悪夢

 ……嫌な夢を見た。僕のパジャマは、汗でびっしょりだ。


 佐藤に殺される……現実味があって、恐ろしい夢だ。恐ろしいだけじゃない。幽霊が出てくる夢とか、サメに追いかけられる夢とかと違って。いつか本当にこうなるかもしれない……そうした実感がある。

 僕はあいつとその取り巻きにいじめられていて、乱暴されたり金銭を要求されている。いつか本当に、今見たばっかりの悪夢が現実になっちゃうかもしれない。


 僕はいつものように重たいバッグを背負って家を出た。今日も今日とて気が重い。小学生のころは、奏汰がいたおかげであまり嫌な思いはしなかった。でも、中学に上がってからの僕に味方はいない。生徒はいじめてくるやつか見て見ぬフリをするかの二種類だけだし、先生は頼りなくてあてにならないし、両親は忙しくて帰りが遅いからなかなか相談できない。


 五分ほど歩くと、右手側の雑木林に、人影がちらついた。大人じゃない。僕とあまり変わらないぐらいの男の子だ。しかもかなり端正な顔をしている。アイドルとか芸能人の事務所にスカウトされそうなレベルだ。

 夏だというのに長袖姿のそいつは、柏の木に寄りかかって腕を組んでいる。そいつの視線は……僕に向けられている。


「……奏汰?」


 そいつの姿は、数か月前に死んだはずの奏汰とまるで変わらなかった。近寄って見てみると、あの奏汰と瓜二つ……というより、本人としか思えない。長いまつ毛と、ちょっと長い黒髪と、整った目鼻立ち……こんなきれいな顔をした少年が、そうそういるはずもない。


「とうとう俺が見えるようになったか」

「……え?」

「優里がここを通るのを見たのが112回。話しかけてきたのはこれが初めてだよ」


 何を言ってるのか、全くわからない。


「何言ってんのかわからない、って思ってるんだろ」

「……うん。だって」


 だって奏汰がここにいるはずがないんだもの。さすがに何ヶ月も経てば、奏汰がこの世にいない方が普通で、現実だ。


駒岡こまおか奏汰はもう死んだ。こんなところにいるはずがない。そうだよな、普通はそう考える」


 奏汰はつかつかと歩いて近寄ってくる。


「俺だけじゃない。お前も今日、死ぬことになる」


 そう言って、奏汰は僕の右手をガシッとつかんだ。そのとき、僕は驚いて「わっ!」と声をあげてしまった。奏汰の手は冷たかったが、確かに感触はある。この奏汰はちゃんと実体をもっている。


「最初はやり直すだけしかできなかった。こうして優里の前に姿を見せて話しかけることもできなかった。でも今ならできる……こうして触れることだって」


 奏汰の顔が近い。そんな奏汰の顔は、怒りと悲しみが混ざったようになっていた。ため込んだ感情は、手を握る力にも現れている。僕の手は奏汰にギリギリと強く握られていて、痛みさえ感じる。

 改めて見てみると、その顔は整いすぎるぐらいに整っている。以前はすっかり見慣れてしまっていたから、奏汰の顔立ちもある意味当たり前のものと思っていた。けれども死別して数か月経って、その顔はもう当たり前でもなんでもなくなってしまったから、今さらながらに「あっ、奏汰ってこんなにハンサムボーイだったのか」なんて思わされた。

 

 僕はどう返事をしたらいいのかわからなかった。目の前の光景から奏汰の発言まで、何一つわからない。けれど奏汰ははっきり「お前も今日、死ぬことになる」と言った。奏汰はしょうもないウソをつく人間じゃない。言葉の通り、本当に僕の命は危ないのかも……


「わけがわからない、って顔してるな。じゃあ教えるよ。優里、今日すごく怖い夢見ただろ?」

「うん……何で知ってるの?」


 怖い夢……いじめっ子の佐藤たちに金をせびられた挙げ句、ユメ池に突き落とされて溺れ死ぬ悪夢……どうして奏汰は知っているんだろう。


「あれは夢じゃない。現実に起こったことだ」

「え、でも僕は今生きてる……」

「それは俺がやり直したからだ。優里はこれまで112回死んでる。そのたびに、俺がにした」


 奏汰の話は、まるで昔に見たドラマの話みたいだった。死んでしまった親友を助けるために、不思議な力を借りて何度も同じ一日を繰り返したけど、結局どんなに繰り返しても助からなくて……そんな内容だ。


「このまま学校に行けば、同じようにお前はあのクソ野郎に殺される」

「じゃあ……僕は何をすればいいの?」

「学校に行くな……と言いたいが、そうしてもいずれ殺される。優里、こっち来い」


 そう言って、奏汰は僕の手を引いて林の奥まで歩いていった。以前の奏汰は、こんなに強引な男じゃなかった。

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