カフェ・ビビッドー2

 Photon epoch 3


 やっべ! 身長一六五センチの女子高校生の口から国語欠点をとったときと同じ音が漏れる。アドリアノーヴァはいつも、オコサマスコミの職務を果たすべく首から一眼レフカメラを提げてヴェロニカを追い回している。というのも、遠心科生の間で代々語り継がれている噂がある。『最も強度の高い遠心能力者は、全ての真実にすら至る』。家庭環境が恵まれず、意味不明で超常的な力を与えられた彼女たちが、不確かな自分の過去を想って生み出した、願望に近い噂だ。

「カメラちゃん、ウチもう閉店にしたいんやけど。一八時やで、はよ帰って休みぃ」

「第七分類のこの方が知っているに違いない、真実を聞くまで離れません。さっき何か言いかけてるのがレーダーにきました」

「えーと、カメラちゃん? うーんと、ネタ、ネタかぁ。そうだ、ついに、あたしの恵まれたスリーサイズについて教えたげよっか。なんちゃって」

「見た感じつまんない数字っぽいのでいいです」

「こぉんの、デマロリィ……」

 観念して店の入り口の待合用の長椅子に腰かけた平均的スタイルのヴェロニカは、将来有望な北国美少女の呆れ顔にさらされた。髪や肌だって、車椅子の相手の方がつややかで美しく見えるのは、単に架空飾パーカーを着た回数の差なのだと自分に言い聞かせるしかない。しばらく睨み合うが、この厄介な一眼レフを遠ざけるには、いつも通り何かネタを提供する必要がある。年齢差を駆使して、こちらを悪者にする手段をアドリアノーヴァがいくらでも取りえることを、ヴェロニカはいくつかの悲劇的な経験から知っていた。女子高校生は、特別判定の修学奨励費で買ったコートを脱ぎ去り、ついでに髪と同じクリーム色のトップスもカウンターに置くと、ブラの上に白シャツ一枚で大きく腰を鳴らす。

「背中に花を創るから、しっかり撮りなね」

 店主の、いきなり脱ぐなや、という声も、アドリアノーヴァの、いやスリーサイズはほんとどうでもいいんですけど、という声も。長い廊下へ踏み出す、一つのステップに音を失った。瞬く床から朱色Vermillionの粉塵が吹き上がり、続くターンに合わせて服の上に収斂し、彼女自身を覆う輝かしいパーカーを成す。干渉波架空飾Visonary・Hoody、形成。

 続いて、浮く。クリーム色の髪がなびき、足が離れる。振動とまわる風。脱いだおかげでパサパサにせずに済んだベージュのコートを横目で見て、小さな嵐のなかの女子高生は口を閉じた。中学部の卒業試験からほぼ三年が経とうとしている。発生した着物に模様を象ることができるまでに、彼女は能力の扱いに慣れていた。

 ヴェロニカのために設けられた第七分類は、文字通り過去類を見ないほどの暴威だ。全力で振るえば、二〇階建ての商業ビルを富士の山頂まで射出することができる。天地を揺るがす推進。そんな超常のV遠心の力を細やかに使って、重力の軛を断たれた彼女の背の朱色に、濃度の差が現れる。ゆっくりと形作られていくのは、腰椎の位置から肩口まで、翼に似て開かれる一輪のカーネーションだ。

「うぉお、ヴェロニカさん流石です! これはニュースですよ!」

 みんな卒業に必死なのだ。遠心能力でこんな風なヴィジュアルアートをするなんていう発想も余裕もない。カメラを向けたまま上ずった声を出す年下にだいぶ気分を良くした空中のヴェロニカは、更に続ける。

「頭の方に集中すると、ほら、こんな感じに! ぽん!」

「うわ、耳がでた! すごいすごい!」

「お尻の方に集中すると、ほら、こんな感じに! ぽん!」

「うわ、尻尾生えた! すごいすごい!」

 ネコミミ尻尾のケモパーカーに変えられてしまった干渉波架空飾Visonary・Hoodyに大盛り上がりする二名。ビビッドはこれが若さか、といった表情で微笑みながら立ち上がった。どれだけ範囲を絞って制御を利かせたところで、チラシやテーブルクロスは巻き上がる。店長がすぐに客席の箸や取り皿をしまっていなければ、店が割れものだらけになるところだった。

「ええと、ごめんなさいでした……ぶへっくし、」

「ええよ、うちも止めんかったし。はよ服着ぃやぁ」

 数十分経って、満足したアドリアノーヴァが車椅子を高鳴らせて帰ったあと、やらかしのヴェロニカは少し荒れた内装を直していた。自分のために作られた、第七分類。学校があって、制度があって、護られていなければ、いますぐあらゆる行動を制限されても仕方のない力だ。一〇年も前に生まれていたら、一七歳まで生きていなかったかもしれない。「遠心能力使用許可店」なんていう日本で一〇軒も貼られていないチラシを壁際に張り直すと、一二月の風に震えながらコートを羽織った女子高生はカウンター席に小さくなって座った。

