燕のお礼

増田朋美

燕のお礼

彼岸がやってきた。暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、最近はだいぶ涼しくなっており、エアコンもいらないですごせる日が増えてきている。そんな中、杉ちゃんはいつもどおり、製鉄所で着物を縫う作業をしながら、水穂さんの世話を焼いていたのであるが。

「こんにちは。だいぶ涼しくなりましたね。みなさんお元気ですか?」

そういいながら、入ってきたのは亀山弁蔵さんだった。不自由な左足に片手をそえつつ、肩を波みたいに上下させながら、よちよちと歩いてくるのは、正しく弁蔵さんならではのあるき方だった。

「あ、弁蔵さんどうしたの?奥大井から、わざわざこっちへきたのかい?」

と、杉ちゃんがいうと、

「はい、言いにくいことですが、久子に会いに来たので、ちょっとこちらにも立ち寄りました。もうすぐ刑期が終わりになるらしいと聞いたので。最近はその手続のこととかで、こっちに来ることも多くなったんです。」

と、弁蔵さんは答えた。

「そうですか。もうそうなるんですね。それにしても早い出所ですね。」

水穂さんがそう言うと、

「ええ、模範囚だったそうで、早く出所できるようになったそうです。定期的に、手紙を送っていましたし、妹からも返事が来たことは、来たんですが、反省しているようには見えませんでしたけどね。まあ、いずれにしても、こちらに帰ることには、来ますので。」

と、弁蔵さんはいった。

「そうですか。まあいずれにしても、妹さんが、帰ってくるのは、嬉しいことでもありますが、ちょっと迷惑なことでもありますよね。」

水穂さんが、そう言うと、弁蔵さんは、はい、と小さな声で言った。

それと同時に、また玄関の引き戸がガラッと開いた。上がり框のないどまに、弁蔵さんの草履がおいてあったので、

「あら、誰かお客さんが来ているのかしら?」

と、女性の声がした。それと同時に、

「ああ、あんまり長くはいられないかもね。」

と、男性の声もした。

「ああ、用があるなら気にしないで入れ。」

と、杉ちゃんがいうと、

「はい、上がらせてもらいますよ。お彼岸だから、こさせてもらいました。」

と、二人はどんどん入ってきた。大荷物を持ってやってきたのは、以前製鉄所で食堂のおばちゃんとして働いていた、前田恵子さんと、その夫の秀明だった。秀明は、左腕が欠けていた。

「どうもすみません。わざわざ来て下さって。」

水穂さんが、そういうと、

「ああ、大したことないわよ。お彼岸だもん、挨拶に来たのよ。当たり前のことだから、気にしないでいいわよ。これは、お彼岸だから、おはぎを持ってきた。」

と、恵子さんは、鞄のなかから、おはぎの入った箱を取り出した。

「水穂ちゃん具合どう?」

「その顔色からすると、あんまり良さそうではありませんね。」

恵子さんが、そう聞くと、秀明がすぐに答えた。

「ご飯ちゃんと食べてるの?すききらいなく、しっかり食べなきゃだめよ。」

恵子さんは明るく言うが、水穂さんは、ごめんなさいとしか言わなかった。

「ごめんなさいじゃないわよ。それをいうなら、ちゃんとご飯を食べて体を治してね。それにしても。」

恵子さんは、弁蔵さんの方を見た。

「弁蔵さんが、来てるなんて、珍しいわね。奥大井湖上駅からここまで来たなんて、珍しいわ。一体何かあったの?」

「いやあ、妹さんが、もうすぐ刑務所を出るんで、うちあわせだって。」

と、杉ちゃんがいった。

「そうなんですか。それはおめでとうございます。妹さん、お元気にしていらしたのかな?」

秀明が杉ちゃんの話に合わせた。

「ええ、まあ、弁護士の先生を通じて面会にも行かせてもらいましたが、なんとかやってくれているみたいですね。まあ、刑務所で大病することもなく、刑期を終えてくれれば、それでいいかな。」

弁蔵さんは、ちょっとため息をついた。

「そうですか。それで、久子さんは、出所したあとは、一緒に暮らすんですか?」

水穂さんがそうきくと、弁蔵さんはハイと言った。

「もう、弟の英三もすでになくなってますし、二人っきりの兄妹です。仲良くやって行こうと思います。」

弁蔵さんの言葉はとても重たかった。それでは、なんだか、弁蔵さんが可哀想になってしまうものもいるかも知れなかった。

「そうかあ。でもさ、弁蔵さんが幸せになる権利はあるのよ。それまで、妹さんの世話で放棄しちゃいけないわよ。ねえ、みんなそう思うでしょ?」

恵子さんがいきなりそういった。杉ちゃんも水穂さんもそうだねと言いあった。

「なんでも、弁蔵さんが背負って生きて行かなければならないかということはないわ。欧米では兄弟がいくら犯罪者であっても、平気で結婚したりするらしいから、弁蔵さんもそれでいいのよ。だから、一緒に住むのはいいけれど、妹さんの全部を、背負い込んでしまわないように、ガス抜きをしてくれる女性が必要ね。」

