第9話 犬猿の二人

 動転しきったセラの声が、ライゼスの耳に届く。しかし、彼がそれを理解するのにはしばらく時間がかかった。

 だが理解した瞬間に、彼の中で何かがぶつんと派手な音を立てて切れた。


 ゆらりと、ライゼスが右手を上げる。かざした彼の手から白い光がこぼれ、薄暗い部屋の中を真昼のように明るく塗り替える。


『光よ!』


 その瞬間、部屋にあったサイドボードが派手な音を立てて爆発した。


「姫から離れろ!!」


 ライゼスの警告を受けてもティルフィアは余裕の表情で、粉々に粉砕されたサイドボードを見て「ひゅう」と口笛を吹いた。清楚な姫君にはおよそ不釣合いな行為ではあったが、その雰囲気からは先ほどまでのお姫様然としたものは消えていた。


「こんなすげえ魔法、初めて見たよ」


 ティルフィアが呟く。その声のトーンも幾分か落ちて、中性的なものになっている。動こうとしないティルフィアに向けて、ライゼスはもう一度、右手をかざした。


「聞こえなかったか? 姫から離れろ。さもなければ次はお前を粉砕してやる」

「姫? 姫は俺だろ?」


 茶化すように言ってセラの方を見るティルフィアに、ライゼスはようやく失言に気付いた。だが、だからといって怒りが収まるわけではない。

 突き刺さるような殺気に本当に粉砕されかねない気配を感じて、ティルフィアは大人しく従った。


 彼女――否、彼から解放されて、ようやくセラが安堵の息をつく。その二人の間にライゼスが割って入り、油断なくティルフィアを睨みつける。


「お前は何者だ。本物のリルドシア王女は?」

「悪いけど、俺が本物のティルフィアだよ。お察しの通り女じゃないが、悲しいことにこれが本名だ。けど、性別を偽ってたのはお互い様だろ? セリエスちゃん」


 肩を竦めて、ティルフィアが答える。セラへの呼びかけには親しみがこもっていたが、ライゼスはあからさまに不愉快な顔をした。しかし、当のセラはうなだれた。


 姫が女でないとしても、本物のティルフィアだとすれば、この任務はどうなるのであろうか。どう考えても自分とライゼスの行為は不敬も甚だしい。だが三者三様の考え事は、慌しい足音に、どれも中断を余儀なくされた。


「あーあ。きっと宿の主人だぜ」


 うんざりした声でティルフィアが呟く。だが実際に宿の主人が飛び込んできたときには、ティルフィアの様子は一変していた。


「何の騒ぎだ!?」

「ご、ごめんなさい! 部屋に鼠がいて、驚いて悲鳴を上げたら、そこの旅の方が早とちりして。私を助けようと、サイドボードが粉々に……」


 その目に涙まで浮かべて、ティルフィアがライゼスの方を指差す。壊れた部屋の一角と家具を見て、主人の顔色が明らかに変わった。責任を押し付けられ、ライゼスは言い繕おうと口を開いたが、ティルフィアが二の句を継ぐ方が早い。


