第13話 九人の王子
もうすぐ夜が明ける。
辺りはまだ暗いながらも、その闇は確実に薄まりつつある。そろそろ白みはじめてくるだろう空を忌々しげに睨みながら、男はチッ、と舌打ちをした。
「遅い……まさかしくじったか?」
苛立ちの滲む様子から、男は人を待っているようだった。
「……これ以上は危険か」
もう一言呟き、焦れた様子で男が踵を返した、そのとき。
「おや。こんな時間にこんなところで何をしておいでですか? ディルフレッド兄上」
背中に掛かった声に、男はさきほどの呟きが甚だしい誤算だと知った。これ以上は危険――即ち夜が明けるまでは安全だと思っていたのは楽観しすぎにもほどがあった。
「レイオス……」
憎々しげに呻きながら、男、ディルフレッドは振り向いた。まだ離れた相手の顔を即座に識別できるほどに明るくない。だが、身内であれば声を聞けばわかる。
「それを問うなら、貴様こそこんな時間にこんなところへ何をしに来たか、言ってみたらどうだ?」
レイオスが失笑したのが気配でわかって、さらにディルフレッドを苛立たせる。闇で見えずとも、どんな表情をしているかまでありありと想像できる。
「別に、たまたま通りかかっただけですよ? 私は夜中の散歩が趣味ですのでね」
「そうか。なら私も散歩だ」
しれっと言うレイオスに、良い回答を得たとばかりにディルフレッドが答える。だがレイオスは窮するどころか、その返答を予想していたとばかりに涼しい声を返した。
「そうですか。すると昨夜一緒にいらした方々は、散歩仲間でしたか」
刻一刻と闇は薄まり、二人の姿を次第に露わにしてゆく。
金の短髪で、がっしりした体つきのディルフレッド。黒の長髪で細身のレイオス。
対照的ないでたちの二人だが瞳の色は共に黒だった。ようやく読み取れるようになったレイオスの表情は、どうということはない、いつもと同じ不敵な笑顔だった。しかしその黒の瞳は決して笑っていない。
このレイオスの笑顔が、ディルフレッドは昔から大嫌いだった。なんでも見透かしているのだと、見下されているようで。
「私はまた、てっきり散歩のお仲間をお待ちなのかと思っていましたよ」
そう、今も。
「……くっ」
ばさりと羽織った外套を翻し、ディルフレッドはレイオスに背を向け、歩き出した。レイオスは特に呼び止めなかった。愚兄の考えや行動など、手に取るようにわかっていた。
「しかし、わかりやすいのは助かるが、こうも軽率だと困るな。ラディアスに警備を強化するよう打診しておかねばなるまい」
自らもまた引き返し、レイオスが腕んで独白する。
「さて。兄上とティルフィア、どちらにつくのが得策かね」
※
「長兄がディルフレッド。こいつは明確に王位を狙っていて俺を敵視してるが、はっきり言って器じゃないな。次兄がレイオス。王位が欲しいかは知らないが、人望もあるし頭も切れる。もし敵だとしたら一番厄介だ。三番目がアルシオス。気さくで争いを好まない人だから、俺を殺してまで王位をとは考えにくい」
まずはともあれ、情報は多いほどいい。
夜が明けるまでにはまだ少し時間があるが、そう長くはない。三人は路地裏から場所を移すことなく、ティルの話を聞いていた。
順に指を折りながら話す、その指が四つ目を数える。
「四番目、ラディアス。もう一つの宝刀を持つリルドシアの騎士団長だ。根っからの武人で王位には興味なさそうだけど、もしものことがあっても絶対に戦うな。リルドシアはたいした戦力を持ってないが、こいつだけは化け物だ。で、五番目のティリオル。内向的な上病弱で滅多に姿を見せないから、何考えてるかわかんねー。六番目がフィーリアス。それ以上に何を考えてるかわかんねーヤツで、いっつも部屋に籠って怪しい研究してるいわゆるマッドなサイエンティストだ」
こくこくと頷くセラの目が少し泳ぎはじめた。ティルが先を言い淀んだが、ライゼスに無言のまま目で促されて逆の手まで及んだ指を折る。
「七番目のセルヴィルスは兄弟が多いのをいいことに遊び呆けてて、城にも帰らないからほとんど会ったことない。八番目のエラルドは……こいつだけは歳も近いし俺と親しくしてくれてた。絶対はないが、少なくとも俺は信用したい。歳で言えば一番近いのは当然九番目のセデルスなんだが、仲は悪くないけど心底俺をどう思ってるかっていうと、わかんないな」
ティルの説明はごくかいつまんだものではあったが、何しろ九人もいるものだからそれでも情報量が多い。相変わらず頷いてはいるが、もはや完全にただ首を動かしているだけなのが傍目にわかるセラに溜め息をつき、ライゼスが口を挟む。
「つまり、当面の敵は第一王子ディルフレッドで、敵じゃないと言えるのは第八王子エラルドだけ。あとはグレー。注意すべきなのが第二王子レイオスで、第四王子ラディアスとは戦ってはいけない。こんなところですか?」
「まあ、そうだが……」
ライゼスが話を簡潔にまとめるのを聞き、ティルはそれを肯定しながらも曖昧に濁した。
「当面の敵はディルフレッドだけでも、この先誰がいつ敵になるかわからない。それでも帰る気にはならない?」
くどいようだけれど、とティルが問う。そこではじめてずっと宙を見て唸っていたセラがティルへと目を戻した。しかし彼女が何か言う前にライゼスが声を上げる。
「帰りますよ」
セラの責めるような視線を手だけで制して、ライゼスが自らの言葉を補足する。
「貴方も一緒に来るんですよ、リルドシアのお姫様? 僕たちの任務は貴方をランドエバーへお連れすることなんですから」
「ああ、そーゆーこと……」
ティルは苦笑すると立ち上がった。そろそろ、辺りも明るくなりはじめている。
「……俺が原因で、祖国に内乱が起ころうとしてるんだ。その俺が逃げるわけにはいかないだろ」
それはセラとライゼスが初めて聞く、茶化してもふざけもてもないティルの声だった。その瞳に潜む意志に、だがセラはいち早く気付いていた。
彼はおそらく父を憎んでいる。王家を疎んじている。だがそんな負の感情と同時に、王族としての誇りと責任も持っている。どんなに手放したくとも、それを決して捨ててはいないし、捨てられはしないのだ。
「気持ちはわかる」
「ええ。でも、だからこそ」
思わずぽつりと呟いたセラを、少し悲しげに見やってライゼスは続ける。
「味方が圧倒的に少ないこの状況で、何ができると言うんです。貴方が原因だからこそ、今貴方はこの国にいるべきでないのではありませんか?」
筋の通ったライゼスの言い分に、さすがにティルもすぐには反論できないようだった。その間に、セラもまたライゼスの言葉を後押しする。
「ティル、私もそう思う。今はひとまず身の安全を確保する方が先だ。リルドシア国王ですら、君をランドエバーへ逃がすしか道がなくなってしまったんだ。君や私の力では、今はどうにもできないだろう」
「……そうだ、な」
そのことはティル自身が、一番よくわかっているのだろう。力ない肯定を返す。
その頃には朝日が昇り、すっかり闇を払いきっていた。
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