恵子さんは、なにか思いついた様に言った。さすがの秀明もこれには、驚いた顔をする。

「そうだ!弁蔵さん、お見合いしてみない?あのね、小濱くんのところに来てる絵の生徒さんでね、どうしても結婚相手を探しているっていう女の子がいるのよ。ちょっと事情がある子なんだけど、今どき、そういう子じゃなければ、あたしたちに、本仲人をお願いする事は無いわよ。だから丁度いいんじゃない?会場とか、そういう事は、あたしと小濱くんで手配するから。弁蔵さんそうなさいよ。犯罪を犯した妹さんを世話するってのは、介護以上に大変よ。そのためには、奥さんが居たほうがいいわ。」

「はあ。でも結婚は、一生のことだからねえ、、、。」

と、杉ちゃんがそう言うと、

「一生のことだから、心配しているんじゃありませんか。いい、決して軽い気持ちで言っているわけじゃないわよ。本当にね、前科者と一緒に暮らしているだけでも、世間の目は辛いわよ。それを、和らげてくれる存在ってのは、ホント、必要よ。まあ幸いね、あたしの場合は、小濱くんの親戚が多くて、わざわざ北海道の留萌からきてくださるから、あまり負担は無いんだけど、田舎で暮らすんだったら、ガス抜き役が居たほうがいいわ。絶対よ。」

と、恵子さんは言った。

「後で、お見合い写真、そっちに送るわ。今は、ラインで何でも送れるからいいわねえ。ぜひ、その女性とお見合いしてみて。名前は、えーと、あなんて言ったっけ。」

「小海信代さん。」

恵子さんがそう言うと、秀明がすぐに答えた。

「なんですか、恵子さんたちは、商売仲人も始めたんですか?」

水穂さんがそうきくと、

「ええ、子供ができなかったから、そういう事情があるカップルさんの手助けをしたいのよ。今の時代、仲人をお願いしたいっていう人は、知的障害とか、そういう障害があるカップルさんとかそういう人ばっかりよ。」

と、恵子さんは答えた。

「じゃあその、なんとかという女性も、事情がある人なのか?」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ。もちろん。なんでも学校のいじめで精神疾患を持っているみたいで、長期入院したこともあったみたい。見た目は、自信ないかもしれないけど、人間は悪くないわ。小さなことでも一生懸命やる人だから、弁蔵さんのような人のいい奥さんになってくれると思う。年は、今年で39歳。ご両親も、39にもなって結婚しないんじゃ、困ってしまうって焦ってるみたい。まあ確かにそうよね。それに弁蔵さんだって、男が一人でいつまでもいるってことは、やっぱり寂しいわよねえ。ね、そうなさいよ。絶対、信代さんだったら、弁蔵さんのことを理解してくれるわよ。」

恵子さんは、急いでそういった。

「そうですねえ。確かに、人間は一人では生きていけませんからね。でも、ちょっと、強引なんじゃないでしょうか?」

水穂さんがそう言うと、

「水穂ちゃんだって、誰か素敵な人を見つけられそうなのに、前の奥さんのことを忘れられないんでしょ。それじゃあだめよ。世の中ってのはね、明るく楽しく行かなくちゃ。そのためには、誰かと一緒になることも、必要なことなのよ。」

恵子さんはにこやかに言った。

「そうですねえ、、、。」

と弁蔵さんは言った。

「でも、悪い話じゃないですし、その人がどんな人物なのかだけでも、あわせてもらったらいかがですか?」

水穂さんがそう言った。弁蔵さんはまた考え込んでしまう。

「久子になんて言ったら。」

と弁蔵さんは言った。

「ああ、簡単に言えばいいんですよ。結婚することになったって言えば。それに、妹さんが人生の全てでは無いわけですから、お兄さんが結婚するということを考えることは、妹さんに任せればいいことです。」

秀明がそういった。

「なんでも、欧米の真似をすればいいってわけじゃないけど、欧米では、兄弟や他の肉親が犯罪者でも、本人がいい人であれば、それで結婚してもいいって言う人が多いようですよ。だから、気にしないで結婚してもいいんじゃないですか。それに、恵子さんも言っているけど、男がいつまでも一人で要るということは、ちょっとおかしいと言われてしまっても仕方ないですしね。」

