第69話 願い
静かな人だかりが、出来ていた。
「あぁ、神様、なんで……、神様……」
震える手を差し出し、頬に触れ、こぼれ落ちる涙を拭う。
弱々しく手が上がる。
お互いの手袋を取り、手を優しく握り、手の甲を自分の頬に擦り寄せる。
唇が空気を求めて小さく動いている。
向かい側に、誰かが膝をついた。
頭を優しく撫でている。
「誰か、医者を……」
向かい側に膝をついた者が、やっと声を出した。
「誰か?……弟を助けてくれ。」
リルが回りに集まった人々を見る。
医師のフランがいた。
救護班も、異形や敵の魔術師がいなくなり、急ぎ戦場に来ていた。
走って来たハヴィが、テオグラートを見て、膝に手をつき頭を振る。
腹部に刺さった光りの槍が、テオグラートに致命傷を与えていた。
話したくても、もう話せないようで静かに空を見ている。
いつの間にか、暗かった空が、何事も無かったように晴れていた。
キリウェルには、見えていなかった。
テオグラートが駆け出した時、足の応急処置で座っていたキリウェルは、テオグラートでガスケが見えなかったのだ。
卑怯者と言う声の後、弓を放ったテオグラートが倒れてきた時に、初めてガスケが槍を投げていたと知った。
リルは、エルフや妖精族も見たが、皆、首を振るだけだった。
「どうした…」
小さな丘を下って来た、グレアムがテオグラートを見た。
「槍を抜けば、出血多量ですぐ亡くなる。」
ハヴィは、小さな声で呟いた。
いつもの自信家は、何も出来ない悔しさで腹を立てているようだった。
「槍を抜けば死ぬ。……抜かなくても死ぬ。」
グレアムは、一歩前に出て、テオグラートの顔を覗き込む。
「だったら、全力を尽くして死なせてやれ。」
グレアムは、槍を引き抜いた。
皆、慌てた。
ハヴィ、フランが、テオグラートに飛びつき、マリーとキャリーも悲鳴をあげながら飛びついた。ルカも大慌てで、転げるように治療に入る。
「なんですか?あの人!無茶苦茶な人だな!」
ルティスラ村で、テオグラートの腕を治療したルカは、最近、西から逃げて来た魔術師で、グレアムの顔を知らなかった。
「本当に、父親そっくり!」
ハヴィは、不謹慎にも笑っていた。
怖かった。腕には自信がある。だが、救えない命があることを知っている。
グレアムが、何もしなかったことを悔やまないようにしてくれた。
そうだ、同じ悔やむなら、全力を尽くしてから悔やもう。
「キリウェル?……兄上?どこにいるの?」
テオグラートは、暗闇の中にいた。
先ほどまで、キリウェルの手を握り、兄から優しく撫でられていた。
体が重い。それに寒い…。
テオグラートは、震える自分の体を抱きしめた。
テオグラートは、少しだけ明るい方に歩き出した。
「疲れた……」
テオグラートは、歩けなくなり、座り込むと膝に頭をつけて泣き出した。
ひどく疲れて、テオグラートは横になり、丸くなった。
「もう、動けない……」
もう、動きたくない……。
頭の中で、声がした。
良く聞き取れない。誰?
知らない声。女の人?
「アスリー、絶対無茶しないで!お願いよ!」
アスリー?
「あなた、無茶しないで、帰ってきてね。」
「愛してるわ。必ず迎えにきてね。」
代わる代わる違う女の人の声が、頭の中でこだまする。
……みんな心配している。
「絶対私のところに戻ってね。絶対よ!」
「リリアーナ!」
テオグラートは、起きようとしたが、体が重くて起き上がれない。
「誰か、助けて……」
リリアーナに会いたい。待っているのに……
みんなのところに帰りたい。
兄上は、大丈夫だろうか。
キリウェル、医師を呼ぼうとしてたんだ。誰か呼んでくれただろうか。
レイラは?マルクスは?
先生?
