第16話 続く襲撃

「お帰り、ラディアス。今日も黒いね」


 陽気な声をかけられて、ラディアスは自室へ向かう足を止めた。


「貴方の臓物ほどではありませんよ、レイオス兄上」


 一瞥をくれてやりながら皮肉を言う。漆黒の長髪をした細身の男は、それを受けて面白そうに笑った。


「君もそんな冗談を言うようになったのか」


 ラディアスにしてみれば冗談のつもりは毛頭なかったのだが、次兄は面白そうに、まだ笑い声を上げ続けている。


「笑い事ではありませんぞ、兄上。港の件では」

「ああ、港の封鎖ご苦労だったな」


 ラディアスが『港』の単語を出すと、さすがにレイオスも笑いをおさめた。


「封鎖自体は、そこまで手間取りませんでしたが。これからが問題です。旅人や商人は、幾日も足止めを食らっては黙っておりますまい」

「そう思うなら、さっさと賊を掃討してくれると嬉しいんだがな」


 探るようなレイオスの瞳に、フン、とラディアスは鼻を鳴らした。


「兄上らしくもない、まわりくどい言い方ですな。そんな単純な問題でないことなどお解りでしょうに」


 ようやくラディアスは身体ごとレイオスに向き直った。相変わらず無表情ではあるが、内心は僅かに苛立ちを感じていた。無駄な問答は好むところではない。


「この状況で賊など、間違いなくティルフィアの足止めを狙ったものでしょう。乗ればそのまま、乗らねば国内に足止めしてその間に消す。それだけではない、賊の討伐に私が向かえば城の警備も薄れる。王位が欲しいならティルフィアより陛下を狙う方が早い」


