第18話 エラルドとセデルス

 ごとごとと、野原を横切り荷馬車が行く。

 フルスピードで通りを駆け抜け、襲撃者たちをやり過ごし、王都を抜けて、ようやく一息ついたところである。ライゼスの魔法で攪乱できたおかげで、その隙にセラとライゼスが馬車へ乗り込むことも、追っ手を撒くことも容易だった。

 ティルの右手も、既にライゼスの魔法で治癒されている。


「すごいな、魔法というものは」


 一段落したところで、それらを目の当たりにしたセデルスが感嘆の声を上げた。だが、慌てて咳払いをすると、恥じ入ったように赤面する。


「ああ、不躾にすまない。私はセデルス・レフ・リルドシア。ティア……ティルフィアの一つ上の兄だ。それにしても、ティアの護衛騎士は一人と聞いていたけれど。君は?」


 問われて、ライゼスは返答に窮した。だがセデルスがそれを訝しむ前に、ティルが助け舟を出す。


「セディ、護衛はそちらのセリエス様だけです。そちらはただの旅の方で、襲われているところをたまたま力を貸して下さったんですの。――ええと、お名前はなんと言いましたかしら」


 にこりとティルフィアに笑顔を向けられ、ライゼスは顔を顰めるのを堪えた。こうも急に猫を被れるのは凄いと思うが、気持ち悪い。それに、宿屋の家具を壊したとき然り、よくも次から次へとよどみなく嘘八百並べられるものである。これは一種の才能だろう。


「ラスと言います」


 本当に名前忘れていそうだ――などと思いながら、ライゼスは愛称を名乗った。

 ティルは、セデルスが味方とは言わなかった。信用のおけない相手に本名を名乗るのはためらわれる。ティルが単に名前を覚えてなかっただけにしろ、本名を紹介されなかったのはこの際有難かった。

 ライゼスの自己紹介に継いで、セラもまた頭を下げる。


「今しがた姫君よりご紹介に預かりました、セリエス・ファーストと申します。私がついていながら姫に傷を負わせてしまい、面目次第もございません」

「そんなかしこまらないで。あの数相手じゃ仕方ないよ。ラスのお蔭で傷も大事なかったんだし、気にすることないさ」


 セラの謝罪に対して軽い声をあげたのは、セデルスではなく御者台にいたエラルドだった。同時にガタンと馬車が止まる。タン、と御者台を降りる音がして間もなく幌が上げられ、短い銀髪の少年が顔を出した。


「この辺で少し休もうよ。自己紹介するならオレも入れてほしいしね!」


 荷台に手をついて、よっ、と声を上げながら上ってきた彼は、ティルと同じ碧眼に人懐こい笑顔を浮かべた。エラルドが荷台に上がったのを見て、ティルが「まあ」とわざとらしい声を響かせる。


「エド、ごめんなさい。貴方のこと忘れてましたわ」


 エラルドの顔を見るなり、ティルフィアが詫びる。ライゼスなどはどうしてもティルの姫演技が白々しくてならないのだが、ティルの正体を知らないはずのエラルドもまた、似たような感想を持ったようだ。