助けに行かなくちゃ。あの魔術師は倒せたかな?命中しているはず。
でも、外してたら?
キッセンベリ王は、グレアム王子が倒してくれただろうか。
テオグラートは、ゆっくりと重たい体を起こした。
辺りが真っ暗で、怖かった。
また、リリアーナの呼ぶ声が聞こえたような気がした。
何か話しているような気がするのに、全然聞こえない。
テオグラートは、パニックを起こしていた。
なんとか歩き出したが、悲しくなって、また泣き始めた。子供みたいに声を上げながら泣いていた。
キリウェルは、邪魔にならないようにしながらも、テオグラートの手を離さなかった。
離したくなかった。
リルは、テオグラートの右側、頭の辺りで祈りながら、治療を見ていた。
今は、医師フランとハヴィが中心になり、治療をして、マリーとキャリーが、父親のフランの補助をして頑張っていた。
いつも大変な時、半泣きになるふたりは、泣いたりしていなかった。
マークとロゼが、足元でテオグラートの体を温めてくれている。
遠くで、叔父のグレアムが、他の兵士達に指示をだしたり、救護班を呼んだりしている。
叔父は、凄いな。
リルは、ずっと震えていた。
自分も、コッツウォートの兵士達を見なければ。
リルが、頭を上げると、離れたところでヴァルが手で制した。
ヴァルが、王兵の大将であるセルジュらと話しをしていた。
自分は、恵まれている。
「テオ。お前も必要だよ。」
リルは、テオグラートの頭を撫で、静かに呟いた。
「出血は止めたぞ。」
フランが、大きく息を吐く。
「私も出来るかぎりを尽くした。」
ハヴィも大きく息を吐き出した。
「まだ、体が冷たい。ひどい出血だったから、体を温めよう。」
フランが、テオグラートに触れると、ハヴィ達も同じように体に触れた。
テオグラートを、暖かい空気が包んだ。
治療のため、はだけた胸の辺りから、小さな赤い光りが見える。
キリウェルが、胸元から鎖を引き出した。
「小さいが、叶い石か。」
エルフが覗き込む。
エルフが手を差し出すと、指輪が宙を浮きエルフの手の平に落ちる。
エルフは、ゆっくりと握りしめる。
「お前の命を全うしろ。」
手を広げると、また指輪が宙に浮き、小さな赤い石が指輪から外れ、ゆっくりとテオグラートの胸に落ちて消えていく。
テオグラートは、泣きながらゆっくり歩いていたが、急に体が温かくなり体が軽くなってきたので、みんなの名前を呼びながら走り出した。
前方に、小さな赤く光る物が浮いている。
テオグラートは、全速力で走り出した。
走っても、走っても、なかなか近づけない。
テオグラートは、泣きながら走り続けた。
キリウェルは、急に手を強く引っ張られた。
「テオグラート様?」
テオグラートを見ると目は閉じたままだが、涙がこぼれ落ち、凄く苦しそうに呻いている。
「テオグラート様!」
「テオ!」
みんなが声をかける。
いつの間にか、アディやサミー達、第三所領の者達が回りを囲んでいた。
テオグラートが、目を見開き、大きく息を吸い込み、泣きながら起き上がった。
呼吸が上手く出来なくて、咳き込みながら、大声で泣いていた。
キリウェルやリルが、テオグラートを抱きしめた。
「あぁ、神様、神様……」
キリウェルも声を上げて泣いた。
フランは、地面に座り込み大きく息を吐き出すと、そばにいたハヴィの肩を叩き、労をねぎらった。
マリーとキャリーが、抱き合って泣いていて、ルカは、座り込んで呆然としていたが、笑いだした。
アディやサミーが抱き合って喜び、ジルは、顔を覆い泣いていた。
集まっていた第三所領の兵士達は、神に感謝し、抱き合って喜んだ。
グレアムは、その様子を見て叫んだ。
「我々は勝った!戻るぞ!」
みな、疲れた顔に、笑顔が浮かんだ。
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