六杯目 新しい冒険の始まり(2)

「それでも金貨六〇〇枚か……」

「まだ続きがある。『ヒドラの尻尾』の状況はもっと切迫していた」

「『ヒドラの尻尾』の記念品は五〇〇枚くらい貸してくれるのか?」

「ゴールドが『ヒドラの尻尾』に移籍すれば三年間、毎年金貨二〇〇枚の謝礼が出る」

 『笑うバンシー』でランクアップして『ヒドラの尻尾』に移籍すれば実質無料。

 それなら自分も、と思ってしまい、青年は狼狽うろたえた。これでは同類だ。しかしその魅力にあらがえない。

「真似をしようとしても無駄だぞ」

 青年の葛藤を見透かしたように男が冷や水を浴びせる。

「『笑うバンシー』はあっという間に潰れた。元をとる前に移籍されたらひとたまりもない」

 青年は組んだ両手を額にあてて目を閉じる。

「オレにもそんなチャンスがありますように!」

 人生で最も真剣な祈り。

「神頼みしているようでは無理だな」

 男の無慈悲な宣告。

「冒険と同じだ。なんの準備もなしにチャンスがつかめる程甘くない。世の中の動き前触れに気づかなければ、他の奴らに出し抜かれる」

英雄亭こんなところにいたら、そんなことわかるか」

「愚痴、噂、自慢話。その気になればネタはいくらでもある」

 青年は納得いかない。酔っ払いどもの戯言たわごとを信じろと言うのか。

「例えばあれだ」

 男が指したテーブルは周りから浮いていた。最近見かけるようになった連中だ。酔っ払いには違いないが服装がこの国のものとは違う。

「国が豊かになれば受け皿ギルドはいずれ不要になる。そうなる前に他国のギルドと手を結んで生き残ろうとしているのかもしれない」

「考えすぎだろ」

 男は目線をそのとなりのテーブルに移す。悲嘆に暮れる三人。み交わす杯は六つ。

「昨日サルベージを頼んでいたパーティ生き残りだ。上層で下層のモンスターに出くわしたらしい。ギルドの連携たくらみを牽制しているのかもしれない」

 訓練場ダンジョンは【宮廷魔術師】が管理している。もちろんモンスターの配置も。

「考えすぎ――」

「国境近くの村から来た新入りによると、村長が向こう側の様子に神経をとがらせていたそうだ。この国とギルドを争わせて、そのすきに攻めるつもりかもしれない」

 一つ一つは『かもしれない』にすぎないが、つなげて語られるともっともらしく聞こえる。

「……いつ?」

「ギルドも【心労王】もバカじゃない。今すぐ事を荒立てたりはしないだろう」

 青年の体から力が抜けた。いつの間にか緊張していたらしい。

「起きるかどうかもわからないものを当てにできるか」

「それなら明日、この国を滅ぼしてやろうか?」

 ただの冗談、のはずが青年の背筋は凍りついた。男の穏やかな声にひそむ得体の知れない何かに。

「あんた、いったい何者なんだ?」

 渇いた喉からかろうじて絞り出した声はかすれ、震える。

「俺か? 俺はな……」

 青年は唾を飲み込むこともできずに男の言葉を待つ。

英雄亭ここ店主オーナーだ」

 雷に打たれたような衝撃。

「ええぇぇ!?」

 一拍遅れて青年の声が裏返った。

 『俺が【心労王】だ』と言われてもこれほどショックは受けなかっただろう。この男のお情けで今まで生きてこられたのかと思うと、目の前が暗くなった。

 魂が抜けて石像と化した青年の後ろを、なみなみと酒が入ったジョッキを両手一杯に持った女店員が通りかかる。

「正確には『オーナー』よ」

 女店員は少し離れたテーブルにジョッキを乱暴に置き、同じ数だけ空のジョッキを持って戻って来た。

「昔、仲間に裏切られてだまし取られたの」

 すれ違い様にそれだけ言うと、そのまま店の奥に引っ込んだ。

「相変わらずひどい店員だ。ネタをばらすのが早すぎる」

 男は緩んだ口元に杯を運ぶ。

「あ、あ、あんた、こんなとこでなにやってんだよ! 悔しくないのか!?」

「俺がここでのうのうと飲んでいるのを見たら、親友あいつがどんな顔をするのか見たくてな。それが俺の冒険だ」

 ふざけているのか本気なのか、青年にはわからない。

「そんなことしていられるのも移籍金がある間だけ今のうちだ」

 路頭に迷え。

 しかし青年のささやかな呪詛じゅそも男には通じない。

移籍金似たようなことはどこのギルドでもやっている。『笑うバンシー』の二の舞にはなりたくないからな。別のギルドで俺の冒険は続く」

「そんな冒険があるか!」

「持てる力を駆使して目的を達成するのが冒険だろう。俺はあいつの顔を拝むために最善をつくしている。おまえはどうなんだ?」

 青年は言葉に詰まる。

 冒険者登録証は持っているが、そんなものはただの板切れだ。

 冒険をしなければ冒険者ではない。

 自分が全力で挑むべき冒険やりたいこととは。

 気づけばそれは身近にあった。

「いつか英雄亭この店を買い取って、あんたを追い出してやる。それがオレの冒険だ」

 目と口を大きく開き、男が動きを止める。が、すぐに大きな声を上げて笑った。

「それはいい! 魔王討伐に匹敵する最高の冒険だ! 成功を祈って銅貨を5枚賭けてやろう」

 男が苦しそうに腹を抱える。

「言ってろ。いつか絶対に吠え面をかかせてやる」

 こらえきれずに笑いを漏らし続ける男に背を向け、青年は鼻息荒くカウンターへと歩き出した。


 ひとしきり笑った後、ようやく落ち着きを取り戻した男が酒を口にした。

 刹那、男の周りに静寂が訪れる。

「そろそろ頃合いかと思ったが、もうしばらく楽しめそうだな」

 ランプの炎がくすぶり、男の影が揺らめいた。

 まるで同意するかのように。


 *


 ここは英雄亭。

 死者をいたんで生者が祝杯を挙げる場所。

 店が閉まっているところを見た者はいない。

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