第7話 その名は『UNITTE』
旧校舎の裏にある『立ち入り禁止』と書かれた古い体育倉庫。
厳重に施錠管理されたその中には、地下へと向かうエレベーターが設置されていた。
篠宮良子と和泉久遠を乗せたエレベーターはゆっくりと地下へ降りていく。
久遠は黙って階数表示の液晶画面を見上げている。
隣にはいつものカーディガンに長い紺色のスカートの篠宮良子がいた。
彼女も久遠と同じく液晶表示を眺めている。
いつもなら少し沈黙が長いと必ず彼女の方から声をかけてくるのだが、今日は押し黙ったままだった。
やがてエレベーターは止まり、鉄扉がゆっくりと開く。
目の前に現れたリノリウムの通路には「エリア1」と白く書かれていた。
白い壁の館内に真っ直ぐ伸びた長い通路では、白衣を着た男女が行き交っている。
その光景は、大きな総合病院を連想させた。
すれ違う彼らは篠宮良子に黙って小さく頭を下げ、その度に良子は微笑んで小さく手を振る。
「もうちょっと先ね。」
彼女がそう久遠に声をかけた時、『第一メカニック室』の札がかかった部屋から出てきた、大柄の女性が手を振った。
国際連合のマークが入ったツナギ姿に、赤茶色の豊かな髪を無造作に後ろでまとめている。
「所長代理!」
「
良子が手を振り返す。
(え? 所長代理?)
久遠は思わず良子のほつれたカーディガンを見上げる。
「探してたよ。今度来た五世代型、なかなかいい仕上がりになりそうなんだ。」
「静香の機体ね。南さん達が頼りなので、よろしくお願いします。」
「まあ、まかしときなって。」
高らかに笑う彼女は、傍にいる久遠の顔を見ると「あっ」と声を出した。
「ひょっとして、この子、あの子かい?」
南の大きな目が久遠の戸惑う顔を覗き込む。
良子はちょっと困った笑みを浮かべて頷いた。
「君が例のあの子か! 良子が世話になったね!」
南ひろ子は大きな手を制服の久遠の肩に乗せる。
「で、いつからなんだい? 君、パソコンとかエクセルとか得意?」
「ちょっと、南さん、それはまだ……。」
困惑する良子の後ろから、細い体を白衣で包んだ男性が声をかけた。
彫りの深い整った顔立ちに、ところどころ跳ねた寝癖髪の組み合わせがなんともアンバランスだ。
「篠宮くん、ここにいたのか。先日申請した件のことなんだが……」
そう言いかけた彼は、久遠の顔を見て、細い縁の眼鏡を指で触れながら言い直す。
「……君があの、和泉久遠くんか。」
「ええ、
「そうか。」
背の高い北沢主任は、少し腰を落とすようにして久遠に声をかける。
「確か和泉くんは、中学生の時に統計学と機械学習を学んだそうだな。」
笑みを作る北沢の横で、南は口をへの字に曲げている。
「去年の夏の自由研究は、ヒューマンケア・ロボットの研究だそうだけどね。」
『ヒューマンケア・ロボット』とは、多くの医療や介護の現場で大々的に導入されている、介護や医療・リハビリテーションなどをアシストする自律型の作業補助ロボットの総称だ。
六年前の大々的な法律改正をきっかけに、多くの医療や介護の現場で飛躍的に導入が進んでいた。
「……南くんのところは、先月MITから一人採っただろう。」
「機体もどんどん新しくなるし、人手はいくらでも欲しいとこでね。」
「……えっと、二人とも、それは来週の人事計画ミーティングの時に……。ねっ。」
北沢と南の様子に、良子があたふたし始めている。
気がつくと、通路に立ち止まってこちらを見ている白衣姿の研究員や、部屋から顔を出して様子を伺っている事務員やメカニックの姿がいくつも見えた。
「あの子が……例の……」
「結構、可愛くない?」
通路のあちこちから小声が聞こえてくる。
「い、行こっか、久遠くん。」
良子は久遠の背を抱えるようにして、所長代理室に向かった。
◇
二人で逃げ込むようにして部屋に入ると、良子は大きく息をついた。
「ごめんねー、久遠くん。」
「いえ……。ちょっとびっくりしましたけど。」
二十畳ほどの部屋に、シンプルなオフィス用デスクと、簡単なミーティングスペースが置かれている。
高い天井には自然光を模した特殊な照明が光を落とし、白い壁には一面を覆うような大型ディスプレイがかけられ、深い森林と小道、その前を流れる小川のせせらぎが映し出されていた。
