#6 コロし場

 今、俺は「コロし場」などという物騒な場所に案内されているところだ。繁華街にいたはずなのに、気づいたときには人の気配もほとんどなくなっている。アズラは「現場に向かう導線上で他人の目撃をほぼゼロにカットできる」なんて言っていたが、あれは本当だ。当事者だろうが初めて行く人間は、樹海にでも迷い込んだように、方向感覚が失われ、今自分が現実の世界にいるのかどうかすら怪しい気分になってくる。


「……まだ着かないの?」


 遊園地に向かう途中の子供のようにシンプルに尋ねる。もう何度か同じことを聞いているからか、ルルハは「……ん」とだけ言い、歩き続けていた。俺がこの質問を何度もしているのは、ここが現実であることを確かめるために何かを喋ろうとするも、適当な話題が見つからないというのが理由の1つ。さっきから張り詰めた様子のルルハの気持ちをほぐそうとするも、適当な話題が見つからないというのが2つだ。


「なんか喋らない?」


 精一杯別の言葉を発してみた。しかも、相手にいい話題はないかと言わんばかりの発言に、少々申し訳なさを感じるが、意外にもルルハは口を開いた。


「あたしも初めてだから、ここ行くの」


 ……そりゃそうか。コロされ屋なんて業態が真実だとしたら、“商品”となる女の子がその職務を遂行するのは1度きりなはずだ。無感情に喋るルルハの声からは、ごく僅かに恐怖の震えのようなものが感じられた。


「あのさ、止めない? こんなこと」


 自然とそんな言葉を吐いていた。コロされ屋の話を聞いてから、そんなもん冗談だろうと思っていた。だから、「やめろ」だなんて言うのは何マジレスしちゃってんですかって思われそうで、言わなかった。でも今は、一歩また一歩と歩くたびに、事実かもしれないという気持ちが高まっていくのが感じられている。


「止めない。何でそう思うの?」

「何でって……。死ぬって普通に普通じゃないよ。俺にできることがあったら何でもしたいなって思うようになったんだ。君に」

「……へぇ、もしかして好きになったとか?」

「うん」


 自分でも驚くほど、淀みなく肯定をしていた。ルルハは何事もなかったように歩き続ける。俺はたぶん本当に好きになり始めているんだろう。きっと、ただ可愛いから好きになっているだけだ。困っている子を守りたいという俺の中の本能みたいなものがうずいているというのもあるかもしれない。そんな小学生の恋愛みたいな情けない感情かもしれないけど、きっと俺はこの子が気になり始めてる。


「ルルハちゃん、君に何のメリットがあるの? 莫大な報酬ってわけでもないでしょ? だって死んじゃうわけだし……」

「……」

「保険金……だとしても家族もいないって言ってたよね」

「……」

「全然わからないんだよ。思いつかない。きっと意味なんてないんだと思う。辛いことばかりって言ってたけど、俺が……少しだけかもしれないけど、楽しいことを増やしてあげる。だから……止めよう」


 俺が思いつく精一杯の言葉だった。告白のつもりもあったのかもしれない。俺の気持ちを、俺の脳みそで考えつく言葉に変換できたと思う。ルルハは立ち止まり、身体ごとスッとこっちへ振り返った。


「わからないと思うよ。フカワさん、きっとあんたにはわからない。あたし、ずっと独りで生きてきた。ずっと真っ黒な沼の中で溺れながら生きてきた。そんなところで、何かをしようとしても、できないの。手足を動かすのも重苦しい、息をするのがやっと。何かしないと抜け出せないけど、何もできなくなっちゃってる人もいるんだよ!」


 ルルハの目には涙が浮かんでいた。俺は、愚かだったかもしれない。いや、きっとそうだ。俺の100倍つらい人生の人がいたとして、その人に「俺もつらいことあったし、お前もがんばれよ」って言った。そういうことを今俺はしたのだと感じた。しかも「お前のつらさはわからない」というおまけ付きで。


「フカワさん、あんたがあたしをコロせば、あんたの記憶に嫌でも残るでしょ?」

「……それは――」

「できることがあったら何でもする、か。なら死んだあたしと、一緒に生きてみてよ」


 嫌なニオイがする。実際に香りが漂っているわけではないと思うが、何というか、嫌なニオイだ。気がつけば、ルルハの後ろには、古ぼけた小さな工場のような建物があった。ルルハは鞄から鍵を出し、意外にもなめらかに動く引き戸を開ける。ここがコロし場……。どうしたらいいんだろう。逃げ道もあったのかもしれない、だがもうそれはない。見失っている。封じられている。今日起きたことすべてが頭の中に蘇り、ぐちゃぐちゃと撹拌されていく。俺は思考が停止したまま、コロし場へと足を踏み入れた。


つづく

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