第14話 リルドシアの鬼神
「船が出せない?」
予想していなかった言葉に、セラは眉根を寄せた。
「ああ。朝一番の便が賊にやられた。混乱が収まるまでしばらく休航だ」
今しがた自分が言った言葉をおうむ返しにされ、船員は陰鬱な表情でそう告げた。
早朝は人が少なく、目立ちやすい。そのため朝一の便に乗船するのを避けたセラ達だったが、それが裏目に出た。
「リルドシアさえ出てしまえば、こちらに分があったのですが……こんなことなら危険を冒してでも朝一便に乗るべきでしたかね」
「乗らないと向こうも踏んでたんだろうぜ。どの道乗ったら乗ったで賊に殺られるシナリオだ」
それもそうですね、と答えるライゼスの傍らで、「乗っていれば賊など蹴散らした」とセラが悔しげに呟く。しかし、過ぎたことをどうこう言っても始まらない。
船が出ないということで、港は騒然としていた。予定を狂わされた冒険者や商人が、あちこちで怒声を上げている。もう少し詳しく話を聞きたかったが、どの船員達も客に事情を説明するのに大わらわだ。はぐれてしまいそうなくらい人は増えていたし、どの道これ以上の情報は聞けそうになかった。
「このまま人に紛れて、どこかに潜伏するしかないですね」
次善策を打ち出すライゼスに、ティルが喧噪の中でもわかるほど大きな溜め息をつく。
「めんどくさいことになったな。だから早めに手を引けって言ったのに」
「くどいぞ、ティル。その話は終わったはずだ。君になんと言われようが、私は最後まで君を守る」
真横からセラにまっすぐ見つめられ、ティルは思わず嫌味を言うのも忘れて息を呑んだ。……のだが。
「――いや、逆だし、逆! 俺は逆のシチュエーションを所望する!」
「バカなこと言ってないでさっさと移動しますよ。こままでははぐれてしまいます」
頭を抱えて叫ぶティルを後目に、ライゼスが踵を返す。それでも苦悩していたティルだが、突然いいことを思いついたかのようにコロッと表情を変えた。
「そうだ! セラちゃん、はぐれないように手を繋ごう!」
「え?」
セラの手を握ろうとするティルの手を、しかし目ざとくそれに気づいたライゼスが速攻ではたき落とす。
「どさくさに紛れて触ろうとしないでくれます?」
「そうだ。そういうことはやめてくれ」
ティルがライゼスを睨みながら叩かれた手をさすっていると、セラがライゼスに便乗する声をあげた。セラにまで叱られるとは予想しておらず、やや驚いて顔を上げるティルに、至って真剣にセラが告げる。
「私は子供じゃないぞ。手を繋がなくてもはぐれたりしない」
手の痛みも忘れて、ティルはぽかん、と口を開けた。セラを子供扱いしたつもりなど全くなかった。むしろその逆と言っていい。しばらく呆けていたティルだが、やがて我に返ると「うーん」と自身の髪を弄りながら思案する声を上げる。
「セラちゃんて、もしかしてニブい感じ?」
そして、思わず天敵であるライゼスに聞いてしまうティルだった。
無視を決め込もうとしたライゼスだが、それでセラにまとわりつくのをやめてもらえればと、一縷の望みをかけて答える。
「見たままです」
「そか……」
ふぅ、とティルが息を吐く。が、気落ちして見えたのは一瞬のことで、彼がうなだれた頭を上げる頃には、その目はらんらんと輝いていた。
「まあ、でもそんなところが可愛いよな。よーし燃えてきた! 絶対口説き落として見せる!」
闘志を燃やし始めたティルを、ライゼスはげんなりした表情で見た。立ち直りが早いのは結構だが、ライゼスにしてみれば迷惑以外の何ものでもない。今しがたティルに鈍いと言わしめた通り、セラの頭の中は剣と任務、いかに強くなるかといったことばかりで占められていて、年ごろの女性が考えるような愛だの恋だのが存在する領域などなく、その二つを理由に総じて男に対する警戒心というものがない。
