カフェ・ビビッドー1

 Photon epoch 3





 Centrifugal-Class of 1997. Vivid

 Vertical-Category3

 遠心科 平成九年度卒 ビビッド 

 V遠心 第三分類



 寄宿舎から徒歩一〇分で徳山駅前になる。夕方。遠心科生たちの憩いの場であるカフェ・ビビッドは、閉店間際の閑散を玄関の呼び鈴に飾っている。

「うわぁ、やっぱりちょーかっけぇ」 

「第七がよう言うわ、ミニうどんでええか」

 手前から二番目のカウンター席。壁に揺れる新南陽しんなんよう総合支援学校文化祭のポスターを一瞥したあと、ヴェロニカが目を移したのは、関西弁女性の首から下がる、名刺ほどの大きさのアクリル板だった。触らせてもらったこともある、遠心科創設黎明期の卒業証明だ。こげ茶色でウェーブのかかった髪に、子どもっぽい笑顔。今年で三六歳になる大らかな雰囲気の店長は、公的に存在を認められた能力者の第一世代であり、遠心科生たちには身近で力強い相談役として通っている。

「高等部になってから全然名前で呼んでくれなくなっちゃって、よそよそしくて遊びにも乗らないし、文化祭の打ち上げにも来なかったじゃないですか。何だよもー、あたしそんなに嫌われることした!?」

 両手を空につき上げながら、顔芸も添えて、うがーとうめく声。ヴェロニカが用意されたうどんから視線を外して愚痴を言うと、ビビッドはカウンターを出て、テーブル席の椅子に座った。二人を隔てる石畳の廊下に冷たい風が吹く。今夜は雪の予報だった。

「お母さんの件やろ。内緒やけど、フタヒメちゃん、ここで相当思い詰めとったで」

「えぇ……気にすることないのになぁ……」

 遠心能力者が世間に知られてから五〇年が経つが、彼女たちが広く人権を与えられたのは二〇年程度前の話だ。現在、遠心能力者は世界に三万人、本人が秘匿しているものも含めればその五倍はいるらしい。一九七〇年からいままで、どんな代議員も持たない彼女たちは、見つかって秘密裏に殺害されたり、売られたり、様々な科学実験にさらされたりした。

 しかし、ソヴィエト崩壊に続いて、平成の破滅的な事件が役立った。予言されたことPredicted、だ。ノストラダムスは正しかった。二〇〇〇年の前年、東京は首都ではなくなった。それと同じ理由で、ほか複数の国が大都市を放棄した。天体衝退行インパクター・ギャップ、流星群による被害だった。五個のサッカー場サイズの隕石がそれぞれマグニチュード7クラスの震災を伴いながら香港、クレムリン、メッシーナ、ロンドン、アカプルコを凹面の底に沈めたあと、追って降った千を超える一軒家程度の子弾が東京ほか二〇〇の街に致命的な大穴を穿った。後続した内戦も含めて一五三〇兆円分の経済利益と、世界人口の二割を削り取ったこの惨劇に関して、世界のひとびとは、遠心能力者たちにその原因を求めることができなかったし、彼らへの迫害をほとんど中断せざるを得なくなった。一年後、日本政府の公安情報部隊によって全世界に暴露された米露中の兵器化実験結果によれば、遠心能力者は――たとえ彼女たちを薬物漬けにして電気刺激を浴びせ、死ぬまで能力を最大出力で行使させても―――大気圏外への影響力を持つほど強力にはならなかった。加えて、異能力者を徹底的に排斥するほど、世界に体力は残っていなかった。

 限られた資金による復興のなかで、黎明期から世界中に疎らにあった遠心能力者のための施設は、いまや大阪に首都を構えたこの国の、本州最西端の県だけに残っている。ヴェロニカやフタヒメ等、生徒たちの国籍が豊かなのもこのためで、彼らが日本語をネイティブに話すのも、幼少期に世界中から保護される場合がほとんどということが理由になる。多くの国際組織と掛け合って権利を勝ち取ってきた遠心能力自警集団と、彼女たちの力を狙うテロ組織や財閥、軍隊との衝突は、水面下でいまもまだ続いているという。