「ちょっと着替えるから、そこのソファーに座って待っててくれるかな。」
良子はコート掛けにかかっていた白衣を手に取ると、部屋の隅にある更衣スペースに入った。
薄い扉越しに、わずかに衣擦れの音がする。
一枚の壁を隔てて篠宮良子が着替えているのかと思うと、久遠は落ち着いて座っていられなかった。
「お待たせ。」
中から現れた篠宮良子の姿を見て、久遠は思わず息を呑んだ。
綺麗に前髪を作って口紅を引き、髪留めを使って長い髪を後ろにまとめている。
丁寧にアイロンがかけられた白衣は、細身の身体にしっかりサイズが合っていた。
「……所長……代理……。」
呆然として呟く久遠に、良子は恥ずかしそうな顔で答える。
「なんか照れちゃうわね。それに所長代理ってもね、雑用係みたいなものよ。」
彼女はそう笑ってミーティングスペースの椅子に座ると、傍の小さな冷蔵庫からペットボトルのお茶を二本取り出してテーブルに置いた。
「びっくりさせちゃってごめんね。みんな悪気はないんだけど、狭い所帯だからすぐ噂話に花が咲くっていうか。」
良子はペットボトルのお茶を久遠に薦めながら続ける。
「ほら、あの常闇坂のこと、覚えてるでしょ?」
「ええ……。」
久遠は常闇坂に現れた巨人を思い浮かべながら頷く。
「久々に動く相手の近接調査だったから、研究所のみんながあの時の録画を見ているわけ。」
巨人の頭部に回し蹴りを叩き込むあかりの機体を思い浮かべた。
「だからちょっとだけ、ここでは有名人なの、久遠くん。」
「そうなんですか。」
良子がちょっとだけ顔を赤らめていることには気がつかない久遠。
彼女の脳裏には、あの夜に冷たいアスファルトの上で久遠に抱きすくめられた自らの姿が思い出されていた。
「と、こんなことを言いにきたわけじゃないわね。」
良子は姿勢を正す。
「改めてお礼を言いたいわ。久遠くん、あの時はありがとう。」
「いえ……。僕は何もしてなくて。城戸さんが助けてくれたわけだし……。」
顔を赤らめて俯く久遠に、良子は優しげな笑みを向ける。
「それに、私の話を聞いてくれるって言ってくれたの、嬉しかった。」
久遠は思わず息を呑む。
「だからちゃんと説明したいと思ったの、私たちのことを。」
良子は手元のスマートフォンを操作する。
壁面ディスプレイの一部にウィンドウが現れ、常闇坂に現れた巨人と、鎧のような装甲の機体が映し出された。
「……常闇坂に現れた巨人の方はわかるわね。」
「はい。十五年前に現れたという……。」
「そうね。おそらく近代社会史の授業でも出てきたと思うけど、十五年前に世界中に現れた『次元獣』と呼ばれる存在よ。」
「次元獣。」
久遠は小さく繰り返す。
世界的な総称としては「
紫色の体表を装甲や機械で部分的に覆った姿が共通しており、人間ほどの大きさからその数倍、あるいは数十倍の大きさの様々な形状を持つ個体が観測されていた。
「先日現れたのは十五年前の生き残りと考えられているの。」
「どこかに隠れていたとかですか?」
「別の次元にいたもの、と言われているわね。」
「別の次元?」
「私たちは『境界』と呼んでるわ。」
良子は壁面のウィンドウを切り替え、分析チームの北沢主任が作成した「境界」のモデル図を表示する。
「別次元にある『境界』から私たちの世界にやってくる次元獣の調査。それが私たちの仕事なの。」
「仕事……。」
「私や真美、あかり、一真くん、大進、静香もそう。同じ組織に所属しているわ。」
ウィンドウの資料は国際連合ウィーン支局の建物を映している。
「国際連合ウィーン支局 外的脅威局付き外的脅威調査チーム。」
資料は国際連合のマークから、扉と鍵をモチーフとした紋章へと切り替わる。
「
「国連外的脅威局外的脅威調査チーム……。
資料には英語で「United Nation Investigation Team of Threat from External」と記され、。
「ちょっと長いよね。だから略して、ユニット。」
良子は少し笑って、画面に映る資料のページを送る。
十五年前の外的脅威の侵攻があった際に、世界を繋ぐ役割を担ったのは国際連合だった。
外的脅威が現れてから五日目、ウィーン国際センターにて、国連加盟国に非加盟国の一部を加えた緊急の国際会議が開かれる。
