五杯目 ソーサー(2)

「嘘は言っていない。魔王はいずれ復活する。それがいつかわからないだけだ。もしかしたら既に復活していて、どこかで酒でも飲んでいるかもしれんぞ」

「だったら冒険者に何の意味が……」

 男は手の中で器用に杯をもてあそぶ。

 青年は無意識に杯の中で踊る酒を目で追いかけてしまう。

「【心労王】のおかげで平和になったが、いいことばかりじゃない。いくさで死ぬことはなくなるし、安心して子供を産める」

「いいことじゃないか」

 男が意味ありげに青年を見た。

「仕事はヒトほど急には増えない。

 青年の家は貧しい農家で、食べていくだけで精一杯だった。狭い畑は兄たちだけで十分耕せる。肩身が狭かった青年にとって養成所の勧誘は渡りに船だった。

「働かなくても腹は減る。でも金はない。そんな奴らが何をすると思う?」

 青年がうつむく。もしあのとき英雄亭ここで働けなかったら?

 万引き、食い逃げ、ひったくり。なんでもやっただろう。生きるために。

 男は残りの酒をはかるように杯をのぞき込む。

英雄亭ここは昔、【銀のはさみ】という名の知れた商会だった。ゴロツキどもに襲われるまでは。金品を奪われた上に火をつけられて十三人が死んだ」

 青年は息を飲んだ。そんな所業は青年の『なんでも』には入っていなかった。

「そいつらは見せしめに処刑されたが、そんなことはお構いなしに次々と他の店も襲われた。自棄やけになった連中に脅しは通用しない」

 いつ、どこで、誰が襲われてもおかしくない状況。平和とは程遠い。

「【心労王】は黙って見てたのか?」

「まさか。事態を重く見た【心労王】はめぼしいゴロツキ共にかねを与え、さらに『みかじめ料』を取ることを許可した」

「そんなことしたら縄張り争いで街がムチャクチャになる!」

 ゴロツキにかねをやるだけでもどうかしているのに、さらに火種をばらまくなんて正気とは思えない。

「その争いに他のザコ共も巻き込まれて淘汰され、やがて生き残ったいくつかのグループで分け合う形で縄張りが固まった」

 杯に映る青年の困惑した顔が揺れる。

「ゴロツキがのさばっていることに変わりないじゃないか」

「ゴロツキの行動は変わった。下手に暴れればせっかく掴んだ【心労王金づる】の機嫌を損ねてしまう。かねが手に入るうちは縄張り内で騒ぎは起こさないし、起こさせない」

 青年の眉間に深い溝が生まれた。

「みかじめ料を払うくらいなら、冒険者を雇って守ってもらう方がマシだ」

 男はわざとらしく怪訝けげんな顔を青年に向ける。

「だからそうしているじゃないか」

 青年は正真正銘の怪訝けげんな顔を返す。

「生き残ったグループというのが冒険者ギルドだ」

 青年は耳を疑った。しかし男の含み笑いが聞き間違いではないことを告げている。

ゴロツキそんなのは『冒険者』じゃない! 確かに『冒険者』も煙たがられてるかもしれないけど、もっと、こう……尊敬されている!」

 未踏の地に分け入り、千姿万態のモンスターをねじ伏せ、殺意渦巻くダンジョンを制する英雄。それが青年にとっての『冒険者』。

「そのイメージが欲しくて【心労王】はゴロツキと『冒険者』を意図的に混同させたんだよ。みかじめ料を払うのは嫌でも、冒険者に『』や『』をするのは抵抗があまりない。『冒険者を雇って守ってもらった方がマシ』なんだろう?」

 青年は足元が崩れるような感覚に襲われた。

「……マジメに働くのがバカみたいだ」

「そうならないための『建前予言』だ。【心労王】も街の住人も『魔王と戦う冒険者』だからかねを出す。こんな訓練用のダンジョンですら成果を出せない奴に用はない」

 常に死と隣り合わせなのは『青年の冒険者』と同じ。

「店を襲って処刑される覚悟があればモンスターとも戦える。うまくいけば一山当てることも夢じゃない」

 男が杯でした先ではを囲んで盛り上がっている。

「しかし他に仕事があるなら、命をけてまでやらんだろう?」

 男は服の上から青年の木片タグを指先で突いた。

 軽く小突かれただけなのに青年の胸はひどく痛んだ。

「それじゃあ冒険者の育成に力を入れているのは――」

「お前のような奴が悪さをしないよう、ギルドに管理させるのが目的だろうな」

 青年の心がざわつく。

 【心労王】をバカにしていたが、そのてのひらの上で踊らされていた自分は……答えは一つ。

「【心労王】は天才だったのか!」

 青年の自尊心を保つ結論。

!」

 逃げ道をふさがれた青年が男をにらむ。

「天才が生まれてくるだけでも奇跡なのに、それがたまたま王族だなんて神々の悪戯いたずらでもなければあり得ん。知恵も力もとぼしい大勢の凡人が血のにじむような思いをして、なんとか国を動かしているんだ。それを【心労王】一人の手柄にされては、ほかの連中が浮かばれない」

 青年は顎に手を当てて考え込む。

 青年の顔がパッと輝いた。

「【心労王】も凡人……オレでも王になれるということか!」

 その笑顔を男が鼻で笑う。

「そういうことはちゃんと凡人になってから言え」

「オレがバカだってのか!?」

「バカでも相談に乗ってもらったら、礼くらいはするぞ?」

 男は酒の残りを飲み干し、空になった杯を振って見せた。

「オレを挑発してタダ酒を飲もうったってムダだ。そんな見え見えの手に引っ掛かってたまるか」

「わかった上で、あえて奢るのが凡人のたしなみってものだ」

 いつかこの男に一泡吹かせて凡人になってやる。青年はそう心に誓った。


 *


 ここは英雄亭。

 死者をいたんで生者が祝杯を挙げる場所。

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