「そうですか、、、。ちょっと考えさせてください。また来週、刑務所で妹に面会しますので、そのときにでも話してみようかな。」

弁蔵さんは、正直に言った。

「いいじゃない。お見合いすれば。弁蔵さんが幸せになれば、久子さんだって、納得してくれるさ。」

と、杉ちゃんに言われて、弁蔵さんは困った顔をした。

「大丈夫よ。あたしが、あの女性の人の良さには保証する。後で、彼女の写真をお送りするから、容姿はだいたいこんな感じなんだなということだけ理解してね。」

恵子さんはにこやかに笑ってそういうのであるが、弁蔵さんは、小さくなってしまった。

それから、数日立って、弁蔵さんのスマートフォンに、とても可愛らしい感じの振袖姿をした女性の写真が送られてきた。確かに、女優さんのような、きれいな顔をしている女性では無いが、確かにぷくっとして可愛らしい顔をしている女性だと思った。

その日、弁蔵さんは、また奥大井湖上駅から電車に乗った。そこから、1時間近く乗って千頭駅へ。そして、千頭駅から、大井川線で2時間近く乗って金谷駅。ハイシーズンではないので、SLではないものの、大井川線は、観光客ばかり乗っていた。まさか、刑務所に行くなんて言う人が、乗るような電車ではない。金谷駅から、東海道線に乗って静岡駅。そこから弁蔵さんは悪い足でバス乗り場に行き、バスで数分。片道4時間近くかかって、静岡刑務所に行った。刑務所の受付に、亀山久子と面会というと、弁蔵さんは面会室と書かれた部屋に通された。やがて、久子さん、囚人番号598番と言われている、囚人服に身を包んだ女性が、刑務官と一緒にやってくる。

「お兄さんお久しぶり。」

という久子は、どこか元気そうな感じだった。

「そういえば、模範囚だったね。もう実社会に近い部屋で生活しているんでだってね。」

と、弁蔵さんはいうと、

「ええ。もうすぐ、出所するから、外の生活が、楽しみかな。と言っても、これからが大変だって、刑務官の方も言ってたけど。」

久子は、にこやかに答えた。

「確かに、あたしがしたことは悪いことかもしれないけどさ、お兄さんは、何も悪くないわよ。あたしたちは、亀山旅館をずっと破っていくわけでしょう?」

とそういう久子に、

「その話なんだけどね。僕は、見合いをすることにした。小海信代さんっていう女性で、ちょっと事情があるそうだが、でも、写真を見ると、すごく素敵な人みたいなんだ。だから、一度その女性にあってみることにするよ。」

弁蔵さんはできるだけいつもと変わらないように言った。

「そうなの。兄さんがそういう事言うなんて、兄さんも変わったわね。」

久子は、それだけ言った。すると隣にいた刑務官が、面会は30分までといったので、そこで面会時間は終わってしまった。ありがとうございましたと言って、弁蔵さんは、刑務所の面会室をあとにした。そして、そのままその足で、静岡市内のホテルに歩いていった。幸いホテルは、直ぐ近くにあった。ホテルマンに、亀山弁蔵ですというと、お待ちしていましたと言って、弁蔵さんを、食堂にある小さな部屋に連れて行った。

「はじめまして、小海信代と申します。よろしくおねがいします。」

と言って、両親に伴われて挨拶したその女性は、ちょっと太ってはいるけれど振袖の似合うかわいい女性だった。薬を飲んでいるということだったけれど、とても明るくて、純朴そうな雰囲気もある女性である。

「紹介するわ、亀山弁蔵さんです。とても素敵な方で、奥大井で旅館を経営されています。」

と、世話人役の恵子さんは弁蔵さんを紹介した。

「よろしくおねがいします。」

と、弁蔵さんは照れくさそうに言った。でも確かに太ってはいるけれどかわいい女性だ。もちろん化粧をしているんだろうけど、弁蔵さんにはもったいないと思われる女性だった。

「じゃあ、ふたりとも、まずは、あたしたちの質問に答えてもらおうかな。じゃあ、好きな食べ物の話をしてよ。」

恵子さんがそう言って、お見合いの進行役を始めた。弁蔵さんは、恵子さんの質問に答えた。好きな食べ物とか、好きな異性のタイプとか、そういう事を話したが、彼女はとても的確に答えをいい、にこやかにしてくれている。なんだか自分の妹が、犯罪者になってしまったということを、話せるかどうか分からなかった。恵子さんに将来の夢はと聞かれた信代さんは、