それが歴史に残る「第一次ウィーン会議」だった。
各国の壮絶な綱引きはあったものの、最終的に人類の砦は、オーストリアのウィーンを本拠地とする国際連合ウィーン事務局内に作られた「外的脅威局」が担うこととなった。
やがて人類は、外的脅威の消失という形で勝利を迎え、国連はこれまでとは比べ物にならない勢いで各国への影響力を増していくこととなる。
「とはいえ。」
良子はペットボトルのお茶を一口飲んで続ける。
「十五年の間、幸いにも外的脅威の侵攻は無かったけど、時々別次元に取り残された次元獣が、地表に現れることがあるの。私たちはそれらの予測や調査、そして調査という名目での”駆除”を行っているのよ。」
良子はウィンドウ内の薄い灰色の機体を拡大表示させる。
「そのために使用しているのが、この強化装甲。私たちはディメンジョン・アーマーと呼んでいるわ。」
「ディメンジョン・アーマー……。」
改めて見ると、その機械の鎧は、今までに見たことがあるロボットやアシストスーツとは一線を画していた。
「元々は歩行補助器具から始まった計画に、最新のロボティックス技術を投入して大鳥研究所が完成させたのよ。」
「大鳥研究所って確か……。」
「そう、新誠学園高等学校のOBでもある大鳥真美博士の実家。ちなみに、今いるUNITTEの研究施設も大鳥研究所が請け負う形でやってるわ。ここ一帯、真美の家みたいなものよ。」
良子が困り顔に笑みを加えた微妙な表情で床を指差した。
大鳥真美博士は、新誠学園の生徒なら誰もが知る有名な存在だ。
二十代前半でありながら、機械工学、エネルギー工学、量子力学などいくつもの分野で大きな研究結果を残している。
それにとどまらず、大鳥研究所のトップとして多くの国家、大企業に協力することで、世界的なロボティックスの飛躍的な進化をもたらし、日本がその分野で大きな存在感を見せる推進力になったという。
しかしながら、メディアにはほとんど姿を見せないため、その私生活その私生活や人物像は謎に包まれていた。
「大鳥博士もこの研究所にいるんですか?」
「まあ、久遠くんはすぐに会うことになると思うけど……。」
「?」
「真美はちょっと変わって……いえ、ちょっとユニークだから……。慣れてね。」
良子は苦笑しながら、再び画面の資料を操作し始めた。
壁面ディスプレイに、常闇坂で巨人と対峙する灰色の装甲の記録映像が映し出される。
映像は記録用ドローンにより、数種類様々な角度から撮影されていた。
「あかり達はディメンジョン・アーマーを扱うのが仕事なの。」
「あんな大変な仕事をしているなんて……。」
「正直、今までは完全に動く相手を調査対象にしたことはなかったし、普段の大部分の業務は動作試験がほとんどなんだけどね。」
良子は表情を崩さずに付け加える。
「私たちが行なっている次元転移の研究や、次元獣の調査、そしてディメンジョン・アーマーの成果。みんなの頑張りもあって、さまざまな研究機関や企業、国家機関から引っ張りだこだし、国連の中でも注目度が上がっているわ。」
久遠はペットボトルを手に持ったまま身を乗り出して聴いている。
「その分、仕事もどんどん増えているけど、今は世界中で本格的な復興が始まっているから、人も資材も何もかも全然足りていないの。特に人材不足は決定的で、ウチも慢性的に人不足なのよね。」
久遠が頷く。
「ウチの事情を知っていて、優秀な人がいたら、いつでも手伝って欲しいなって思っているわけなの。」
久遠は再び頷く。
「久遠くんは、その、ウチの事情も今知ったし、図書委員会でも色々手伝ってくれるじゃない……?」
久遠の動きが止まる。
良子は恥ずかしそうに、両手の細い指を絡ませながら続ける。
「もちろんね、無理に、とは言わないんだけど……。」
いかにも言いずらそうに顔を少し赤らめながら目を逸らしている彼女の姿に、久遠は思わず息を呑む。
「そういえば……。冷蔵庫に北海道のお土産でもらった美味しいチーズタルトがあるんだけど……。食べてく?」
彼女の提案に、久遠は少しの間固まったままだったが、やがてこくりと頷いた。
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