カフェ・ビビッドー1
Photon epoch 3
Centrifugal-Class of 1997. Vivid
Vertical-Category3
遠心科 平成九年度卒 ビビッド
V遠心 第三分類
寄宿舎から徒歩一〇分で徳山駅前になる。夕方。遠心科生たちの憩いの場であるカフェ・ビビッドは、閉店間際の閑散を玄関の呼び鈴に飾っている。
「うわぁ、やっぱりちょーかっけぇ」
「第七がよう言うわ、ミニうどんでええか」
手前から二番目のカウンター席。壁に揺れる
「高等部になってから全然名前で呼んでくれなくなっちゃって、よそよそしくて遊びにも乗らないし、文化祭の打ち上げにも来なかったじゃないですか。何だよもー、あたしそんなに嫌われることした!?」
両手を空につき上げながら、顔芸も添えて、うがーとうめく声。ヴェロニカが用意されたうどんから視線を外して愚痴を言うと、ビビッドはカウンターを出て、テーブル席の椅子に座った。二人を隔てる石畳の廊下に冷たい風が吹く。今夜は雪の予報だった。
「お母さんの件やろ。内緒やけど、フタヒメちゃん、ここで相当思い詰めとったで」
「えぇ……気にすることないのになぁ……」
遠心能力者が世間に知られてから五〇年が経つが、彼女たちが広く人権を与えられたのは二〇年程度前の話だ。現在、遠心能力者は世界に三万人、本人が秘匿しているものも含めればその五倍はいるらしい。一九七〇年からいままで、どんな代議員も持たない彼女たちは、見つかって秘密裏に殺害されたり、売られたり、様々な科学実験にさらされたりした。
しかし、ソヴィエト崩壊に続いて、平成の破滅的な事件が役立った。
限られた資金による復興のなかで、黎明期から世界中に疎らにあった遠心能力者のための施設は、いまや大阪に首都を構えたこの国の、本州最西端の県だけに残っている。ヴェロニカやフタヒメ等、生徒たちの国籍が豊かなのもこのためで、彼らが日本語をネイティブに話すのも、幼少期に世界中から保護される場合がほとんどということが理由になる。多くの国際組織と掛け合って権利を勝ち取ってきた遠心能力自警集団と、彼女たちの力を狙うテロ組織や財閥、軍隊との衝突は、水面下でいまもまだ続いているという。
そういうわけで、ヴェロニカより前の世代の半生はめちゃくちゃだ。このカフェを営んでいるビビッドだって、遠心科卒業によって戸籍を得た、本名を持たない孤児だったりする。遠心科生も、措置施設や一般扶養制度に頼っているものが多く、血縁者が保護者である場合が滅多にない。その滅多にないのがヴェロニカ・ヴィランコートの両親であったが、母親が二年前に航空事故で死んだ。
「意地でもアメリカに帰してお父さんに会わせるんだっていっとった。オフレコやで」
慈しみを湛えた店長の言葉に、ヴェロニカは思い返す。遠心科生たちは、留年が重なりすぎると、特殊な施設での労働を強いられることになるという。このささやかな片道徒歩一〇分の外出は申請できなくなる。卒業証明がなければ、ビザも認めれないため、海外への渡航は永遠に不可能だ。口座の開設も車の運転も、社会で生きていく上で必要なことは、ほとんど認められない。不自由。高等学校三年生就職内定率97%の冬。就活用の時事本を読み漁っている彼女に、三文字の言葉が浮かぶ。遠心力が強くていいことはないのだ。
「げほっ、あーあ、そっかぁ。あたしが一〇秒止められるっていったら、怒るよねフタヒメ」
卒業試験には静動の二種類がある。静試験は、遠心能力を起動して一〇秒間空中に静止することを合格要件とするもので、動試験は、遠心方向を異にするパートナー同士で空中で一曲踊り切ることをそれとするものだ。前者が達成させれば事実上能力のコントロールはできているので、基本的に後者を失敗することはない。だが、動試験が上手くいかない場合、理由は二つある。一つは、どちらも静段階が達成できていないこと。もう一つは――これが最もよくあるパターンなのだが――V遠心能力者が制御の効きにくいH遠心能力者に振り回されてしまうことだ。
地球という回転座標系に依拠する一つの巨大な遠心力より、運動する自分にかかるほか全ての遠心力をコントロールするほうがずっと難しい。そういうわけで、H遠心能力者の卒業はV遠心能力者のそれより二年近く遅れることが多い。遠心科における動試験のパートナーは毎回変えることができ、五対六ほどの比率で数の少ないV遠心がH遠心を選ぶ形を取る。基本的にパートナーを得られない第五分類以上のH遠心能力者は、V遠心を持つ教官と踊る。二人組作って、あ、余ったきみは先生と組もうねというやつだった。
「中学部の最終試験の前にね、もう止められたんだよ。だからいつでも卒業できる。でも、あたしは一緒に卒業したいんだ。第七分類のV遠心能力は誰も持ってない。あたしが強く引っ張ってあげないと、フタヒメが留年しちゃうかもしれないから。動試験だけでも誤魔化せれば、きっとコツを掴んで一緒に帰れ――」
ドォン! 優しく潤んだ目をしたクリーム色の彼女の言葉を、無粋な扉の殴打音が遮った。何事かと後方に向き直った二人だったが、たのもー! と聞きなれた声まで響いてくる。ちょっとの苦笑いののち、店長が開いたドアの先には、車椅子に乗った一人の少女があまりにも堂々とした様子で控えていた。
「
「カメラちゃん、あたしのうどんの残り食べる?」
「はい!」
現れたのは、遠心科には珍しい肢体不自由との重複学級に所属する、白髪ストレートの児童だ。小学部四年、名前はアドリアノーヴァ・ハルエイ・ホリンシェスキー。長いので、みんなにカメラちゃんと呼ばれている。北ユーラシア出身なのにやたら日本語が上手いのは、彼女の両親もまた行方不明になっており、一歳のころにこの学校に引き取られたからだ。
半分くらい残ったうどんを手渡して、トレーにお金を置き、裏口から撤退しようとするヴェロニカだったが、一歩遅かった。信じられないくらいの速度で白い麵を飲み下した少女は、電動の車椅子で店内に滑り込んでカウンターにお椀を戻すと、逃げるなスクープ! の叫びと共にクリーム色の髪を指差した。
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