第8話 真新しい白衣
僕の高校生活は以前より少しだけ忙しくなっていた。
学校の授業と図書委員の仕事に加わり、旧校舎の地下にある研究所を手伝うことになった。
外的脅威を調査する国連の機関「
それが僕の新しい職場だ。
国際連合ウィーン事務局外的脅威局に属し、その名は「United Nation Investigation Team of Threat from External」の頭文字から取られている。
任期付きの準職員とはいえ、国連の機関にあっさりと所属が決定したことには拍子抜けしてしまった。
もちろん「学業が優先」ということは国際条約でも決められているし、当然手当や給与も支給される。
僕のような普通の高校生が国連の準職員となり、その業務を担うというのは、ひと昔前ではありえないなことだったに違いない。
だが、十五年前に外的脅威が現れてからというもの、それは珍しいことではなくなっていた。
外的脅威の侵攻からわずか数日後、時の政府が緊急的に閣議決定した「外的脅威対策特別法」により、多くの高校が国家や国際連合の管理下となり、外的脅威からの保護と、継続した教育を担保するという形となった。
何のことはない。
いざとなったら在籍する生徒を戦場に駆り出すためだ。
十五年前の外的脅威の侵攻は都市部に多く発生したため、主に働き盛りの年齢層が多く被害を受けた。
そのことにより、就労可能年齢にあたる人口が減少したことが一つの原因となっている。
端的にいえば、大人が足りないので若者を駆り出すしかなかったのだ。
また、IT技術やロボティックスなどを駆使した、これまで存在しなかった最新の近代兵器を扱って戦うためには、若ければ若い方が何かと都合が良かった。
それは日本だけで発生した事象ではなく、世界中が似たような状況だった。
僕が通う新誠学園も例外では無かったという。
そして今から六年前。
オーストリアにある国際連合ウィーン事務局の主導で開催された「第二次ウィーン会議」で「青少年の権利を守る包括条約」が締結された。
それは、外的脅威との戦いに人類が勝利したことを改めて宣言し、外的脅威に対抗するためという名目で戦場や社会に送り出した青少年に、再び権利を返そうという骨子の条約だった。
その年、「筑浦国際連合特務高等学校」は「新誠学園高等学校」と名称を変更し、新しい学校体制を打ち出した。
有り体に言えば、十五年前には世にありふれていた、普通の高校に戻ったということになる。
とはいえ、今でも優秀な生徒は国連や国家機関に何らかの形で「協力」をすることがある。
新誠学園が国連管理ではなくなった今も「協力校」という体裁となっているのは、それと無関係では無いのだろう。
入学時にはその説明もされているし、専用の申請フォームやサイトまで存在する。
ひとつだけ言えるのは、まさか僕自身がそのフォームを使って申請することになるとは思っていなかったということだ。
◇
UNITTE筑浦研究所の地下二階。
真新しい白衣を着た久遠は、第一分析室とプレートに書かれた部屋に入っていく。
「北沢主任、タブレットの充電器持ってきましたよ。」
「おお、久遠くん。お使いみたいなことさせてすまないね。」
「いえ。アシスタントですから、なんでも言ってください。」
久遠が配属されたのは、研究所の中で様々な分析や試験の検証を行なっているチームだ。
経歴を聞いただけで驚くほどの優秀なメンバーがひしめく研究室の中で、細かい雑務をする人員が必要とされていたのだった。
「新しい白衣も板についてきたじゃないか、和泉君。」
「ありがとうございます。まだなんだか慣れなくて。」
久遠はまだ固い布地に折りじわが入った自分の白衣に目をやる。
「そのうち、着ていないと落ち着かなくなるぞ。」
北沢主任は、眼鏡の下の眼を細めて笑った。
「ところで和泉君、二日前の試験データを前と同じ感じで加工して欲しいんだけど、今週は時間あるかな。」
「強化セラミック装甲の熱耐性試験ですよね。昨日、第二分析室のPCでデータ加工をかけておきました。そろそろ終わってると思うので、アドレスをチャットで送りますね。」
久遠は腰につけた小型タブレットを取り出し、手早くスタイラスペンを滑らせてメモを取った。
「早くて助かるよ。前もどこかでこんなことをやってたのかい?」
「図書委員会でデータ登録とシステム管理の仕事をしているんです。篠宮先生によく頼まれてました。」
「篠宮君はそういうの苦手だからな。」
主任が苦笑する。
「彼女も助かってるだろう。ただでさえ研究所の仕事が忙しいのに、学校の先生までやってるんだから大したもんだ。」
北沢主任はコーヒーが入ったマグカップを片手に笑った。
研究所には、久遠が知らなかった篠宮良子がいた。
彼がここで仕事を始めてから何度となく、銀色のノートPCを抱えて通路を小走りで歩く白衣姿の彼女と顔を合わせることがあった。
その度に何とも恥ずかしそうな表情で笑いかける彼女に、彼は何とも不思議な気持ちを抱いていた。
第一分析室の作業台を片付け終わった久遠がふと思い出したように顔を上げる。
「あ、そうだ……。北沢主任、今日は早めに失礼してよろしいですか。ちょっと図書委員の仕事がありまして……。」
「ああ、もちろん。学校優先で頼むよ。それに、まだ入ったばっかりなんだから、無理しないようにな。」
一礼して小走りに去る久遠。
北沢は薬指に指輪をした大きな左手を上げ、彼の姿を見送った。
「今時の高校生は優秀なもんだな。」
ほどなくPCの通知が鳴る。
チャットシステムを開くと、試験データの格納場所を示すクラウドストレージのURLと共に『北沢主任もご無理なさらないでくださいね!』という短いメッセージが絵文字と共に添えられていた。
北沢の口元に小さな笑みが浮かぶ。
「たいしたもんだ。篠宮君はどこでこういう子たちを見つけてくるのかねえ。」
彼は満足そうにディスプレイを眺めながら、マグカップに残ったコーヒーの残りに口をつける。
「さて、せっかく早くデータを出してくれたんだから、早速解析してしまうとするか。」
彼がコーヒーをもう一杯淹れようと立ち上がると、作業台の上に白いペンが置かれていることに気が付いた。
拾い上げると、樹脂製のスタイラスペンには久遠の名前と学籍番号が刻印されていた。
「ま、多少隙があるのも、篠宮くんが連れてきた子らしくていいかもな。」
そう言って彼は、ところどころ跳ねた髪に手を当てながら微笑んだ。
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