実行

 結局、僕は遅刻してしまった。僕が教室に着いたとき、すでに一時間目は終わっていた。

 教室に入ると「津田山くん遅いじゃーん」「お寝坊さんでちゅかー?」などと嘲るような声が聞こえる。佐藤の取り巻きだ。嘲る声が聞こえたその次には、きっと体をわざとぶつけてきたり、ものを取り上げたりしてくる。でも運よく次の授業の先生が来たから、彼らは僕に近寄ることなく席についた。


 そんなこんなで……いつも通り六時間授業が終わった。僕は一旦家に帰ったが、この後だ。この後が問題だ。


「今月金なくてさぁ、そろそろまた貸してほしいんだけど」


 昼食後、佐藤はニヤニヤしながら僕に告げた。「貸してほしい」なんていうのは方便にすぎない。実際のところ、僕は何度も強引にお金をむしり取られている。

 今、僕の財布には千円札が一枚だけしかない。親に頼もうにも、仕事で家にいないのだから不可能だ。これをもって、待ち合わせ場所に行くしかない……けれども、奏汰の話によれば、そのとき僕は池に突き落とされて死ぬらしい。行かなければその日は死なないらしいが、後日結局殺されるという。


 僕は震える手で玄関のドアノブに手をかけた。息が詰まる。全身が緊張していて、手も足もロボットのような動きになってしまう。


「殺される前に殺すんだよ……」


 奏汰の言葉が、脳内をぐるぐると駆け巡っている。生きるために他の命を奪う……それ自体は、日常的な営みだ。とはいえ、相手が人間では話が違う。怖くて仕方がない。奏汰は「俺の言う通りにすれば絶対成功する」なんて言っていたけど、こんな心もちで奏汰の言う通りのことをできる自信がない。

 

 待ち合わせ場所のユメ池までの道のりを、僕はカクカク歩いた。最初の信号までの道が、いつもより長く感じられた。恐ろしくて、怖くて、もう逃げ出したいぐらいだった。


「そんなのは、問題を先送りしているだけだ」


 奏汰の言ったことが思い出される。逃げたり大人を頼ったりしても状況はよくならず、遠くない未来に僕は死ぬんだろう。それがわかってるから、奏汰はあんな過激なことを口にしたんだ。

 道中は不気味なほど人がいなくて、誰とも出会わなかった。池が見えてきても、釣り人の姿は見当たらない。池にいたのは……僕を待っていたあいつらだ。


「おっ、来たか」


 待ち合わせ場所には、佐藤と大垣、黒川がいた。下品な笑いを浮かべる三人。今日こいつらが僕の命を奪うらしい。そう思うと、怒りよりも恐怖が湧いてきた。


「おい、手震えてんじゃん」

「何怖がってんだよ。俺ら友達じゃん」


 大垣と黒川が、僕をはやし立てている。僕は震える手で、千円札をポケットから取り出した。


「ぜんぜん足りねーよ。こんなんじゃ三人で分けらんねーし、十連ガチャ一回も回せねぇじゃん」

「でもこれしか……」

「親からもらうとかできねぇのかよ。アタマ悪いなー」


 佐藤は腕を組んで、しばらく考えごとをする仕草を見せた。そのとき、佐藤の視線が斜め上に泳いだ。注意が逸れている。意を決した僕は地面を蹴ってた。


「おわっ!」


 佐藤は全く油断していたらしい。僕の体当たりで、佐藤は上ずった声をあげて尻から池に落ちた。僕が逆襲してくるなんてありえない、と思っていたんだろうか。

 池に落ちた佐藤は、桟橋の柱をつかんで必死に上がろうとしている。だがそんな佐藤の背後から、近づくものがあった。

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