第10話 フィールドワーク

 六月も初旬を終えようとしている夜。


UNITTE筑浦研究所を束ねる主席研究員である大鳥真美博士は、茨城県筑浦市の北側に位置する、再開発地域を訪れていた。


広々とした森林地帯だったその場所は、ショッピングモールを建設するため造成が進められていたが、長引く不況のため再開発計画が凍結され、森に囲まれた広大な更地が残される形となっていた。


敷地を持て余す財政難の自治体に対して国連と大鳥研究所から出された提案により、その広大な敷地はUNITTEの広域実験場として秘密裏の使用が許可されていた。


 「六月とはいえ、夜はまだ冷えるねえ。」


大鳥真実はいつものように薄着の上に白衣、さらにUNITTE支給の黒いベンチコートを着込んでいる。


「大鳥博士、今日は研究所にいても良かったのではないですか。」


機材の調整をしている観測担当の研究員が声をかける。


「新しい誘導装置の動きを近くで見たかったからね。」


真美は思い出したように桜色のポットを取り出し、手元の金属製のマグカップにコーヒーを注いで口をつける。


「キリマンジャロか。旨いな。」


人心地ついた彼女は空を見上げる。

夜空に流れる薄い雲の合間には星が瞬いていた。


「たまには外も悪くないね。まさにフィールドワーク野外活動だ。」


真美は星空を眺めつつ、再びコーヒーに口をつけた。


再開発地域の入り口には、「オオトリ・ロジスティック」とコンテナに書かれたトラックが二台止まっている。

大型トラックはウィングが大きく開かれたままとなっており、もう一台のトラック内にはPCやディスプレイ、計測機器などが所狭しと詰め込まれていた。

それはさながら移動する研究室のようだ。


六年前の第二次ウィーン会議で締結された条約により、国連加盟国は外的脅威を理由とした戦闘行為を行うことが制限されている。

その意図は明確で、外的脅威の排除を名目とした侵犯や紛争が各地で繰り返されていたからだ。


現在においては、外的脅威の排除は国連の外的脅威局主導で行われることで合意されている。

当然ながら国連自身も安易に戦闘行為を行うことは、国際的な目もあって憚られていた。


例外として許可されているのが、研究を目的とした次元獣の捕獲や排除である。

そのためUNITTEでは、あくまでも「研究調査」の中でやむなく行われる戦闘行為を「近接調査」と呼び、近接調査を伴う可能性がある作戦を「フィールドワーク」と呼称している。


「平和のためとはいえ、めんどいよね。」


真美は独り言を呟きながら、移動研究室に設置されたディスプレイを覗き込んだ。

再開発地域の奥に入った観測用ドローンから送られてくる映像には、闇夜に佇む二体のディメンジョン・アーマーが映しだされていた。


「真美、聞こえる?」


装着したワイヤレスイヤホンから、聞き慣れた良子の声が流れる。


「あいあい。」

「もうすぐ予定時刻ね。そちらの様子はどう。」

「ちょっと冷えるのと薄曇り以外は、割といい夜だよ。静香のコーヒーが旨いよ。」


真美はマグカップに口をつけた。


「もう、キャンプじゃないんだから。あかりと一真の機体は順調そうね。」

「二体とも出力が安定しているよ。一真も随分慣れたね。大したもんだ。」

「ああ見えて結構努力家なのよね、彼。」

「あかりがライバル心出さないといいけどな。」

「真美さん、聞こえてますよ。もう。」


あかりの通信が割り込む。


「真美さんはああ言ってるけど、油断したらダメだからね、一真。」

「人のことより、自分の心配をした方がいいぞ。そろそろ時間だ。」


新たに飛来した夜間照明用のドローン数台が、二人の機体をより強く照らし出していた。


   ◇


 新誠学園高等学校の地下に存在するUNITTE筑浦研究所。

再開発地域から十キロほど離れた地下研究所の大型モニターには、二体のディメンジョン・アーマーが映し出されていた。

第一研究企画室のプレートがかけられた広い研究室の中では、白衣を着た良子と数名の研究員、そして新誠学園高等学校の制服を着た大進、静香、久遠がモニターを見上げている。


