一章(9)ポンコツメイド、任務遂行
「行けるか? 支えなくて大丈夫か!」
「大丈夫です、大丈夫ですってば。金皿十枚の二の舞にはしませんから!」
そう振り切って、イーディスはハンバーガーとフライドポテトを乗せた盆を抱え直し、階段上へ向かう。お嬢様の部屋がある二階の廊下に差し掛かると、メイド長が黙ってお嬢様の部屋のドアを見つめていた。
「メイド長、どうされました?」
「イーディス。それは?」
「お嬢様がお召し上がりになる料理です。ご注文の通りに作ることができたので、出来立てのうちにお召し上がりいただこうと思いまして……」
上目遣いに様子をうかがうメイド長はそれを聞いて深々と息を吐いた。
「よかった。今日も何もお召し上がりにならないのではないかと」
メイド長はメイド長なりに、お嬢様のことを心配していたようだ。それもそのはず。彼女はお嬢様が幼い頃からここに勤めていて、お嬢様の今までのことを全て知っているのだから。
「やつれておいでのようだったから……でも、私の顔など、見たくないでしょうね……」
弱気な発言は、あまりにメイド長らしくなかった。成長を長らく見守ってきたお嬢様にあの剣幕で怒鳴られてしまったら、どんなにメンタルが強い人でもこうなってしまうのだ。
だからイーディスは、敢えてこう言った。
「メイド長。これを持っていただけませんか。メイド長の手で、お渡ししてください」
「で、でも……」
「いいから、私の言うとおりにしてください。……大丈夫ですから」
続いて手ぶらのイーディスは三回ノックをする。メイド長の言葉は聞かず、努めて平静に令嬢に話しかける。
「お嬢様。ご希望のお料理をお届けに参りました。温かいうちにお召し上がりいただきたいので、ドアを開けてもよろしいですか」
「いいわ。許します」
「失礼いたします」
イーディスがドアを開けると、すぐ前にお嬢様が立っていた。グレイスフィールは、イーディスの後ろにメイド長の姿を見つけて目を丸くした。
「き、キリエ……」
「お嬢様、こちらがハンバーガーとフライドポテトになります」
イーディスの言葉とともに、メイド長はうやうやしく盆の覆いを取って、ドアの隙間から彼女にそれを差し出した。
料理長とデアンが作り、イーディスが味を確かめ……そしてメイド長が持ってきた、お嬢様のためだけの料理。
――どんな時も大事なのは、心からのおもてなしよっ!
「味も料理長のお墨付きです。きっとご満足いただけます」
完璧な口角で微笑むイーディスを見て、グレイスフィールはしずかに微笑んだ。
「ありがとう。イーディス。わたくしのわがままを聞いてくれて」
「いいえ。お嬢様のお役に立つのが、メイドの務めです。これからもなんでもお申し付けください」
それからグレイスフィールは、青い瞳をついとメイド長に向けた。
「……あのね。キリエ。聞いてくれる?」
「はい、なんなりと」
メイド長が頭を垂れる。グレイスフィールはいちど部屋の奥へ戻り、盆をどこかへ置いたあと、またドアの隙間から顔を覗かせた。
「わたくし、勝手に部屋に入られるのが嫌になってしまったの。……本当に、嫌なの。ですから、今度用があるときは、イーディスのようにいちどノックをして、わたくしに聞いて欲しいの。入っても良いかと。良い時は良いと言うし、ダメな時は入らないでと言うから」
「承知いたしました。メイド達にも、そのように伝えます」
「それから、……今朝はあんなことをしてごめんなさい。何度言っても言いたいことが伝わらなくってカッとなってしまったの。怪我はなかった?」
「お嬢様……」
グレイスフィールは、メイド長の顔を覗き込んだ。
「許してくれる? キリエ……」
イーディスはただ、二人を見守っていた。
しばらくして、頭を垂れたままのメイド長が、がっくりと泣き崩れた。
「お嬢様! 許しを請いたいのはわたくしです! お嬢様に悪魔が憑いているだなんて、一瞬でも信じてしまったわたくしをお許しください! お嬢様は以前のまま、お優しいお嬢様です! 私が、私が間違っておりました……!」
イーディスは小さく丸まった彼女の背中を見下ろした。しかし、グレイスフィールは──。
「──いいのよ、キリエ。悪魔が憑いたのは本当なのだから」
イーディスははっとグレイスフィールを見た。
「もうどうしようもないのよ」
お嬢様の顔は暗く陰っていた。
──どうして。どうしてそんなに、絶望しているの、グレイスフィール。あなたは、「私」と同じなんじゃないの……?
