたらよいかわからなくなるからだ。
ただ、家に帰って誰かと話ができるということは、少し羨ましいと感じていた。
話題が次のテストの出題範囲や、昨日見た歌番組、ネットで人気の動画などに激しく飛んだ後、あかりが少し小声でひとつの話題を切り出した。
「そういえば、大規模なフィールドワークが近いうちにありそうなんだって。」
一真の顔がにわかに厳しくなる。
フィールドワークは、研究所の中で使われる用語の一つだ。
地上に顕現した次元獣の調査、すなわち戦闘を意味する。
「そうなのか。」
一真が大進に目を向ける。
「研究企画室と予測チームの会議が随分増えているようでござるからな。」
「良子もここ最近姿を見ないから、そういう時は結構……。」
「あ……。」
静香が思い出したようにつぶやく。
「私も五浦さんから、二週間くらいはあまり遠出しないようにって言われました。」
「え、静ちゃんが? 珍しくない?」
驚くあかりの横で、大進がいつもと違った少し険しい表情を見せていることに気がついた。
一真が口を開く
「……いずれにしても、そういう話はここではやめた方がいいな。誰が聞いてるかわからん。」
「ここ旧校舎だよ。ほとんど誰も来ないじゃん。」
「生徒会の連中とかな。」
「何、あの人達、まだ諦めてないの。」
あかりが呆れたように眉をひそめる。
一真は携帯ゲーム機に目を落として黙り込んだ。
眼鏡のレンズには、オンラインゲームの画面が賑やかに映っている。
「まあ、ここは篠宮先生達からの連絡待ちでござるな。」
いつもの表情に戻った大進の言葉に、皆が小さく頷く。
ここ何日かは篠宮良子の姿を学校でも研究所でも見かけることがなく、図書室にも訪れた様子が無かった。
分析チームのメンバーも連日忙しそうにしている。
研究所に入って日が浅い久遠にも、何かしらの兆候があることを感じることができた。
(何事もなく過ぎてくれればいいけど……。)
暗い影のように彼の脳裏に巣食っていたのは、あの夜に常闇坂で見た紫色の巨人の姿だった
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