脳筋姫様は冒険したい
羽鳥紘
第一章 銀の髪の姫君(プリンセス)
序章
昼下がりの市場は、ちょっとした祭りのような賑わいを見せていた。昨日まで続いた長雨が今朝上がったのだ。大通りにはずらりと出店が立ち並び、たちまち人々が群がった。
その様子をきょろきょろと見回しながら、石畳を歩く者の姿がある。
「ちょっと、兄ちゃん! そこ行く冒険者の兄ちゃん!」
喧噪の中でもよく通る大きな声が、その冒険者風の旅人を呼び止める。最初は素通りしたのだが、しつこく呼ばれて根負けしたのか、一度は通り過ぎた足を声の方に向けた。
「……それ、私のことか?」
フードを少し持ち上げて返事をする。その下には、明るい翠色をした双眸が覗いた。目つきの鋭い若者だ。
「他に誰がいるんだね」
声をかけたのは、刀剣類の出店の主人だった。彼が呆れたような声を上げたのは、この辺りには他に女性客しかいないからである。若者が足を止めたのも、それに気がついたからだった。
周りが女性ばかりなのは、この辺一帯に元々あるのが
「なんでこんなところで武器を? 場所を間違えたんじゃないか?」
若者の声は決して揶揄するような響きを含んでいなかったが、店主は「皮肉かい?」と苦笑した。
「出遅れちまってね。場所が取れただけでもよしさ」
女たちのキャアキャア騒ぐ姦しい声が終始耐えず耳につく。この雰囲気に近づこうと思う冒険者は少ないだろう。
「どうだい兄ちゃん。これも縁だ。何か買っていかないか?」
「生憎だが、剣は間に合っている」
若者が腰の剣に触れる。店主はそれをちらりと眺め、そして品定めするように目つきを鋭くした。人の
「よく使い込んでるね。それよりもアンタの手に合う業物は、確かにウチにはなさそうだ」
「……どうも」
獲物の価値と使い手の力量を的確に見抜いた口調。それに驚いたように目を見開いて、若者が短い謝辞を口にする。
「それはそうと、ナイフはどうだい? 旅には何かと役立つ。リンゴの皮もこの通りだ」
ガラッと口調を変え、店主はどこからともなく取り出したリンゴを、これまたいつの間にか手にしたナイフでするすると剥いてみせた。
「今ならリンゴもおまけにつけるよ」
「ナイフも足りてる」
「ならリンゴはどうだい。このためにわざわざ仕入れた新鮮なリンゴさ」
店主は諦めない。麻袋からリンゴを覗かせた彼に、とうとう若者は観念した。
「負けたよ。じゃあリンゴをひとつもらおうかな」
「毎度あり!」
商売人の声かけに迂闊に答えるものではない。そんな教訓を得て、若者はリンゴを受け取るとフッと笑った。
※
精鋭の騎士団と光の加護で知られる、ランドエバー聖王国。
出店で賑わうこの大通りは、その城下町にある。しかし戦乱の時代が終わりを告げ、平和が訪れた今となっては、軍事大国という物々しい肩書きもそぐわなくなってきた。治安が良く住みやすいことで知られるこの国は、広い領土に多くの人口を抱え、城下町の賑わいもひとしおである。それでも大通りを外れると、人の波は次第に引いていった。
人ごみを抜けて、若者がフードを後ろに払う。束ねたアッシュブロンドが尻尾のようにばさりと垂れた。
「そういえば、昼食べてなかったな」
先ほど買ったリンゴに目を向け、若者は呟いた。
成り行きで買ったものではあるが、大振りで実に旨そうである。早速皮を服で擦って思い切り齧りつくと、程よい酸味と甘味が口に広がった。だがふと気配を感じて、二口目をためらう。
(やはり、尾行されている――か)
溜め息を殺して、何事もなかったかのように再びリンゴを齧る。市場に入った辺りから視線は感じていたのだが、あまりに人が多かったために断定はできなかった。
リンゴを食べ終えて芯を放ると、若者はくるりと踵を返して路地裏へ入った。
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