「二人とも、下がってよろしい。お食事はゆっくりいただくわ。お皿は廊下に出しておくから、見つけ次第下げて頂戴な」
「かしこまりました、お嬢様」
メイド長はまだ涙を拭っている。イーディスはハンカチの持ち合わせがないことに気づいて、ポケットに手を突っ込んだ。ポケットの中には、お嬢様のペンと、絵皿のかけらしか入っていない。
破れた窓ガラスの向こうから、夕日がさし込んでくる。そろそろ屋敷にランプの灯りがともり、会社からお戻りになる旦那様を迎えるため、メイドやボーイが動き始めるはずだ。
残された時間はあと二日。考えなければならないことも、やるべきことも、山ほどある。まずは、――お嬢様の食器を下げるところからだ。
イーディスは日が沈んでから再び令嬢の部屋を訪れた。まだ食器は外に出されていなかった。意を決して、ノックを三回する。「なあに」と令嬢が返事をした。
「イーディスです。お皿を下げに参りました。もしよろしければ」
「気が利くのね」
グレイスフィールはひょっこりとドアの隙間から顔を出した。やはり彼女の頬はインクで汚れている。イーディスは差し出された盆を受け取って、すぐに下がろうとした。しかし、令嬢の細い指が、イーディスの服の裾を掴んだ。
「――ねえ。キリエは、何か言っていて?」
「いいえ。すぐに仕事に復帰しておりましたよ」
「よかった。わたくし、キリエにあまりにもひどいことをしたから。あのひとは、わたくしの二人目の母なのよ。メイドたちには厳しいけれど……」
聞いたことがある。メイド長はかつてヴィンセントとグレイスフィールの二人を育てる乳母だったと。多忙なご夫妻に代わって、二人に愛情を注いでいたと。
「十年前の事故のことは、あなたも知っているわよね」
「ええ、聞き及んでおります。……汽車の事故でございますね」
グレイスフィールは頷いた。「汽車が脱線して、乗客は全員、助からなかった。その中に、私の父様と母様がいたの。わたくしは六歳で、お兄様は十五歳だった」
イーディスは息を詰めてそれを聞いた。令嬢はどこか、他人事のようにそれを語る。
「わたくしは六歳で両親を失った。お兄様はすぐに会社を継ぐことになった。……わたくしたちを支えてくれたのは、キリエだった。親を亡くして泣いているわたくしたちを、力強く抱きしめて、」
グレイスフィールの青い瞳が揺れる。
「あなたがたは私が守ります、人生を賭して守ります、と言ったそうよ。わたくし、記憶がないのだけど、お兄様は覚えていらして、ことあるごとにわたくしに言うわ。キリエには頭が上がらないと。キリエだけは、オルタンツィア家で最後まで面倒を見ようと」
メイド長がそんなことを。
「だから、わたくしもお兄様も、……キリエのことだけは大事にしなければならなかったのに。わたくし、あんなことを……」
「伝わっております」イーディスは思わず口を挟んだ。「メイド長にもお嬢様の御心は伝わっております」
「そうだと、いいけど」
令嬢はため息をついた。この方のため息を聞くのも何度目だろう、と考えながら、イーディスは一礼した。扉が静かに閉まる音が聞こえた。
やはり、お嬢様に悪魔がついているとは思えなかった。
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