フォーマルハウトの追憶

橘 薫

フォーマルハウトの追憶

身に覚えのない宅配が届いた。両手ですっぽり収まるような小箱で、だが見た目よりも随分と重たかった。振ってみても何の音もしない。差出人を見ると、数ヶ月前宇宙に旅立った友人からのようだった。

そういえば「そのうち連絡する」とかなんとか言っていたっけなと思い出す。連絡不精のあいつにしては珍しく覚えていたらしい。

何の変哲もない小さなダンボール箱は、テープの留め方がぴっちりと丁寧で、それがなんともあいつらしかった。カッターナイフを使って、中身を切らないよう慎重に封を開けると、箱の中から黒くて大きな折り畳まれた何かが勢いよく飛び出してくる。それはよっぽどギュウギュウに詰め込まれていたらしく、どんどん出てくる黒い何かはカーテンのように広がって、あっという間に俺の部屋をすっぽりと覆い尽くしてしまった。真っ暗になってしまった部屋の中に、空の小箱を持った自分だけがぼんやりと突っ立っている。

こんな小箱によくもまぁここまで詰め込めたものだ。最後に空の箱からひらりと落ちたメモ紙を拾うと、走り書きのような乱雑な字で「宇宙のおすそ分け」とだけ書いてあった。なるほど、黒い何かはあいつが切り取った宇宙だったようだ。話には聞いたことがあるが、実物は初めて見た。それにしても、友人に渡す手紙の字くらいもっと綺麗に書けないのか。字が下手な訳じゃないからもう少し丁寧に書けって前から言ってるのに。

今この場にいない友人へ心の中で不平を述べて、「まぁあいつはそういうやつだしな」と諦めのため息をついた。改めて先程まで部屋だった空間をぐるりと見回すと、暗さに目が慣れてきたのか、黒いだけだった空間にだんだんとチラチラした星の瞬きが浮かび上がってくる。まばたきの間にぶわっと沢山の星の輝きが増えて、小さなワンルームはあっという間に宇宙になった。星々は、白、赤、青、紫…と、様々な色に光り、場所によってはガス状の光が綺麗なグラデーションを描いて煌々と輝いている。宇宙というのは、思っていたよりカラフルな場所なのかもしれない。一応、息は出来るし、足も地面に着いている感覚がある。空気があるのは助かったが、地球上で宇宙を広げても無重力にならないのは、ちょっとだけ残念に思った。

なんとなく、両腕を目いっぱい横に広げてみる。真っ直ぐピンと伸ばした指の先に、果てなく続く宇宙の星々が幾億と輝いている。その美しさにほぅ…とため息をつくと同時に、自分という存在のちっぽけさを自覚して、背筋が少しゾクッとした。

今度はそのまま、大の字に床に横たわってみた。宇宙の中にいるのに「床」というのもロマンに欠けるが、実際そこに自分が踏みしめる床があるのだから、他に言いようがないだろう。大の字になって見上げる宇宙は、最初はいつも見る夜空に似ていると思ったけれど、やっぱり全く違っていた。近い星はもっと近く、遠い星はもっと遠かったし、星の輝きはもっとずっと澄んで、眩しかった。何より、どこをみても境界線が無く、端がない。どこまでもどこまでも、星々のきらめきが続いている。今自分がいるのは宇宙なのだから、当たり前と言われればそうなのだが、それを当たり前だと言われる空間にこうして居られることが何より嬉しくて、一つ一つ噛み締めずにはいられなかった。そうか、これが宇宙か。俺は今、宇宙の中にいるのか。………そしてお前は、こんな宇宙に行ったんだな。

寝そべったままでひとしきり宇宙を見回した後、今度は起き上がって胡座をかいた。アイツと夜空を見上げる時も、よく2人でこうして胡座をかいて並んでいたことを思い出す。


物心ついた頃から、何気なく夜空を眺めることが好きだった。別に、星が好きとか宇宙が好きとかそういう訳ではなくて、俺はただ夜空を見るのが好きだった。果てしない宇宙の一部分を今自分が眺めているのだと思うとワクワクしたし、小さな星が無数に散らばる空が、純粋に綺麗だと思ったのだ。夜空を見ている間は、日々の嫌なことも何も忘れていられた。だから学生時代よく親の目を盗んで、深夜にこっそりと抜け出し、自宅から数分歩いた所にある河川敷に行っていた。家の近所では、そこが1番空が拓けていて、広い夜空が見られたのだ。