「白々しいぞ、ティア。ああ、カッコイイ騎士様がいるから猫被ってるんだな?」


 エラルドが茶化す。ティルが女でないことまでは知らないにしても、性格は熟知しているらしい。


「ええと、セリエス? こいつの見た目に騙されちゃダメだよ。中身は見た目ほど可愛くないからね」

「まあ、失礼。それに、セリエス様に対して馴れ馴れしいですわ」


 アンタに言われたら終わりだろう、とライゼスが人知れず胸中で毒づく。


「妬くなよ、ティア。ええと君は、ラス、だよね? 話は大体聞こえていたんだ」


 ティルの恨みがましい声はさらりと流して、エラルドはライゼスにも目を向けた。本当に気さくな人だと思いながら、はい、とライゼスが返事を返す。


「オレのことはエドって呼んでね」

「――いい加減にしろ、エラルド」


 にこやかに言うエラルドを、ふいにセデルスの硬い声が遮った。


「たかが騎士やどこの馬の骨とも知らぬ旅人に愛称で呼ばせては、リルドシア王家の名を貶める」


 セデルスの言葉に、和んでいた空気が一変する。

 知らぬとはいえ、同じ王家の人間であるセラを『たかが騎士』呼ばわりされるのはライゼスにしてみればあまりいい気はしないし、セラは王家以外の人間を見下しているような言い方が気になった。ティルにしても似たようなもので、笑顔のまま刺々しい空気を醸し出す。


「あんま細かいこというなよ。オヤジみたく禿げちまうぞ」


 エラルドだけがさほど気に留めた風でもなく、茶化して話を流した。


「それよりもエド。この馬車はどうしたんですの? 貴方が馬車を扱えるなんて知りませんでしたわ。そもそもどうしてわたくしの居場所が?」


 そのまま完全に話を流してしまうべく、ティルは話を変えた。それを知ってか知らずか、エラルドも明るい声を上げる。


「馬車はね、アルス兄と親しくしてる商人のおっさんから借りたんだ。前に二人で街のおっさんから馬の扱いを教えてもらったことがあってさ。今朝お前が留学するって話聞いて、そのあとすぐ港の封鎖だろ。色々よくない噂も聞くし、いざとなったらこれで送ってやろうと思って急いで追いかけてきたんだぜ」


 ティルの質問に、エラルドは順を追って答えた。なるほど、というように、ティルが頷いてみせる。そして、


「アルスというのは、三番目のアルシオスお兄様のことですわ。エドと同じで気さくな方ですの」


 セラとライゼスに対して補足した。が、その後すぐに気になることを思い出して、ティルは笑みを消した。


「そういえば、さっきの地震。あれ、変でしたわよね?」

「地震? 地震なんてあったっけ?」


 そうと知っていたわけではないだろうが、ティルの違和感を裏付けるような言葉をエラルドが言う。


「……あれは魔法です」


 本当はあまり目立ちたくないライゼスだったが、他にあの地震の正体を暴けるものはいないだろう。思ったとおり皆の視線が自分に集中して、ライゼスは胸の中だけで嘆息した。


「魔法? では、敵に魔法を使う者がいるというのか?」

「ええ。そのことについて一つ懸念すべき点があります」


 気になっていたことを言うべく、ライゼスはそう続けた。自分の考えが正しければ、一刻も早くそれを伝える必要があった。


「人は誰でも大なり小なり魔力を持っていて、魔法に精通する者はそれを感知することができます。この魔力の質というのは人によってそう差のあるものではないので、それによって個人を識別することは本来ならできないんですが、稀に特徴的な魔力を持つ者がいるんです。多分……ティルフィア姫もそれにあたるかと」


 聞き覚えのある話に、セラがはっとしてライゼスの方を見る。それを視界の端に捉えて、ライゼスはうなずいて見せた。リルドシアに向かう船の中で、ライゼスはセラの居場所の見当がつくと言っていたが、それと同じ原理なのだろう。


「だが、多分、というのはなぜだ? ティアの魔力が特異なものかどうか、君なら断定できるんじゃないか?」


 声を上げたのはセデルスだが、他の面々も大体同じ疑問を持ったらしい。再び視線が集まって、仕方なくライゼスは口を開いた。


「私が感知できるのは光属性の魔力だけなのです。ティルフィア姫の魔力はそれとは違う。しかし魔法の力は高確率で遺伝しますから、同属性で感知できる可能性が高い」


 極力簡単に説明して、今度こそライゼスは口を噤んだ。もう最後まで言わずとも、何を懸念しているのか彼ならばわかっているだろう。


「つまり、敵が身内だった場合――わたくしの居場所は筒抜けということですわね」


 的確な答えを返したティルにライゼスが頷き、一同の面持ちには緊張が走った。

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