第1話 セラとライゼス
路地裏の奥の奥まで入り込み、周囲にまったく人の気配がないのを確認してから、ようやく若者は声を上げた。
「いい加減に姿を見せ――」
「なんで人気のない方向に行くんですか! 危ないでしょう!?」
低く発した言葉は、怒鳴り声に阻まれた。その声を聞くなり若者は渋面になったが、すぐに負けじと叫び返した。
「お前が尾けてくるからだろッ!」
びし、と指差す先にいるのは、さらさらの金髪と、リラの花びらのような色の瞳をした、魔法使い風のローブを着た少年だった。魔法が失われつつあるこのご時世からすれば、やや珍しい装いと言える。
実は若者にとって、この少年はよく見知った者であった。若者の凛として大人びた風貌に対して、少年の見た目はやや幼さを残しており、見た目の歳の差はだいぶ開いているがほぼ同じ歳である。
ともあれ、指をさされながら詰め寄られ、少年はさぁっと青ざめた。
「またそんな汚い言葉遣いをして! だいたい貴方は――」
「あああああああ……」
くどくどと始まった少年の小言に、若者は頭を抱えてしゃがみ込んだ。その肩がふるふると震える。
「だから、私は陛下に申し上げたのですよ。一人で外出させるなどもっての他ですと――」
「やかましいッ!!」
ついに耐えかねて、若者は立ち上がると、叫んだ。
「いいか、ラス――いや、ライゼス。私は正式に陛下の命を受けて動いているんだ。れっきとした任務なんだ。わかったか? わかったら早く帰れ」
「いえ、陛下は迷っていらっしゃいました。なのに、ひ――」
怒鳴られてもそれを歯牙にもかけず、ライゼスと呼ばれた少年が言い返す。しかし、ある『呼称』を口にしそうになったところで鋭く睨まれ、言葉を止めた。斬りかかってきかねない目つきだった。
「――セラ様が、勝手に飛び出していったんじゃないですか」
「様はいらない。敬語もだ」
有無を言わさぬ口調で言われ、ライゼスが大きな溜め息をつく。
「じゃあ、セラ。一緒に城に帰ろう」
要求通り、ライゼスは敬語を使うのを止めた。若者――セラの機嫌をとって言うことを聞いてもらうためだったが、セラはあっさり首を横に振った。
「嫌だ」
実にあっさりと拒否される。しかしライゼスもまた引かなかった。
「じゃあ、僕も行きます」
「なんだ、その『じゃあ』っての言うのは!?」
セラにとって、ライゼスの言葉は予想していたものではなかった。
どうせしつこく止めてくるだろうから、どうにか言いくるめて、無理なら撒いてでも、ここに置いていくつもりだった。しかし彼が口にしたのは『自分も行く』という言葉だったのである。それは想定外だった。
「僕にも任務があるんですよ」
「……なんの」
「あなたのお守りをしろとの陛下の命です」
咄嗟に言葉を失うセラに、ライゼスは幾分表情を緩めた。
「確かに、今回の任務は貴方が適役でしょう。僕は是が非でも止めたかったのですが、セラが行くというのならもう何も言いません。陛下も同じ気持ちでしょう」
ライゼスの言葉に、セラは安心したように息を吐いた。だがすぐに表情を引き締めると、彼をキッと睨みつける。元々目つきが鋭いので、ちょっとでも睨まれるとかなり凄まじい形相になる。
「だが、私にお前のお守りは必要ない。城へ帰れ」
「いーえ、必要ですね。さっきだって、そう路銀も多くないのにリンゴなんか買わされて、しかも手も洗わずに食べたでしょう?」
「洗わずとも死にやしない! お前の、そういう過保護すぎるところが私はイヤなんだ!」
これまでまったく怯まなかったライゼスだが、明確な拒絶を受けて、初めて一瞬言葉に詰まった。しかし、その少し傷付いたような目を見て、セラも一瞬口を噤んだ。しかし、すぐにそれを振り切るように頭を振って、言葉の先を続ける。
「ラス、心配してくれるのはありがたいが、私はもう子供じゃない。自分の事は自分でできるし、自分の身は自分で守れる」
「……ええ。知っていますよ、そんなことは」
セラの父は、大陸を越えてその名を轟かすほどの英雄だった。その才能を余すことなく受け継いだセラ自身の剣の腕も、歴戦の戦士顔負けであるということはライゼスも良く知るところである。
過保護なことは自覚していた。しかし、セラが自分よりはるかに強いことを分かっているから、くだらないどうでもいいことばかり心配することになって、煩わしいと思われるくらい過保護になってしまうのだ。
ライゼスは、ぎゅっと両手を握り締めた。
「なるべく口出しはしませんから、同行させて下さい。僕はただ、」
真摯な紫の瞳に見つめられ、セラはそれを遮ろうと口を開いた。だが何も言えなかった。
直感的に負けを悟る。
セラに負けず劣らず、ライゼスもまた頑固である。そして、幼い頃から最も多くの時間を共有し、誰よりも互いを知っている。
だから結局、セラも彼の言葉は無下にできないのだ。
「ただ、貴方を守りたいだけです」
もとよりセラも、本当にライゼスのことが煩わしくて帰れと言ったわけではない。ただ、穏やかな日常を好む彼を自分の任務に巻き込みたくなかっただけだ。だがそれを言えば却って傷つけることくらいはセラにもわかっている。
故に、まっすぐなライゼスの言葉に、セラは頷くしかできないのであった。
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