「あかりちゃん……。一真君……。」


静香が心配そうに呟く。


「二人なら大丈夫でござるよ。協力すれば、この研究所でも指折りのタッグでござるからな。」

「その『協力』が心配よねえ。」


良子がモニター上の二人を見つめたまま、小さくため息をつく。


「……現れるんでしょうか。」


久遠が独り言のように呟く。


「筑浦研究所と北米チームの両方が出した予測だからな。かなり確度は高いよ。」


北沢主任が久遠の肩を叩く。


「大鳥博士の新型次元誘導装置がうまく機能すれば、スレット次元獣をあの場所に呼び寄せることができるはずだ。」


元々北米の研究所にいた北沢主任は、次元獣を「スレットThreat」と呼ぶ。

「次元獣」という名称は、十五年前に当時の日本における研究調査チームが会議を重ねた上で考え出し、当時の内閣により呼称が決定されてからというもの、国内においては今も変わらずに使われている。


「予定時刻一分前です。」


全員の視線が、あかりと一真の十数メートル先に設置された次元誘導装置に向けられる。

低い起動音とともに、赤い動作ランプが夜の闇に浮かび上がる。


「……!」


久遠は額にわずかな痛みを感じ、思わず手を当てる。

その瞬間、強い音と共に突き上げるような振動が研究室を襲った。


「じ、次元震を確認。」


研究員の声が研究所内に響く。


「全く、なんて人だ大鳥博士は……。」


北沢が思わずつぶやく。


「まさに天才だな。」


   ◇


 「来たね。」


再開発地域の大鳥真美は、マグカップを手にしたままモニターに映し出されてい

る次元誘導装置の赤い輝きを見つめている。


「次元周期がぴったりじゃないか。予測チームはいい仕事してるよ。」


真美はキーボードに指を走らせる。

十五年前に地上に現れた次元獣が一斉に姿を消した後。

ごく稀に、何もない空間から突如次元獣が出現することが、国連や各国の研究機関に報告されていた。

チェコ大学の量子学研究室が、次元獣の出現に一定の周期があることを発表すると、国連の外的脅威局でも出現予測の研究がされるようになった。

UNITTEが大鳥博士と共に開発した次元観測器がその予測精度を大幅に向上させることに成功したことに加え、次元転移を誘引する装置を組み合わせることで、次元獣を特定の時間と場所に誘き寄せることができるようになっていた。

