第8話 お姫様の秘密
たまたま通りかかった宿は、新しくはなかったが小奇麗で感じの良いところだった。部屋に入ってようやく、ティルフィアはフードを脱ぎ、小さく伸びをした。銀髪が肩を滑り落ちて背中に流れる。抜けるように白い肌に澄んだ碧眼、整った容貌は噂に違わぬ美しさで、今は清楚なドレスではなく旅向きの軽装ではあるが、ちっとも彼女の美しさを損なっていない。王が溺愛するのも仕方ないことかもしれないとセラは思った。まして、待望の姫だ。まだ若く、子のないセラでも、王の歓びは安易に想像できる。
そう一人うなずきながら、セラは姫君に声をかけた。
「では、姫。私は隣の部屋におりますので、何かあればお呼び下さい」
「同じ部屋で構わなかったのに」
セラの言葉の合間に、ぽつりとティルフィアが不満げな呟きを漏らす。だが、セラに背を向けた格好での小さな呟きは、セラの耳には届かない。
「え?」
「なんでもないですわ」
聞き返すセラに、ティルフィアは振り向くとにっこり笑った。追及しようかセラは少し迷ったが、姫が何事もなかったようにずっとにこにこし続けているので、気にしないことにする。
「それでは」
「セリエス様」
今度こそ部屋を出て行こうとしたセラを、しかし今度ははっきりとティルフィアが呼び止めた。だが用件があるのかと思えば、なかなか二の句を継がない。結局先に言葉を口にしたのはセラの方だった。
「ティルフィア姫。私はあなたの護衛にすぎません。どうぞお呼び捨て下さい」
「では、わたくしのことも姫などとは呼ばないで下さいませ」
思わぬ言葉が返ってきて、セラはまじまじとティルフィアを見た。その彼女の頬が染まっているのは、気のせいではないだろう。
熱っぽく見上げられて、セラがたじろぐ。
「貴方さえご迷惑でなければ……どうか、わたくしを……」
ティルフィアが少しずつ距離を詰めてくる。こういうことにまったく縁も興味もないセラでも、ここまでされれば気づかないわけにはいかなかった――姫が向ける『好意』に。
かといって、それをうまくあしらう術など持ち合わせてはおらず、「え」とか「いや……」とか、言葉にならないよくわからない返事をしているうちに、ティルフィアにそっと体を寄せられる。
しかしその想いに応えられはしないのは、立場上の問題でも、任務の問題でもなく、もっと根本的なことで。
「姫、私は」
それを口にすべく、とっさにセラが彼女の体を押し戻す――が、その瞬間セラの口から滑り落ちたのは、弁解ではなく悲鳴にも似た叫び声だった。
一方その頃、セラの足取りを追っていたライゼスは、同じ宿に部屋を取ったところだった。
セラがリルドシア城にいる間、彼はずっと城下でリルドシアの情報を集めていた。護衛するだけの任務とはいえ、情報はあって邪魔になるものではない。あとは暇つぶし程度にやっていたことだったが、キナ臭い話ばかりが出てきた。
(この任務……何かあるかもしれない)
ベッドに寝転んでそんなことを思っていたときの、セラの叫び声であった。
跳ね起きて、部屋を飛び出す。セラの部屋まで確認はしていなかったが、ただその気配に向けてライゼスは全速力で駆けていた。
自分は、本来ならこの任務に関係はない――影からフォローするだけの存在だ。ティルフィア姫にその存在を知られてはならないだろう。だが、躊躇なくライゼスは扉をぶち破った。
「姫!!」
爆発しそうになる感情に任せ、叫びながら部屋に駆けこむ。
最初にライゼスと目があったのは、銀の髪と澄んだ碧眼をした少女だった。彼女が例の姫であることは一目でわかる。姫は、顔中に疑問符を浮かべてライゼスを凝視した。無理もない。だが、ライゼスもまた同じような表情をしていることは、ライゼス自身にもわかっていた。
彼の目にとびこんできた状況は、丁度その姫が、セラを押し倒しているところだった。
セラが姫を押し倒して、姫が悲鳴をあげたならば、客観的には――あくまで第三者的には自然だ。だがそうではない。そして、この状況はライゼスにとってはさらにありえない。 だが膠着もまた、一瞬だった。
「ラス!!」
場を切り裂くセラの声は、助けを求める色を帯びていた。はっとして、ライゼスが顔を上げる。
「こいつ――男だ!!」
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