それは、ライゼスが日ごろから懸念していた点ではあったが、ついに現実となってしまった。これからこの一件が片付くまで、ティルがセラにちょっかいをかける度に目を光らせねばいけないのである。
ライゼスは胃が痛くなってきた。終わらない溜め息をひたすら吐き続けていたが、早速セラの方へ寄っていくティルを見て、そんな暇がないことを知る。
「そこ! セラの間合いより中には入らない!!」
ビシッと指さして、笛でも鳴らさんばかりにライゼスが叫べば、
「うっっせーーーな! ボーヤはとっととはぐれちまえよ!!」
心底うっとうしそうにティルが叫び返す。そんな二人の対立を止めたのは、だが今度はセラではなかった。
あちこちで飛び交う怒声がどよめきに変わり、馬のいななきが二人の喧嘩に割って入る。
「軍だ!」
どよめきに混じる誰かの叫びに、ティルの顔が色を失う。焦りが濃く出る彼の蒼天の瞳に、黒い馬と、それに乗った長身の男が写し取られるのはすぐだった。
「ラディアス……」
呟くと、ティルはフードを目深に被りなおした。ティルが呟いた名に、セラとライゼスの表情にも緊張が走る。
第四王子、ラディアス。
黒馬に跨り、短く切り揃えられた髪も黒、細く鋭い瞳の色も黒、そして、他の騎士達は深緑の軍服を着ているのに、彼の軍服だけはこれもまた黒だった。
フードの向こうから突き刺さるような視線を感じ、ティルが小さく舌打ちする。
(気付いてやがる……)
顔を覆った上に彼からは目を背けているのに、ティルにはこちらを牽制してくる黒の双眸が見える気がした。
「静まれ! 私はリルドシア騎士団長、ラディアスだ。港は今より無期限で封鎖する!」
喧騒の中にあってもよく通る声に、とたんに辺りは水を打ったようにシンとなる。そして今度は波紋のように、戸惑いを多分に含んだ囁きが広がった。
「これは民及び旅人である諸君の安全を最優先に考えた、王国の決定である! 速やかに港より退避せよ!!」
その囁きすら許さぬように、有無を言わさぬ声でラディアスが続ける。それを合図に、控えていた騎士達が乗客野次馬を港から出すべく誘導を始めると、ラディアスは馬を降りて歩き出した。
「あの人、こっちに向かってませんか?」
ライゼスが低く問うと、セラも頷いた。
「ティル、早いとこ港を出よう」
「無駄だ。俺に気付いてる」
その提案に首を振り、ティルは横目でライゼスを見た。
「ボーヤは離れてな。事情をでっちあげるのが面倒だ」
「……わかりました」
不本意ではあるものの、状況を考えライゼスが素直に頷く。本音を言えばティルとセラを二人にはしたくなかったが、ライゼスがいれば確実に誰かと問われこちらの事情を探られる。迂闊な行動は慎むべきだ。
――それでも。
「セラに何かあったら、許しませんよ」
わかっていても、言わずにはいられないライゼスだった。
港を出る人の波に姿を消した彼を見送って、ティルは苦笑した。
「過保護な程案じてくれる人がいるってのは、ありがたいことだが。される方の苦痛も解って貰いたいもんだな。ね、セラちゃん?」
苦味を多分に含んだ声に気付き、セラは何かを言いかけて口を開いた。だが、やめる。気配が近くまで迫っている。その強大な威圧感に、ティルが戦うなというのも道理だとセラは内心納得していた。
頬を冷や汗が伝っていく。遠くから見るだけで、その力量を測るのは容易だった。身のこなしひとつ見ても、どこにも隙はない。
セラの剣士としての勘が、強い警告を伝えてくる。
――戦うな、と。
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