条件が自然に揃った時に突然現れるよりも、人為的に出現させる方が対策しやすい。

そのためには、地道な観測と分析、正確な予測が何よりも重要となるのだ。


   ◇


 「一真、来るよ!」


あかりが叫ぶのが早いか否か、夜空の一部が歪み始めるのが見えた。

その瞬間、黒い闇が辺りを覆うと、巨大な紫色の物体が崩れ落ちるようにして地表に落下した。


「……!」


足元から伝わる強い振動に、あかりは思わず顔を歪める。

数日前に降った豪雨が、造成地にいくつもの水たまりを作っている。

巨大な物体に押しのけられた泥水が、黒い雨のように降り注いだ。


   ◇


「あれは……」


地下研究所の久遠が絞り出すようにして呟く。

以前、彼と篠宮良子の前に現れた紫色の巨人に間違いなかった。

しかし、巨大な塊のように地に伏したまま一向に動こうとしない。

良子が研究員に声をかける。


「ドローンから研究対象のバイタルデータは来ていますか。」

「データ転送を確認。バイタルサイン無し。」


小さく頷く良子。


「近接調査員はそのまま警戒待機してください。真美、どう?」

「今回も屍体だね。またライプツィヒ研究所のやつらがガッカリする顔が見れるよ。」

「観測班は引き続きバイタルサインの監視を続けてください。調査を近接調査員から回収チームに引き渡します。」


静香と大進が同時にため息をつく。


「良かった……。」


久遠は自分の掌にじっとりとついた汗を拭った。

ここ何年もの間、地上に断続的に現れていた次元獣の大部分は、すでに活動を止めている個体、すなわち死骸であることが大半だった。

研究の結果、それらは一五年前に現れた次元獣が別次元に閉じ込められていたものと仮説が立てられている。

稼働した状態で出現した次元獣は数例しか報告が無く、その数例も腐食や破損が進んでおり、人類の脅威となり得るような存在とは言い難かった。


数週間前に良子と久遠の前に現れた個体も出現した段階で大きく破損していたことが事後の調査でも判明している。

それでも、稼働する個体が人を襲ったというのは、かなり稀なケースだったのだ。


良子は安堵のため息をついて、研究室のマイクをとる。


「あかり、一真、お疲れ様。あとは回収チームに任せましょ。」

「了解、良子。今回も出番なくて残念だわ。」

「出番が無いのが一番いいのよ。」

「そうかもね。」


あかりの声に、良子は笑顔で返した。


   ◇


開発地区では、次元誘導装置が煌々と赤いランプを灯している。


「さーて帰るか。行くよ、一真。」


あかりはそう言って頭部装甲のバイザーを上げると、くるりと背を向けた。

一真は小さくため息をつくと、大地にうずくまるようにして倒れている巨人に目を向けた。


「うん?」


投光ドローンが照らし出す巨人の背がほんのわずかに揺れる。

あかりの近くに投げ出されている半分崩れた巨大な腕がわずかに動くのがバイザー越しに見えた。


「あかり!」


一真は巨人とあかりの間に割り込むようにして飛び出すと、腰に装備した長剣を抜いた。


「うわ!」


一真の装甲があかりの背部装甲にあたり、その衝撃に思わず前につんのめる。

次の瞬間、一真の抜いた長剣は巨人の太い腕を両断していた。

完全に動きを止めている巨人と、切り離されて転がっている巨大な腕を見つめたまま佇む。

一真は長剣を手にしたまま、地面に左手をついて身を低くする。

切断された腕の指先がほんのわずかに動いているように見えたが、もはや脅威と言えるような存在では無いことは見てとれた。


(……気のせい……なのか……?)


頭の後ろに装甲同士がぶつかるゴンという衝撃音を感じ、一真は我に帰った。


「あんた、何すんのよ。危ないでしょ。」

「……気を抜きすぎなんだお前は。」


一真は立ち上がると、長剣を腰の鞘に格納する。


「活躍する場面がなかったから、からかってんでしょ。そうはいかないわよ。」


あかりの金属製の手甲が一真の頭部バイザーに当てられ、コンコンと音を立てている。


「……」


一真は無言であかりの頭部バイザーを押し下げると、左掌についていた造成地の泥土を頭部の外部カメラに押し付けた。

あかりの視界が真っ暗になり、予備カメラの荒い映像に切り替わる。


「うわ、なにすんのよ!」

「からかうってのはこうするんだ、バカ。」

「……やってくれるわね。」


次の瞬間、あかりの脚部が素早く一真の足に絡んだかと思うと、そのまま一真の胸部装甲を掌で強く押し込む。

柔道でいう大外刈りのような動きだ。

流れるように無駄のないあかりの動きの前にバランスを失った一真は、先日の雨が作った水たまりの上にたまらず倒れ込み、盛大に茶色い水飛沫を上げた。


「ディメンジョン・アーマーであたしに茶々入れてくるのは、十年早いわよ。御堂一真君」


そのまま立ち去ろうとするあかりの足首を、倒れたままの一真ががっしりと掴んで強く引き寄せる。

AIで管理された姿勢制御システムは、バランスを立て直すよりも柔らかい地面に倒れ込む方が被害が少ないと瞬時に判断した。

あかりの機体も造成地の大きな水たまりに盛大に倒れ込み、辺りに大量の泥水を巻き上げた。


   ◇


 地下研究所のモニターには、二体のディメンジョン・アーマーが水たまりに倒れ込んでいる姿が映し出されている。


「はわわ……。」


静香が思わず白い手を口に当てる。


「あの子たち、何やってんのかしら……。」

「いーんじゃない、元気で。」


ため息混じりで嘆く良子に、真美の呑気な通信が返す。


「メカ班にクリーニングをお願いする身にもなってよ……。また南さんに怒られるわ……。」


良子は大きく息をついて胸に手を当てた。

しかし彼女はその言葉とは裏腹に、機体を泥だらけにした二人のことよりも、今回も生体反応の無い相手だったことに心から安堵を感じていた。


「大進くん。」

「なんでござるか?」


腕を組んだままモニターを凝視していた大進が答える。


「……最後ちょっと動いてなかった?」

「久遠にもそう見えたでござるか。」


大進の問いかけに、久遠は自信なさげに小さく首を振った。


「見えたというか……。なんか、そう感じたんだ……。」


久遠はモニターに目を凝らす。


「気のせいだと思うんだけど…。」


画面の向こうでは、防護服を着た回収班によるデジタルカメラのフラッシュが何度も焚かれている。

研究所のモニターには、再開発地域の巨人の体内から取り出された小さな黒い石が写っていた。

黒い表面に刻まれたヒビ割れから、ほんのわずかに紫色の光が漏れている。

巨人の体内から転がり出た石は「次元石」と呼ばれていた。

十五年前に次元獣の体内から発見されて以来、様々な研究機関が研究を行ったが、その構造や動作原理などはっきりとわかっていない。

次元獣のエネルギー供給と制御に使われているらしい、といった予測の他は、何ひとつ不明というのが現状だ。


久遠は画面に映し出された黒ずんでひび割れた次元石を、じっと見つめていた。

奥底にわずかな紫色の光を湛えていたその石は、やがて完全に光を失っていった。

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