 そういうわけで、ヴェロニカより前の世代の半生はめちゃくちゃだ。このカフェを営んでいるビビッドだって、遠心科卒業によって戸籍を得た、本名を持たない孤児だったりする。遠心科生も、措置施設や一般扶養制度に頼っているものが多く、血縁者が保護者である場合が滅多にない。その滅多にないのがヴェロニカ・ヴィランコートの両親であったが、母親が二年前に航空事故で死んだ。

「意地でもアメリカに帰してお父さんに会わせるんだっていっとった。オフレコやで」

 慈しみを湛えた店長の言葉に、ヴェロニカは思い返す。遠心科生たちは、留年が重なりすぎると、特殊な施設での労働を強いられることになるという。このささやかな片道徒歩一〇分の外出は申請できなくなる。卒業証明がなければ、ビザも認めれないため、海外への渡航は永遠に不可能だ。口座の開設も車の運転も、社会で生きていく上で必要なことは、ほとんど認められない。不自由。高等学校三年生就職内定率97%の冬。就活用の時事本を読み漁っている彼女に、三文字の言葉が浮かぶ。遠心力が強くていいことはないのだ。架空飾パーカーによって、髪がぼさぼさになって、服がぱさぱさになって、肌がかさかさになるだけだ。困ったちゃんな未来を想像するヴェロニカの目は、しかし別に深く伏せられてはいなかった。決意を新たに勢いよく麺を啜ると、ちょっと噎せて、口を開く。

「げほっ、あーあ、そっかぁ。あたしが一〇秒止められるっていったら、怒るよねフタヒメ」

 卒業試験には静動の二種類がある。静試験は、遠心能力を起動して一〇秒間空中に静止することを合格要件とするもので、動試験は、遠心方向を異にするパートナー同士で空中で一曲踊り切ることをそれとするものだ。前者が達成させれば事実上能力のコントロールはできているので、基本的に後者を失敗することはない。だが、動試験が上手くいかない場合、理由は二つある。一つは、どちらも静段階が達成できていないこと。もう一つは――これが最もよくあるパターンなのだが――V遠心能力者が制御の効きにくいH遠心能力者に振り回されてしまうことだ。

 地球という回転座標系に依拠する一つの巨大な遠心力より、運動する自分にかかるほか全ての遠心力をコントロールするほうがずっと難しい。そういうわけで、H遠心能力者の卒業はV遠心能力者のそれより二年近く遅れることが多い。遠心科における動試験のパートナーは毎回変えることができ、五対六ほどの比率で数の少ないV遠心がH遠心を選ぶ形を取る。基本的にパートナーを得られない第五分類以上のH遠心能力者は、V遠心を持つ教官と踊る。二人組作って、あ、余ったきみは先生と組もうねというやつだった。

「中学部の最終試験の前にね、もう止められたんだよ。だからいつでも卒業できる。でも、あたしは一緒に卒業したいんだ。第七分類のV遠心能力は誰も持ってない。あたしが強く引っ張ってあげないと、フタヒメが留年しちゃうかもしれないから。動試験だけでも誤魔化せれば、きっとコツを掴んで一緒に帰れ――」

 ドォン! 優しく潤んだ目をしたクリーム色の彼女の言葉を、無粋な扉の殴打音が遮った。何事かと後方に向き直った二人だったが、たのもー! と聞きなれた声まで響いてくる。ちょっとの苦笑いののち、店長が開いたドアの先には、車椅子に乗った一人の少女があまりにも堂々とした様子で控えていた。

Добрый вечерドーブライ・ヴェーチェル! 未来のハイパー・ジャーナリストのお通りだい! スクープの匂いはここかぁ!」

「カメラちゃん、あたしのうどんの残り食べる?」

「はい!」

 現れたのは、遠心科には珍しい肢体不自由との重複学級に所属する、白髪ストレートの児童だ。小学部四年、名前はアドリアノーヴァ・ハルエイ・ホリンシェスキー。長いので、みんなにカメラちゃんと呼ばれている。北ユーラシア出身なのにやたら日本語が上手いのは、彼女の両親もまた行方不明になっており、一歳のころにこの学校に引き取られたからだ。

 半分くらい残ったうどんを手渡して、トレーにお金を置き、裏口から撤退しようとするヴェロニカだったが、一歩遅かった。信じられないくらいの速度で白い麵を飲み下した少女は、電動の車椅子で店内に滑り込んでカウンターにお椀を戻すと、逃げるなスクープ! の叫びと共にクリーム色の髪を指差した。


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