「でも、あの人は悪くありませんわ。私が騒いだのがいけないんですもの……。壊した分は私が弁償します。これでどうか許して下さい」


 よよ、とティルフィアが泣き崩れてみせると、宿の主人は喉元まで出た文句をおさめるよりなかった。というより、すっかり見惚れているようだった。

 されるがまま押し付けられた布袋を受け取ると、その中に輝く金貨に気付いて、さらに主人は言葉を無くした。


「許して下さいますか?」


 ダメ押しとばかりに上目遣いで許しを請うティルフィアに、主人が首振り人形の如くにこくこくと頷く。


「すぐに、代わりの部屋を用意します」


 やっとのことでそれだけ言葉を吐き出した主人に、ティルフィアが首を横に振る。


「それは構いませんわ。私の連れの部屋がありますから。それに、これ以上のご迷惑はかけられませんもの。ではごきげんよう」


 呆然とする主人を横目に、ティルフィアがセラの背を押し部屋を出る。隣のセラの部屋に移り、ライゼスが扉を閉めるのを見て、ティルフィアは大げさに肩を竦めた。


「こんなとこで路銀なくす羽目になっちゃった。ま、この借りはなかったことにしてやるから、落ち着いて話をしようぜ、ボーヤ?」


 敵意の消えないライゼスに、ティルがまた態度を一変させて茶化す。


「他にやり過ごし方はあったんじゃないですか? わざわざ僕を悪者にしなくても」

「ラス」


 今にも噛み付かんばかりにライゼスが唸るが、セラに止められて、しぶしぶながら引き下がる。それを見てから、セラは改めてティルフィアの方へと向き直った。


「わかりました。隠し事をしていたのはこちらも同じです。まずは私のことからお話しましょう」


 セラの言葉に、ティルフィアは満足気に笑った。



 ※



「貴方の言う通り、私は女性です。本名はセリエラ。ランドエバー王国第一王女、セリエラ・ルミエル・レーシェル・ランドエバー」


 その名を聞いて、ティルフィアは再び口笛を吹いてみせた。


「そっちの方が本物のお姫様だったってわけね。で、ボーヤは何?」

「……ライゼス・レゼクトラ。彼女の側近ですよ。歳はそう変わらないと思います、ボーヤはやめてくれますか?」


 不機嫌さをおさめようともせず、ライゼスが噛み付く。だがティルフィアは全く気にせず、そして返事もせずに、ふん、と鼻を鳴らしただけだった。


「それにしても、ランドエバーの王様は思い切ったことをするなあ。自分の娘を男装させて送り込むなんて」

「それは少し違います。私は実際にセリエス・ファーストの名で騎士団に在籍していて、今回の任務は父上が私を指名したのではなく、私から行かせてほしいとお願いしました。父上はただ、貴国との友好関係を続けたいと願い、そして姫の旅が心安らかであって欲しいと願っています。私は、私ならそれができると思ったのでこうして馳せ参じた次第です」

「――それについては、無理を言った俺が悪かった。だけど、ムサイ男と旅をするなんて、まっぴらごめんだったんだよね」


 ティルフィアはばつが悪そうな顔でそう詫びたが、ライゼスはさらに不機嫌さを増した。


「そんな下らない理由だったんですか!?」


 ライゼスの言葉に、ティルフィアもまた不機嫌になる。


「下らないっていうけどな、俺にとっては死活問題なわけ。この外見のせいで派遣された男が俺に好意でも持ったらどうすんだよ。気持ち悪いだろうが」


 心底気持ち悪そうに、ティルフィアが身震いする。事実、そういった経験がこれまであったのだろう。


「それならなんで性別を偽ったりしてるんですか」

「お前、俺がこんなこと好きでやってるとでも思ってんのか?」


 綺麗な顔も台無しな形相で睨みつけてくるティルフィアに、だがライゼスも負けてはいない。


「今会ったばかりで、貴方の事情なんか知るわけないでしょう」

「ラス。失礼だぞ」


 辛うじて敬語ではあるが、歯に絹着せないライゼスの言い様に見かねたセラが口を挟む。セラに止められればライゼスもそのときは口を噤むのだが、ティルフィアに対して悪びれる様子はない。日ごろ、誰に対しても礼儀正しいライゼスのそんな態度は珍しいことで、セラも戸惑ってしまう。


 ティルフィアはといえば、そんな二人の様子を交互に伺っていたが、やがてふうと息をついた。


「ま、確かにボーヤの言う通りだよな。今度はこっちが話す番か」


 腰掛けていたソファに深くもたれかかると、ティルフィアは気が重そうに、もう一度長いため息を吐いた。

 窓の外はすっかり陽が落ち、闇が優しく世界を包んでいた。

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