第19話 案ずる者

 人里離れた場所での夜は暗い。月も星も出ていなければ尚である。

 明日は雨かもしれないな、とぼんやり考えながら、セラはぱちぱちと焚き木のはぜる音を聞いていた。


 休憩の後、一行は陸路でランドエバーを目指すべく馬車を走らせていた。だが森の手前で日が暮れてしまい、やむを得ず野営することにしたのである。ティルの居場所が敵に知られている以上いつ襲われるかわかったものではないので、セラとライゼスは交代で見張りをしていた。


 今しがたライゼスと交代したところであるが、夜はまだ長い。セラは剣を抱きかかえるようにしてその上から毛布を羽織り、馬車に寄りかかって目を伏せていた。いつ襲撃されるかわからない状況で気は休まらないが、できるだけ体は休ませておきたかった。


 静かな夜。

 聞こえてくるのは、近くを流れる小川のせせらぎ。森の木を風が撫でる音。その、風の音。

 ――ふと、セラは目を開けた。その、自然が奏でる音の中に、異質なものが混じったからである。油断なく周囲に気を配りながら、鞘からほんの少し剣を浮かす。剣の刃と鞘が擦れて、微かな音が鳴る。


「待って。オレだよ、セリエス。驚かしてごめん」


 闇の向こうから声がしたのはそのときだった。抜きかけた剣を収める。声の方に目を向けると、荷台からエラルドが降りてきたところだった。


「エラルド王子。どうされたのですか?」


 疲れているだろうに、と思いセラが声をかける。冒険者ならともかく、王族にこんな逃走劇は不慣れだろうに、何でもないようにエラルドは元気に答える。


「ちょっと目が覚めたから」

「ああ……そうですね、荷台ではお休みになりにくいでしょう」


 普通の王子は野営などしない。いつもベッドで寝ている者にとっては背が痛くてよく眠れないだろうとセラは思ったのだが、エラルドは首を横に振った。


「いや、別に。セデルスはどうか知らないけど、俺はこういうの嫌いじゃないからさ。別に荷台で寝たのも初めてじゃないし?」


 そう言って笑うエラルドに、セラは親近感を覚えた。

 セラも王族だが、野宿に抵抗はない。むしろ城の中で王女として生活し、ふかふかのベッドで眠る方が疲れるくらいだ。だが正体を明かしていない以上同意するのもおかしいので、そうですか、とだけ答えておく。気が合いそうだと話を弾ませる状況でもないだろう。


「ていうかホントに俺のことはエドでいいよ。セデルスはさ、頭固いんだ。悪いやつじゃないんだけどな」

「はあ、でも……」


 気にしなくて良いと言われても、気になる。エラルドの言葉に甘えればまた昼間のような険悪な空気に見舞われるだろう。セラが言葉を濁すと、エラルドは寂しげに笑った。


「って、やっぱり気になるよな。まあいいや、呼び方なんてなんでも」


 エラルドの笑顔が寂しい理由が、セラには痛いほどわかる。わかるから、複雑だった。


(こんなところで、ラスの気持ちが解るなんてな)


 王族として接してほしくない。それを互いに了承していたとしても、周囲が許してくれないときがある。誰だって自分の立場や保身を考える。咎められれば、相手が望んでいたからでは済まない。


 それでもライゼスは、精一杯向き合おうとしてくれていた。小言を言いながらも大抵の我儘には付き合ってくれていた。わかっていたつもりだが、それがどこかで当たり前になっていたかもしれない。


「セリエス? どうかした?」

「あ、いえ。何でもありません」


 知らず考え込んでいたらしい。心配そうなエラルドの声でセラは我に返った。


「そっか。話がずれちゃったね。起きてきたのはセリエスと話がしたかったんだ」

「私と……ですか?」


 理由が思い当たらず怪訝な顔をするセラに、エラルドは頷いて先を続ける。


「ティアのことだけど」


 もしかしてティルの秘密に触れることではないか――とセラは少し焦ったが、彼が口にしたのはまったく別のことだった。


「その、オレがこんなこと言うのも野暮なんだけどな。アイツ、セリエスのこと好きなんじゃないかと思うんだ」


 思いがけないことを言われて、ぽかんとするセラに構わず、エラルドが続ける。


「ティアも年頃なのに、ぜんぜん男に興味がなくて、オレ一応兄として心配してたんだよね。だからちょっとほっとしたというか」


 だがそれを聞いて、ああ、とセラは納得がいった。ティルが男に興味がないのは、本人が男だからだろう。しかしそれを言うわけにもいかない。

 セラがなんと答えたものか悩んでいる間に、エラルドは一人で話を進めてしまう。


「セリエスの前ではどうか知らないけどさ、あいつちょっと捻くれたとこあるんだよね。でもそれも仕方なくてさ。父上がおかしくなったのはティアのせいだって、殺されかかったのも一度や二度じゃないんだ。なのに何にも不満いわないし。オレ、あいつが不憫でさ……」


 心底から彼を案じている様子のエラルドの言葉に、改めてティルの苦労が偲ばれるとともに、それとは別の感情もあった。


「……少し、ほっとしました」

「え?」

「ティルフィア姫にも、貴方のように本気で心配してくれる人がいるとわかりましたから」


 一瞬怪訝な顔をしたエラルドだが、続いたセラの言葉を聞けば、すぐに破顔した。


「セリエス。ティアのこと頼むよ。君なら安心して任せられる」

「はい」


 エラルドが、どういう意味で任せると言っているかなど気づきもせず、セラが大真面目に返事をする。エラルドはエラルドで、当然通じているものだと疑いもせずに立ち上がった。


「よし、じゃあ寝よ――」

「――しっ」


 伸びをしようとしたエラルドを、セラが鋭く制止する。

 森の向こうに気配を感じる。それも一つや二つではない。それどころか、五つや六つというレベルでもない。


「エラルド王子。みんなを起こして下さい。早く!」

「わ、わかった」


 只ならぬセラの様子に、エラルドは急ぎ馬車へと向かった。

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