一章(11)オルタンツィア令嬢の秘密

「わ、わ、わ⁉」

 紅茶のポットを倒さぬようになんとか耐えて、それから令嬢の部屋に入ってしまったことに驚く。イーディスは目の前の光景を見て絶句した。

「こ、これは……」

 端的に、汚部屋おべやだ。ぐしゃぐしゃに丸まった紙屑がそこらじゅうに落ちている。着たあと脱ぎ捨てられたらしい寝巻や部屋着の山。何より全体的に埃っぽい。

――一体全体どういうことなの⁉ この数日でこのありさまなの⁉

暗い室内に灯される灯りは、デスク上の白熱電球だけ。デスクはインクまみれで──まるで。

 まるで、原稿中の漫画家か、小説家か……。

「流星の子……マリーナあの子のほかにも……」

 そしてグレイスフィールは紙の束をあさっていた。すべてに流麗な絵が描かれ、ありとあらゆる角度から手を模写したもの、男性や女性の裸体、さまざまなポーズの少女など、大量のスケッチが床の上にばらまかれる。

「……でも、私のネームにはあなたイーディスは居なかった……なぜ?」

「あの、お嬢様?」

「ハンバーガーとフライドポテト」令嬢は部屋中をひっくり返しながら、はっきりと言った。

「あなたが作ると言ってくれた、ハンバーガーとフライドポテト。あれは、この世界にはない食べ物なの。異世界の食べ物なのよ」

 やはりか。イーディスが確信する横で、グレイスフィールは、ベッドの隙間から埃まみれの布切れを取り出した。

「あった! これはあなたのものね」

「ああ、私のスト―……ル」

 埃まみれの布切れをつまんで、イーディスは強張った笑みを浮かべる。グレイスフィールは申し訳なさそうに指を弄ると、上目遣いに言った。

「新しいものを買いに行きましょう。あんまり古いし、その……埃まみれにしてしまったし」

「いいんですか?」

「いいのよ、このくらい。明日、新しいものを見繕ってあげるわ」

 グレイスフィールの目はあちこちを泳いでいたが、彼女は不意に、イーディスと目を合わせた。

「私、この世界に生まれてくる前は──異なる世界の、売れない漫画家だったみたいなの。……漫画家。あなたならわかるでしょう? ハンバーガーとフライドポテトがわかったあなたなら」

イーディスははっとした。 漫画家! 「みたいだ」と思ったのは間違っていなかったのだ!

「わかります、……わかりますわ、お嬢様。漫画家のことも漫画のことも、知ってます! ……私もです! 異なる、世界から来たみたいです」

「やっぱり。……仲間ね」

 グレイスフィールは紅茶のカップをデスクに置くと、イーディスにも盆を下ろすように促した。

 そして、イーディスに紙の束を差し出す。

「原稿用紙にするには悪い紙だけど、今のオルタンツィア製の用紙の中では一番高級なものなの。お兄様にわがままを言って、何枚かもらったものなのだけど……」

言い訳するように彼女は言った。

「どうしても、ところどころ、滲んでしまうのよ。インクが」

 グレイスフィールの言う通り、紙の上の絵はところどころ、細かな箇所が滲んでしまっていた。けれどもイーディスは、その絵に見惚れていた。

「漫画だ……漫画だ! すごいすごい!」

 グレイスフィールは照れ臭そうに頬を掻いた。

「それはボーイズラブよ。苦手?」

「だいっ好きです!」

 グレイスフィールはホッとしたように笑った。「仲間ね」

「読んでもいいですか? 久しぶりの漫画だ……!」

 ワクワクするイーディスをよそに、グレイスフィールは、ため息をついて続けた。

「……ねえ、イーディス、すごく、すっっごく馬鹿なことを言うけど、信じてくれる?」

グレイスフィールはイーディスの目を見た。

「この異世界は、私が死の間際まで切っていたネーム筋書きのとおりになっているの」

「は……え?」

 イーディスの中の「私」がぐるぐると頭を回転させた。知っている。こういう物語を知っている。

 そう、そうだ。……そうだった。物語の中に転生してしまう。たとえば、やりこんでいた乙女ゲームとか、大好きな少女小説とか。その中で、特別な知識を持った主人公は、なんとか運命を切り開いていく。転生ものの一つのテンプレートと言って良い。イーディスの前世も、そんな創作物を楽しく読む側だった。それが……まさか!

