第5話 白亜の城のお姫様

「ティルフィアや」


 部屋の外から聞こえた猫なで声に、姫君は顔を上げた。

 白皙の肌に銀の輝きが零れ、清楚な白のドレスが衣擦れの音を立てる。顔の半分が見える程度くらいに少しだけ扉を開けて、姫は言葉を紡いだ。


「何の用でしょうか」


 綺麗に切りそろえられた前髪の下に、青い瞳が煌めいている。形の良い唇から紡がれる声は、その外見に相応しい鈴の音のような声――


 ではなかった。

 不機嫌を隠そうともしない無愛想な低い声に、その父、リルドシア王は白い眉を大げさなほどに顰めた。


「なんという声を出すのじゃ、ティルフィアや。可愛らしい顔が台無しじゃぞ」


 猫なで声をそのままに、リルドシア王は扉の隙間に恰幅の良い体をねじこんだ。

 姫君――リルドシア王女ティルフィアが、あからさまに嫌そうな顔をする。しかし王に構う様子は見られない。


「そろそろランドエバーから騎士が到着する頃合じゃ。お前、わしに隠れてランドエバー王に書状を送っていたようじゃが、それはわしが預からせてもらっておる。愛想良うするのじゃぞ、ティルフィア」


 揉み手をせんばかりに満面の笑みで近づいてくる父を見て、だがティルフィアはぷいと背を向けた。


「そんなどこの骨ともわからぬ男と、わたくしは旅などしたくありません」

「何を言うのじゃ。大国ランドエバーの騎士じゃぞ?」


 冷たく言い放つ娘に、父は大きく手を広げて――この老いた父が娘に対してするしぐさは、全てどこかが芝居がかっている――懐柔を続ける。そんなことは日常茶飯事なのだが、父のこの様子に、ティルフィアは内心辟易していた。


「わかりました。言うことは聞きますからもう出て行って下さい。わたくしにも準備があります」


 ぐいぐいと両手で父の体を押して部屋の外に出し、すかさず錠をおろす。


 勝手に決まっていた留学にも、父の決めた護衛にも不満はある。だが、この生活から開放されるのは悪くない。

 そう、決して悪くはない――

 父を追い出すことに成功したティルフィアは、窓辺へと歩み寄ると、王都の町並みを見下ろした。


 父は書状を握りつぶした気でいるが、それは父に握りつぶさせるためにあらかじめ用意しておいた偽物フェイクだ。本物は無事ランドエバー国王の手元に着いているはずだった。とはいえ、ランドエバー国王が父王より自分の願いを優先してくれるとは思い難い。


「さて、どんな王子様がわたくしをここから連れ出してくれるのかしら?」


 姫君の投げやりな呟きは、開いた窓から風に乗って流れてゆく。



 ※



 ふと誰かに声をかけられた気がして、セラは空を仰いだ。


 どうやらそれは空耳だったようだが、見上げてみれば視界いっぱいに白亜の城が飛び込んできて、しばらくセラはその荘厳な様に見とれた。

 故郷ランドエバーの城は、軍事国だけあって豪奢というより無骨であり、要塞の風体だ。おまけに古い。だが、このリルドシア城といったら、そんなランドエバーの王城とはまるで正反対で、絵本に出てくるお姫様が住んでいる城そのものだ。


「さて……だからといって、いつまでもぼんやり城に見とれている場合でもないな」


 呟いて、セラは城へと向き直った。ライゼスとは既に港で別れている。ここからは一人で騎士として任務を遂行せねばならない。

 意を決して、セラは歩みを進めた。城の周りには堀が張り巡らされ、澄んだ水の上に白鳥が優雅に羽を伸ばしている。その上にかかる跳ね橋を渡り始めると、門番の目がセラを捉えた。 


 甲冑を着込んだ二人の門番は、セラの姿をその目に捉えるやいなや、ガシャガシャと着込んだ鎧を鳴らせて勢いよく走り寄った。


「もしや、姫の護衛にランドエバーよりいらした騎士様でしょうか?」


 突然鎧騎士に詰め寄られ、名乗るより先に素性を当てられてギョッとしたが、セラは毅然とした態度で頷いた。


「いかにも。私はランドエバー騎士団第九部隊所属、セリエス・ファースト。王の命で、王女ティルフィア様をお迎えに――」


 だが、そこまで言ったところで、門番二人にがっしと両側から腕を掴まれ、セラの言葉は途中で切れた。


「お待ちしておりました、騎士様。さぁ、こちらへ!!」


 そのまま二人にぐいぐいと腕を引っ張られ、セラは目を白黒させながら城の中へと引きずられていった。

 あれよあれよという間に貴賓室に到着し、そこでやっと強引な門番の案内から解放される。「しばらくお待ち下さい」、そう言って彼らが退室すると、セラは大きく息を吐きだした。


 歓迎される――とまでは行かなくとも、客人として迎えられるだろうと思っていた。しかし門にいた二人の兵士は、まるで来訪を知られたくないかのように慌ててセラをここまで運んできた。


 もしかして、この来訪は望まれぬものだったのだろうか。思わずそうセラが考え込んでいると、扉が開く音がした。

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