 率直に言うと、レイオスは笑いながら手を叩いた。


「よくできたシナリオだ。ディルフレッドにしては、少しできすぎだな?」

「滅多なことを笑顔で言うものではありません、兄上」


 咎める言葉とは裏腹に、口調は淡々としていた。その中に、レイオスが肯定を見る。


「わかっているなら、私が口出しするまでもないようだな。ああ、だが、このところ城に鼠がうろついてるようだ。ぬかるなよ」

「鼠ごとき、恐れることもないでしょう。夜中に猫が徘徊しているようですし」


 しれっと言われ、レイオスは苦笑した。


「番をするのはいぬの仕事だろう」

「狗は飼い主さえ守れればそれで良いのです」


 レイオスの切り返しにも、ラディアスは動じなかった。


「そうか。では兄上とティルフィアのどちらにつくか――などという問いは」

「愚問ですな」


 口癖で答えるだろうと予測して、レイオスが振る。間髪容れずにラディアスは予想通りの答えを返してきた。


 ――彼は王命でしか動かない。


 極めて解りやすく助かることだと胸のうちで呟いて、レイオスは弟の隣を行過ぎる。御しにくいが、利用はしやすい。


「……しかし、ティルフィアは易々とはやられんでしょう」


 反対方向に歩き出すレイオスを、振り返るでもなくラディアスは呟いた。レイオスもまた、歩みは止めたが振り返るまでには至らない。


「なかなかどうして、彼女は相当な狸ですぞ」

「鼠に猫、狗に狸か。賑やかなことだ」


 レイオスがくくっと笑う。


「彼女も玩具が欲しくて宝刀を持っていったわけではあるまい。ああも命を狙われれば、強くなければ生き残れまいよ」

「もうひとつ」


 大して気に留めた風でもないレイオスに、そこで初めてラディアスは彼の方を振り返った。


「ランドエバーから来た騎士。あの者も、舐めてかからない方がよろしいかと」

「ほう。君の目に留まるとは、平和ボケしていてもさすがはランドエバーということか。肝に銘じておくよ」


 振り返らないまま立ち去っていくレイオスをほんの少しだけ見送ってから、ラディアスは再び自室へと爪先を向けた。



 ※



 人に紛れて港を出た三人だったが、往来の人混みにふと視線を感じ、セラは足を止めた。


「セラ?」

「しっ」


 ライゼスの怪訝な声も意識の外に弾いて、セラは目を閉じ集中した。喧騒が消える。人が消える。闇の中に自分だけが存在するイメージの中に、異物が混じる。

 ――殺気。

 後方から矢のように、こちらに向けて突き進んでくるそれに向けて、セラは目を見開いて腰を落とし、もう一度鋭く息を吸った。その呼吸に合わせて右手を動かす。


 ギン、と耳障りな音を残し、セラの足元にナイフが落ちた。それが襲撃者の凶器であることに気づいて、ティルが顔色を変える。


「走れ!!」


 剣を持つ手とは反対の手でティルの手を掴み、セラが走り出す。こんな大通りで襲われては一般人を巻き込んでしまう。しかし立ち止まっていては恰好の的だ。


「建物の中に!」

「わかった!」


 とっさにライゼスが近くの店の中に誘導する。そこに飛び込んで、三人は大きく息をついた。


「ほらみろ。二人が喧嘩するから見つかってしまっただろうが」


 セラがぎろりと二人を睨みつける。それを受けて、ばつが悪そうにライゼスは謝罪を口にした。


「すみません。ですがあれはこの人が」

「手を握ったくらいで大げさなんだよ、お前は」

「ほっといたらそれだけですまないでしょう、貴方は」

「そりゃーそうだ!」

「否定するところですよ?」


 二人ともおとなしかったのは当初だけである。すぐに口論へと発展し、ライゼスが手をかざして、ティルが刀に手をかける。昨日会ったばかりなのに、既に何度繰り返されたかわからない展開だ。しかし、それまでと違うことには、二人ともそのまま凍り付いたように動かなくなった。

 否、動けなかったのである。


 ――ひっ、と小さくティルが悲鳴を上げる。それは、セラから何かオーラのようなものが立ち上っているのが見えたからだ。実際にはそんなものが見えるはずもないのだが、ライゼスとティルの二人には確かに見えた。怒りのオーラ、と名を付けるべきものの姿が。


「いい加減にしろよ、お前ら?」


 静かなセラの声に、二人が同時に構えと解いて、従順に深々と頭を下げる。


「すみません。僕が大人げなかったです」

「いや、俺がぜんぶ悪いです。すみませんでした」


 詫びる二人を満足そうに見て、ようやくセラから立ち上る怒りのオーラは消え去った。


「次に喧嘩したら、襲撃者ごと叩き斬るからな?」


 にこっと笑ったセラに、震えながら二人が何度もうなずく。

 それから、こほんと咳払いをして「それにしても」とライゼスは仕切り直した。


「往来で襲ってくるとは思いませんでしたね」

「俺も人の気配には敏感なんだが、人が多すぎると逆にわかんないもんだな。なんにしろ、俺もボーヤも気がつかず、セラちゃんだけが殺気を感じ取れるって距離から正確に俺を狙ったんなら相当な腕だ」


 いつになく深刻な様子で、ティルが唸る。


「……そんな凄腕の駒をディルフレッドが持ってると思えない。港の件もヤツにしちゃできすぎたシナリオだ。他に俺を狙ってるやつがいる」


 誰だ――とティルは思考をめぐらせた。しかし、兄弟、家臣、民、全てから恨みを買っている以上、誰が敵でもおかしくない。心当たりがありすぎた。


「ティル。ここで犯人を突き止めても仕方ない。今は生き延びることを優先しろ」


 セラの声が、ティルを思考の渦から引き上げる。


「誰が敵でも、私たちは味方だ」

「セラちゃん……」


 だけど、という否定を、ティルは胸の中だけに留めた。セラの気持ちを汲んだのだった。そんな二人のやり取りを見て、ライゼスが「ちなみに」と口を挟む。


「セラは『私たち』と言いましたが、僕は敵側と考えてくれてもいいですよ」

「はっ。上等だぜ」

「お前らは、また……」


 刺々しい会話を交わす二人に、セラがまた苦言を呈する。しかし、その言葉の先は途中で消えた。

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