――なんだろう、「転生したら駄目ポンコツメイドでした」みたいな……?

 そして、だ。ずっと「私」が気になっていた「アレがあってコレがない現象」にも説明がつく。ジャガイモがあって、歌舞伎があって、中国知識があって、キリスト教らしいものもあって……そんなアンバランスな世界の説明が、ついてしまう。そう、この世界は世界観こそ産業革命のイギリス風でいて、細部はとてものだ。そしてそれなのにハンバーガーとフライドポテトがない。変な話、そこだけぽっかりと浮いている。

「ひょっとして、ハンバーガーとフライドポテトがないのは、産業革命期のイギリスからですか」

「そうよ」

つまるところ、ハンバーガーがないのは作者の意図だ。だけど他は――歌舞伎、キリスト教、中国伝来の知識、エトセトラ、エトセトラ。これは、無意識だったのだ。無意識に、日本の習俗をとりこんでしまったのだ。だから、「アレがあってコレがない」……。

「な、るほどですね……?」

 イーディス……というよりも「私」は、ようやく声を絞り出した。「なるほど」

 では、イーディス、および作者グレイスフィールが転生したことにより、おそらく、「何らかを切り開かなければならなくなる」はずだ。異世界転生もののテンプレではそうなっている。

――でも、これが異世界転生ものの小説や漫画かどうかはわからないし。

 イーディスが心を落ち着けている横で、グレイスが口を開いた。

「そして、そしてね……この漫画せかい、『ヒロイン』のハーレムものであって」

「アッ」 

イーディスは誰が何を切り開くか、なんとなく察してしまった。

「わたくしが社交界デビューすると同時に、お兄様は運命の『ヒロイン』と出会うわ。名前はマリーナ。本当は転生してきた日本の女子高校生で、本名を細波星奈さざなみせいなというの。海辺の街に生まれたから、アーガスティンは故郷を思わせる懐かしい風景で」

「ああ……」

――他にヒロインがいる。ということはつまり、お嬢様は……。

「ヴィンセントはマリーナに一目惚れ。すぐに恋愛が始まるわ。そこに現れるブラコンの妹、グレイスフィール」

――あああやっぱりぃ!

「あ、あくやくれいじょうもの……」

「グレイスフィールはありとあらゆる手を使ってマリーナをいじめ倒すのだけれど、それがヴィンセントの怒りを買って、家を追い出されてしまうの。……まあ、他にもマリーナを愛した男性達がいて、マリーナはありとあらゆる美男に溺愛されながら最終的にヴィンセントと結婚」

イーディスはもはや頭を抱えてしまっていた。悪役令嬢ざまぁ追放劇として、役満だ。

「と言う筋書きを書いている途中で火災に遭ったわ。それで、今よ」

──火災。イーディスの頭がつきんと痛んだ。火災。火災か。さぞ、苦しかったろうに。

「……だからお嬢様は、デビュタントに出たくないのですね」

グレイスフィールはうなずいた。

「わかってもらえてよかった。お兄様の目的はわたくしの社交界デビューですから、わたくしが断固拒否すれば、マリーナとお兄様が邂逅するのを防ぐことができると思っているわ」

「なるほど……」

「自分で設定しておいてなんだけど。お兄様の妹としてのわたくしから見たマリーナは性悪だし、お兄様には見る目がないし。……でもわたくしは、そんなお兄様が大好きなの」

グレイスフィールは寂しそうに言った。

「妹としての私も、やっぱりお兄様のことが大好きなの。たった一人の家族だもの。力になって差し上げたいし、痛みは分け合いたいと思ってる。でも」

「マリーナとは会わせたくない?」

「そう、そうなのよ、あんな女と会わせるくらいなら。筋書き通り憎まれるくらいなら、筋書きに背いて憎まれる方がマシ。お兄様が、マリーナみたいな女に取られてしまうくらいなら……」

 イーディスは何も言えずに、手元の紙を握りしめた。令嬢は手ずから紅茶をカップへ注ぎ入れて、一口飲んだ。

「イーディス。これがわたくしの背負っている『悪魔』よ。あなたにこれが祓える?」

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