「あたしは、将来の夢も何もありません。今が幸せで、充実していれば、頑張れる。それだけです。幸せになりたい。それが一番の将来の夢です。あたしは、若い頃、受験のストレスでおかしくなってしまって、みんなが得てきたような幸せを得られませんでした。だから、いま、大事な人と幸せになれるなんて、夢見たい。こんな嬉しい事は、無いと思います。だから考えてないです、将来の事なんて。」

と、にこやかに答えた。弁蔵さんは、それを聞いて思わず、

「それは、どんな男性とでもいいと言うことでしょうか?」

と聞いてしまった。信代さんは、

「ええ。だってわたしが、好きな人と一緒に住めるなんて、20代ではとても考えられませんでした。ここに居る両親にも散々迷惑をかけました。だから、男性を選ぶなんてとてもできない。どんな男性であってもあたしの事を好きになってくれれば、こんなに幸せなことはありません。」

と、静かに答えた。それを見て弁蔵さんは、信代さんに、自分の妹が前科者であることを知られたら、きっととんでもない事を言われるのではないかと思って、お見合いを承諾することはできないなと思ってしまった。やっぱり、前科者は、こんなに寛大な人の前にいてはいけないような気がした。

「わかりました。僕みたいなみずぼらしい人間ではなくて、頑張って素敵な人を見つけてください。」

思わず弁蔵さんはそう言ってしまう。

「そんな事言わないで。何を言っているの。これはチャンスなのよ。弁蔵さん、自分のことをみずぼらしいなんて言わないでよ。」

恵子さんがそう言うが、弁蔵さんは、自分とこの女性は多分合わないだろうなとおもった。その日は、彼女と好きな本の話や、好きな音楽の話とかして、弁蔵さんは、ホテルをあとにした。帰りの観光客ばかりの古臭い電車に乗って、弁蔵さんは、やっぱりこういう世界のほうが、自分にはいやすいだろうなと思った。

それから数日後。弁蔵さんのもとに、一通の手紙が届いた。なんでも、刑務所にいる、妹の久子からだった。弁蔵さんは封を切って読んでみた。

「お兄さん、お久しぶりです。おげんきですか。亀山旅館は、元気に動いているのかな。お兄さんのことだから、堅実に一生懸命生きていることでしょう。お見合いは、うまくいきましたか?あたしは、その人の写真を見ることはできないけれど、お兄さんがお見合いするんだから、きっときれいな女性であることでしょう。あたし、お兄さんがお見合いするって言ったとき、すごいショックでしたけど、でも、あたしは、それくらいの事をしたんだなって、わかりました。だから、お兄さんには幸せになってください。お兄さんは、その女性と幸せに暮らしてね。あたしは、日雇いでも言ってなんとかするから、お兄さんは、幸せになって。ほんとに、今までありがとう。お兄さん、幸せになってください。」

最後の方は、涙で濡れているらしく、文字も乱れていた。多分久子は、すごい葛藤のなかでこの文句を出したのではあるまいか。おそらく、大粒の涙をこぼして泣いたに違いない。多分、そういうことだろう。

思えば、久子が、殺人を犯したのも、自分のせいだと思っていた。自分がまともに歩けないせいで、久子は、亀山旅館の改築を考えた。でも、それが、工事の関係者の人にうまく伝わらなかった。久子は、それで工事の作業員に詰め寄って、それが結局殺人ということになってしまった。それでは、自分が悪いのだ。それなのに久子と来たら、こんな文句を書いて送って。弁蔵さんは、結局、自分には、幸せになっては行けないのではないかと思った。だから、返事を書かなくちゃ。弁蔵さんは、急いで便箋を机の引き出しから出して、返事を書き始めた。もうすぐ久子が、刑期を終えて出所してくるのだから、ちゃんと自分は迎えに行くと。

その日も、弁蔵さんは、亀山旅館の業務をしていた。その日は、二人の観光客がやってくる。そのお客さんを、一生懸命迎えてあげることが自分にできることだと思った。彼は、その日も、歩きづらい足で、一生懸命亀山旅館の玄関先を掃除した。

いつの間にか、木の葉が木の枝から落ちてくる季節になった。もう夏は終わって秋が本格的にやってきたのだ。そして、妹の、久子が、出所する日も

確実に近づいてきているのだ。その日は、一人で迎えに行ってあげることが、彼女がしてくれたことへのお礼なのではないかと思った。

もう燕が南の国へ旅立っているのだろうか。最近燕の姿を、見かけることがなくなった。もう季節は変わっていく。それは、人間には誰にも変えようの無いことだなと思うのだった。


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