第7話 急な出立

 案内の兵士に連れてこられたのは、正門ではなく裏門だった。


(いよいよ、おかしいな)


 セラが聞いた話では、リルドシアの姫がランドエバーへ留学するということだったが、これではまるで忍びの旅だ。そのような話は一切聞いていない。


「お待たせいたしました」


 セラの黙考は、聞き覚えのない声に中断された。声の主は体全体を覆うローブにフードを目深に被っており、セラはそれが誰だか一瞬わからなかった。


「さあ、参りましょう」


 だが、その言葉でふと思い当たる。フードから零れる銀の髪を見るに、その推測は間違いないのだろう。


「ティルフィア姫……ですか?」

「はい」


 一言で肯定し、姫君は足早に歩き去っていく。ぼんやり見ていたらあっという間にぐんぐん距離が開いていって、慌ててセラは後を追った。間もなく白亜の城は遠くなり、周囲の景色は王都の町並みへと変化してゆく。その間一言も会話はなかった。


「……ごめんなさいね」

「え?」


 ずっと黙していた姫から言葉が上がったのは突然、それも謝罪の言葉だった。思わずセラが怪訝な声を上げると、姫は少しフードを上げて、その美しい碧眼でセラの顔を覗き込んだ。


「城では失礼な態度を取ってしまって申し訳ありませんでした」


 済まなそうにティルフィアがそう続ける。そう言われて、今度はセラが詫びの言葉を口にした。


「姫は女性騎士を望んでおられたでしょう。私が来て驚かれたのではありませんか?」

「いえ、いいんです。失礼なことを申し上げてしまって、悔いておりました。……あなたのような方だったら……わたくしは異存ありませんわ」


 手を頬に沿え、はにかむように笑ってからティルフィアは俯いた。その頬が少し染まっているのにセラは気づかない。

 セラはただ、またも拍子抜けしていた。

 

 この任務を困難たらしめていたものが――それも、ランドエバー王がセラを選んだ理由そのものが――またも簡単に片付いてしまった。


 そもそも任務がややこしくなったのは、王が男性騎士を希望し、姫が女性騎士を希望したことにあった。あまりに拍子抜けして、もはや呆けていたセラに構わず、ティルフィアは顔を上げた。


「それより、貴方の方が驚かれたでしょう? 急な出立で」


 再び視線がぶつかる。改めて、セラは姫の澄んだ青空のような、透き通った碧眼を見た。


「いえ……」


 本心では驚いていたし訝ってもいたが、それをストレートに口に出してはさすがに不躾というものだろう。否定の言葉を口にしたセラに、だがティルフィアは微笑んでみせた。


「良いのです。これからしばらくは行動を共にするのですもの、そんなに気を遣わないでくださいませ。……わたくしはね、城のみなに嫌われているのです」

「何を仰るのです? そのようなことあるはずないではないですか」


 リルドシアの姫君といえば、その美貌は海を隔てたランドエバーでさえ有名だ。

 世界中の人が一目見たいとリルドシアに押し掛けた、などという逸話さえある。こうして実際に会ってみて、人の美しさになど興味のないセラでさえその話もさもありなんと得心したほどだ。もともと美しい国ではあるがリルドシアへの観光客は年々増え、国もたいそう潤ったと聞く。父王の態度を見ても、誰からも愛されて育ったように見える。


 だが、セラのそんな考えを、姫はあっさりと裏返してみせた。


「見ておわかりになったでしょう? お父様はわたくしを溺愛しすぎなの」


 足を止めたセラを、姫が――ティルフィアが振り返る。

 そんなはずはない。そう思いながら、同時にそうかもしれないとも思う。


 事前に聞いていた話では、ティルフィアは王の十番目の子にして唯一の姫君とのことだった。末姫のティルフィアを除き、上に九人の王子がいたはずだ。その彼らをさしおいて、王はティルフィアに国を託したいと言った。それがどのような事態を引き起こすのか――それはセラにも想像に難くない。他の九人の王子や彼らを擁する者には面白い話ではないはずだ。


 ふいに、セラはリルドシアの行く末が心配になった。


(もしかしたら、陛下はこの国のことを憂いて、姫に留学を勧めたのだろうか)


 根拠はないが、ふとそのようなことを思った。


「そういえばごめんなさい、ずっとわたくしが先に歩いてしまって。早く城を離れたかったのです。さぁ参りましょう。そうそう、今日はどういうご予定なのかしら?」

「あ、いえ。私の方こそ失礼致しました。間もなく日が暮れます。今から港へ向かっても出港には間に合わないでしょうから、今夜は王都で宿を取ろうかと」


 問われ、セラはかいつまんで今後の予定を説明した。といって、思っていたのとはだいぶ違うのだが。

 朝になればリルドシア王家から港までの馬車が出て、手配された船に乗るものと思っていたが、まさかの夕闇に紛れての徒歩だった。しかし今日の船の便はもうないし、夕食時も迫っている。ひとまず宿を探すしかないだろう。


「わたくしは外のことを何も知らないの。ですから旅の間はすべて貴方に従いますわ」


 やや自嘲的な笑みを浮かべて、ティルフィア。だが、セラとて他国の町になど詳しいわけがない。それも初めて来る大陸だ。どのような宿があるかもわからないし、どのような宿が姫に相応しいのかもとんとわからない。なにしろリルドシアで宿を取るなど予定になかったのだ。


「ご希望の宿はございますか?」

「普通で構いませんわ」

「普通……ですか?」


 困り果てて王都の町並みを見回してみる。その結果、うまい具合に今いるところが宿屋の前だということに気がついた。一階は食堂なのだろう、窓から良い匂いが漂ってきている。旅人や冒険者が出入りするような飾り気のないその宿は、ごくごく普通ではあったが。

 こんなところに王女様を泊めていいものかとセラがしり込みしていると、ティルフィアは満面の笑みで右手を上げ、手のひらを上にむけてその宿を指し示した。


「例えば、このようなところで」

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