そんな、1人でぼーっと夜空を見上げる俺に、ある日突然あいつが話しかけてきたのが、俺たちの始まりだった。あいつも星空が好きでよくこの河川敷に来ていて、度々見かける俺のことが少し気になっていたらしい。最初は、なんだか自分だけの時間を邪魔されたような気分だったが、星や宇宙について造詣が深いあいつの話はことのほかおもしろくて、いつの間にかあいつと話すのが何より楽しい時間になっていた。偶然にも同い歳だった事も、俺たちの仲を近づける大きな要因になった。お互い、身近に同じ趣味を持つ人間がいなかったのだ。俺たちは、特に待ち合わせをするでもなくこの河川敷に来て、互いの姿を見かけては声を掛け、夜空を見上げながら果てない星々に思いを馳せた。隣であいつの解説を聞いていると、夜空がもっと綺麗で、素敵なものに感じられた。約束なんてしていないから、1人の日もあったが、それでも出会わない日の方がずっと少なかった。

「なぁ、フォーマルハウトって知ってるか?」

残暑が過ぎて、サラリとした夜風が涼しく吹き抜けるようになった、秋の中旬頃。あいつからそう話しかけられた。俺たちがこうして会うようになってから、大体1年が過ぎた頃だった。宇宙の話をする時、あいつはいつも楽しそうだったが、この日はいつにも増してテンションが高く楽しそうで、瞳もキラキラ輝いていたものだから、特に印象に残っていた。

知らないし、聞いたこともないという旨を伝えると、あいつは夜空を指差しながら、弾む声で生き生きと俺に解説を始めた。

「あそこに一際輝いて目立つ星があるだろ?あれがフォーマルハウトっていうんだ。秋の夜空で唯一の一等星で、みなみのうお座の口の部分なんだよ」

「みなみのうお座?」

「そう。星座占いとかにあるうお座とは別の星座なんだ。フォーマルハウトから、こうやって星を繋げた星座」

こうやって、と言いながら、あいつは空中に人差し指でみなみのうお座の形をなぞった。なぞってはくれたが、正直よく分からない。

「分からないか?まぁ他の星は四等星以下ばかりだから分かりにくいかな…。そうだ、ちょっと待ってろ」

言うが早いか、あいつはカバンの中からノートを取り出して適当なページをちぎると、懐中電灯の明かりを頼りになにやら書きだした。

「ほら、こんな形なんだ。ちなみにこれがフォーマルハウトな」

あいつが書いた、星に見立てた白い丸を線で繋いだ図は、三角形を書くのに失敗したような形だった。なるほど、これがみなみのうお座なのか。………それにしても、

「お前、字汚いなぁ」

何重も丸を書いて強調された白丸の横の、『フォーマルハウト』と書かれた文字を見ながら、俺はしみじみとそう言った。星座がこんなに丁寧に書けるんだから、字ももう少し綺麗に書けるだろうに。あいつは「そうか?読めるんだから良いじゃん」とあっけらかんとしていた。変なところで大雑把な奴だ。

「俺さ、星の中でフォーマルハウトが1番好きなんだ」

顔を上げて、夜空に輝くフォーマルハウトの方をじっと見つめながら、さっきよりも幾分静かな声であいつは話し出した。

「小学生の頃、本を読んで初めて知ったんだけどさ、フォーマルハウトは秋の夜空で唯一の一等星だから、『秋のひとつ星』って呼ばれてるんだ。夏とか冬の夜空はもっと沢山一等星があって賑やかなのに、秋はフォーマルハウトだけ。なんかそれがさ、すごくかっこいいなって思ったんだよ。一人きりだけど、堂々として、『自分はここにいる』って凛と輝いている孤高の星。それがフォーマルハウトなんだ」

へーと感嘆を漏らして、俺もあいつに倣って夜空を見た。星の区別は未だによく分からないけど、さっきあいつが指さしてた方にある、1番光っている星。多分あれがフォーマルハウトなのだろう。特段星に詳しくもない俺でもすぐに分かるくらい、フォーマルハウトは眩しくて、確かにそれは、しんと静かな秋の星空の中では、力強く堂々とした佇まいに見えた。