「――真実が知りたいのはあたしの方だっての」

 六歳のころに離れ離れになって、ついにまた会うことが出来なかったお母さんは、自分のことをどう思っていたんだろう。ここ二年まともにコミュニケーションのとれないフタヒメと、どうやったらまた仲良くなれるだろう。

 母のことは全然気にしていないから、心配しなくて良いよ。これは嘘だ。事故の翌日から何日も寄宿舎に引き籠ったのを、フタヒメは知っている。今年絶対卒業しよう。これも本当は難しい。一緒に踊ったから分かっている。今日の失敗は、残念ながら寝不足の自分のせいではない。正真正銘最大のV遠心で中央に必死に引っ張っても、振り回されて、判定はあの有り様だった。都合の良い奇跡が起こらない限り、あと三ヶ月でフタヒメが卒業可能になることはない。卒業の見えない生徒に割り振るには、遠心能力卒業証明と教員免許をどちらも備えた大人が限られ過ぎている。自分たちを担当する日和宮ひよりのみやは、後者だけを持った一般人だ。ヴェロニカの卒業後はもっと、フタヒメの卒業に希望がなくなるだろう。

 だから、留年を前提として、ヴェロニカはフタヒメとペアで卒業しようとしている。なんて声をかけたらいいだろうか。どう説得したらいいだろうか。また仲良くしたい。一緒にアメリカに帰りたい。それだけなのに、分からないことばかりだ。真実というものがあるのなら、教えて欲しい。窓の外に目をやれば、冷えた夜空を覆う雲。第七分類の遠心能力は、未だ星になった母のいる宇宙には届かない。

 遠心能力は国連の研究機関の極めて厳格な管理下に置くべきだ。ビビットが電源を落とすのは、少し遅かった。背後のテレビ、災害等危機対応に関する復興国際総会のニュースで、欧州代表の大臣が口にしたその言葉は、俯いて考え込む生徒の耳を叩いた。確かにそうだ。何も分からないのに、この危険さだけは、生まれてからずっと、真実であり続けている。

 国際連合は地域別の復興国際会議を主にしたものになり、常任理事国制度は廃止された。家族や、フタヒメ。もっとも大切なことが、絶えず眼前に流れ込んでくるノイズに霞む。隕石も、国際情勢も、未だに続く偏見も、全部どうでもいいと思うのに、就職のための勉強の裏に色付いて見えてしまう。元気に去って行った車椅子の少女の背中と共に、また一つ余計なことを思い返す。イギリスが解体されたのと同じで、カメラちゃん、アドリアノーヴァの帰るべきロシアという国は、天体衝退行インパクター・ギャップから派生した内戦で滅亡している。

 頭を振ってクリーム色の髪を揺らしたヴェロニカは、んあーっ、と伸びをしながら両目からすっと透明な涙を流す。

「泣いたのは……いつ以来だろう。今日、朝遅刻して以来かな」

「おっさんの方がだいぶマシな頻度やんけ」

「ひっど――って、これ、ミニうどん? 閉店時間もう過ぎて……」

「力使うたら腹減るやろ。食って帰れ。寒いと風邪ひくから」

「おばさ」

「おねえさん、ありがとうございます! や」

「や!」

「ややないわ!」

 考えることは多いやろうけど、そんなに簡単に人生お先真っ暗にならへんよ、と区切ったあとで、カウンター席の内側に戻った店長は、自分の卒業証明をレジの下の棚に戻した。

「H遠心第七分類なら、介添えなしでも二年くらいの留年で卒業できるやろ。困ったら二人ともウチが雇ったるから、アンタはもっといまの思いで進路を選んだらええ」

「でも、あたし、自分が隠してたことを上手く切り出せるかどうか……」

「どうせ、明日には全部バレとるしな」

「――は?」

「――え?」

 穏やかに流れる時間が突如として断たれ、疑問符の付いた顔で、女性同士が見合う。うち、口からうどんがはみ出したまま目をぱちくりさせていない方が、続ける。

「止まっとったやん、空中に一〇秒以上。撮られとったやん、録画で」

 あ。一瞬の沈黙のあと、女子高生どころかやや人間失格の音を出して麺を一気に啜ると、ヴェロニカはガっと立ち上がって、カウンター席のでっぱりのところに腰を打ち付けた。写真じゃなかったんかぁいという怒りの咆哮は、しゃぢ、という間抜けな声にとどまったが、それで若い彼女の肺は限界を迎えたりしない。混乱の極みにあってはなおさらだ。

「痛ぅううううう! フゥー! 録画ぁああああああ!」

「二杯目のお代はいらへんのと、いまから追っかけても多分無駄やで」

「録画ぁ……」

「また泣き出すなや、なるようになるって」

 そのあと、一応追いかけてみたものの、アドリアノーヴァは車で長く待たせていた里親にこてんぱんに叱られながら回収されて帰ったらしかった。凪いだ周防灘の、輝ける海岸線。夜を灯す徳山の工場群に雪の降るなか、ロクガァと繰り返しながら街を徘徊する女子高生の怨霊の噂が広まったのは翌日の話だ。また、ヴェロニカの静試験における偽装申告事件が『放送委員会、お昼のニュース』によって職員室を震撼させたのも、同じ日になる。

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