「だから俺、いつかフォーマルハウトまで行って伝えたいんだよ。お前の輝きは、遥か25光年離れたこの星にも、しっかり届いていたぞって」

真っ直ぐに秋の一等星を見つめて、あいつはそう言った。楽しげな声は、しかし決意にも満ちていて、ああこいつは本気なんだなとそれだけで伝わってきた。

「良い夢じゃん。フォーマルハウトも、きっと喜ぶんじゃないか」

俺がそう言うと、あいつは少しだけ驚いた顔をした後、心底嬉しそうに笑った。

「お前ならそう言ってくれると思った。やっぱり、一番最初に言うのがお前で良かったわ」

「他には誰にも話してないのか?」

「ああ。前に一度、親にふわっとだけ話してみた事はあったけど、叶いもしない夢をみるなって一蹴されてさ。だから、こうやってちゃんと話したのは、お前が初めてだ」

「…そうか」

意図せず沈んでしまった俺の声色を跳ね返すように、あいつはハハハと笑ってみせた。

「でも俺は、絶対諦めないぜ。いつか絶対、フォーマルハウトに行ってみせる」

力強いあいつの言葉に、何故だか俺が背中を押されたような気分になった。自然と口角が上がっているのが自分でも分かる。

「応援するよ。お前の夢。他の奴らが皆反対したとしても、俺だけはずっと応援してる」

「はは、ありがとな!…にしても、フォーマルハウトが喜ぶかぁ…。お前も案外ロマンチックな所あるよな」

「うるせぇ。お前に言われたくねぇわ」

そうして俺たちはまた笑いあった後、各々再び秋の夜空を見上げた。星が綺麗で月も綺麗な夜だった。

俺に夢を語った後、照れ臭そうに笑ったあいつは、なんだかフォーマルハウトに似ているなと思った。


それから、高校卒業を機に、あいつとは滅多に会わなくなった。実家を出て、ここから遠い大学へ進学したらしい。たまに連絡は取りあっていたけど、俺もあいつも基本的に星や宇宙以外の話はしないから、互いの進路についてはさっぱりだった。たまの便りで、お互い元気にやってることが分かれば、それで充分だった。

それからまた数年が過ぎて、宇宙に関する研究が格段に進歩した。宇宙は「ごく一部の人が行ける、遥か彼方の夢物語」から、「物凄く頑張って追い求め続ければ、誰でも手が届く所」くらいになった。月の観光や宇宙と地球間の郵便、宇宙の一部を切り取って持ち帰る技術だったり、そういう技術革新がそう珍しくなくなってきた頃、あいつから「近々宇宙へ行けることになった」と連絡が来たのだ。

俺は恐らく、自分の人生で一番と言って良いくらいに興奮して、すぐにあいつに電話をかけた。電話越しで表情は見えなかったが、あいつも随分興奮しているようだった。本当なら会って直接祝いたかったが、出発まで予定が詰まっていてそれは難しいらしい。

「フォーマルハウトの方面へ、調査に行く船に乗れることになったんだ。何年かかるか分からないけど、この目で間近に見てくるよ」

落ち着いたら宇宙郵便で連絡する。宇宙から郵便が送れるなんて、便利な時代になったよなぁ。なんて言って、あいつは昔と同じようにハハハと笑った。それがあいつとの最後の会話だった。ほどなくしてあいつの乗る宇宙船が宇宙へ飛び立ったのをニュースで知って、それから数ヶ月経ち、今に至る。

楽しげなあいつの声を懐かしく思いながら、部屋に広がった小さな宇宙を仰ぎ見る。この無数の美しい星々の中に、フォーマルハウトはあるのだろうか。秋の夜空の中ならすぐに見つけられたのに、宇宙の中となると全く分からない。あいつは見失っていないだろうか。いや、あれだけ情熱を持っているんだから、それは杞憂というものか。

宇宙に包まれてから、どれくらい経っただろうか。何時間も経ったような気もするし、まだ数分しか経ってないような気もする。思えば、社会人になってからはこんなにゆっくりと星を眺めたことは無かったかもしれない。俺は、あいつのくれた美しい宇宙を網膜に焼き付けるように、ただひたすら眺めていた。いつまで見ていても飽きる気がしなかったが、隣からあいつの楽しげな解説が聞こえてこないのは、なんだか物足りなく思った。

そのうちに、部屋に広がっていた宇宙は、ひとりでに小さくなっていって、部屋の真ん中の方で小さな丸になり、やがて消えていってしまった。切り取った宇宙というのは、どうやら消耗品らしい。残念だけれど、本来地球上には存在し得ないものだから、仕方の無いことなのだろう。

かなりの時間が経っていたようで、いつの間にか日はとっぷりと暮れていて、部屋の中は静かな暗闇に包まれていた。俺は部屋の電気をつけようとして、少し逡巡したあとやっぱり止めて、窓を開けベランダに出た。秋も半ばを過ぎて、吹く風は涼しいと言うよりひんやりと冷たくなってきている。久しぶりに探すから少し時間がかかるかと思ったが、目的のものは案外すぐに見つかった。フォーマルハウトはあの日と同じように、秋の夜空の中で1番に輝いている。ただ、南の空にぽつんと輝くその姿は、あの日と違って少し寂しそうにも見えた。俺が歳をとったからか、感傷に浸っているからなのか、そのどちらもなのか。なんにせよ、その星が美しいことに違いはなかった。

「俺の友達が、これからそっちへ行く予定なんだ。もし会ったら、その時はよろしくな」

届くはずもない頼み事をして、自嘲気味に笑ったあと、俺はまた部屋へ戻った。


あいつの乗った宇宙船が、消息不明になったと報道された、その数日後の出来事だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フォーマルハウトの追憶 橘 薫 @87tachibana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