【書籍試し読み】転生したらポンコツメイドと呼ばれていました~前世のあれこれを持ち込みお屋敷改革します~

序 幽霊令嬢とポンコツメイド

 どうしても見たい景色がある。


「英雄の流星が降る夜には、何かが起こるのよ、イーディス」

 燃える暖炉のかたわらで、養母ママンはそう言っていた。沢山の兄弟姉妹孤児たちの中にいて、彼女がその話をしたのはイーディスだけだった──イーディスは今もそう思っている。

「何が起こるの?」

「特別なこと。特別な子に起こる、特別なことよ」

 暖かい部屋の中、養母の横顔は慈愛に満ちていたが、同時に憐憫にも似たかなしみに染まっていた。イーディスはそれに気づいていたけれど、何も言わなかった。別れの夜にそんな言葉は不要だと理解していた。イーディスは幼いふりで、無邪気に尋ねる。

「ママン、私は特別?」

「みんなが特別。そしてあなたは、そんなみんなの中の一人よ。ね、イーディス。元気で。元気でね」

 あのママンのお話は特別だったのだ、と。イーディスは未だに信じ続けている。それがたとえ、家事使用人ハウスメイドとして売り払われ、過酷な労働環境に投げ入れられることになる娘への餞別せんべつだったとしても。

 あれから二年が経った。

「鍵持ちの執事バトラー」に鍵をかけられる前に、イーディスは寝巻きのまま部屋を抜け出した。地下の冷たい廊下を抜き足差し足で、他のハウスメイドを起こさぬように通り抜ける。もちろん、どこかでまだ執務中であろう執事に見つからないよう、壁に張り付きながら。イーディスの気分は泥棒だ。

家事使用人ハウスメイドは主人の持ち物」である。だから、万が一にも脱走を図らないようにとの目的で、就寝時間をすぎた後、ありとあらゆる部屋に「鍵持ちの執事」が外から鍵をかけることになっている。鍵をかけられたあとは、部屋から出ることはできない。……もちろん入ることもできない。だからイーディスには「この真冬に寝室から締め出される」という危険がある。けれども、今はただ、はやる気持ちを止めることができなかった。凍死の危険を冒してでも、見たいものがあった。

 流れ星だ。

 ふかふかの絨毯を敷いた階段を一段飛ばしで駆け上がる。柔らかい絨毯はせわしい足音を吸い込んでくれた。イーディスはそのまま、バルコニーへ通じる二階の廊下へと迷うことなく躍り出た。

 たかが「ハウスメイド」が寝室を抜け出して廊下を駆け足で行くところを見咎められてしまったら……なんて思考は、もはやイーディスにはない。一刻も早く夜空を見上げなければならなかった。

 上がる息を殺し、ずるい盗人のようにあたりを見渡す。

 階段上アップステアに電飾の明かりが灯っているところを見ると、執事はまだ二階に鍵をかけていないらしい。くまなく視線をさまよわせ、執事の姿がないことを確認すると、イーディスはこそこそとバルコニーへと向かっていく。

 おあつらえ向きに、バルコニーへ通じる引き戸の鍵は開いたままになっていた。迷うことなく引き戸に手をかける。イーディスの体を、冷気が包み込む。

 外は鼻の奥につんとしみるような冬の匂いがした。イーディスは、巻き付けた自前のストールをぐっとキツく締めて、白い息をいっぱいに吐き出した。後ろ手にゆっくりと扉を閉めて、

「ああ……」

 安堵のため息とともに顔をあげる。

 国の英雄を模した星の並びが眼前いっぱいに広がった。夜空はきんと冷たく澄んでいて、くっきりした星々が光を投げかけていた。昼間であれば空を灰色に覆っている、工業地帯アーガスティンの煙突の煙も、今は静かだ。

同室の姉、ロージィに「英雄の星座の方角から流星が降る」と聞いてから、イーディスはずっと運命を感じていた。今日はイーディスの十六歳の誕生日なのだ。救貧院の外に捨てられているのを、ママンが拾ってくれた日。冷たくなって死ぬはずだったイーディスをママンが救ってくれた日。

 ママンの話のこともあって、イーディスはワクワクしていた。何が起こるのか。何が特別なのか。たとえ何も起こらなかったとしても……流星が降る夜というのは、どんなものなのか。知りたかった。どうしても見たい景色があったのだ。

 そのためにはどんなお叱りだって受ける覚悟だった。元から叱られ慣れているから、どんな罰だって慣れっこだ。イーディスはバルコニーの欄干まで歩み寄って、そこへゆるゆると腰を下ろした。そうして星が降るのを待った。

その時――星がひとつ、ふたつ、滑るか滑らないか──そんなタイミングで。

「あなた、だれ?」

 背後から少女の声がした。イーディスは目の前で星が流れるのを凝視したまま、硬直した。

 み、つかってしまった。

 答えることもできずにカチコチに凍りついていると、声の主はなにやら察したらしく、先ほどのイーディス並みの大きなため息を吐いた。

「はぁ……誰だか知らないけれど、トーマスに怒られるわよ」

 イーディスは素早くストールを頭から被った。少女はまたため息をつくと、すぐ隣にきて、立ったまま空を眺めているようだった。

 彼女の足元は上質な、ふわふわしたレースどりのナイトガウンに包まれていた。夜目に色まではわからないが、純白と見える──こんな格好をするこの家の人間を、イーディスは一人しか知らない。

 ひょっとして、「幽霊令嬢」様? 御付きの《レディース》メイド数名以外には絶対に姿を見せない、イーディスをはじめ、ロージィも、アニーも、シエラも……仲間内では誰も姿を見たことがないという深窓のご令嬢。屋敷の若き主人、ヴィンセント・オルタンツィア様の、実の妹ぎみ。グレイスフィール・オルタンツィア様?

 彼女はきっと、イーディスの自前の、ボロボロのストールを見たに違いない。そしてイーディスの身分を察したに違いない。イーディスは震え始めた。何に対して怯えているのかわからなかった。執事に見つかるよりも恐ろしいことが起こったのではないか、とすら思った。見てはいけないものを、見てしまったような気がしたのだ。

 そんなイーディスを前にして、少女はまたため息をついた。

「そんなに怯えなくても。……黙っていてあげるわ。誰だって英雄の流星を見てみたいと思うもの。わたくしとあなたは共犯ということで。あなたもここでわたくしと会ったことは黙っていてちょうだいね」

 イーディスはこくこくと頷いた。それを確かめた少女は、さらさらとナイトガウンの裾を揺らしながら、身震いをした。

「思っていたより冷えるわね。……ねえあなた、そのストールに入れてちょうだいよ」

――こんな毛玉だらけのストールに⁉ 

イーディスが驚愕するより先に、少女はペタリと座り込んでイーディスのストールを引き剥がしにかかる。イーディスは迷う間も無く、ストールの半分を彼女に明け渡すことになってしまった。

 気が気でない。何が不敬に当たるかもわからない。そもそもこの状態が不敬に当たるのではないか。本来ふかふかの毛布やケットで包まれるべきお嬢様が、イーディスの匂いの染みついた使い古しのストールなんかにくるまって。しかも、隣同士密着して。

──ああ、ママン。ロージィ姉さん。特別な流星を見にきたはずが、令嬢さまとボロボロのストールをわけあって空を眺めています。信じられる?

 イーディスは星どころでなく、隣からかおる花のような香りばかり気になっていた。兄君と同じ、流れる光を束ねたような銀髪が視界に入ると、めまいに似たような感情が襲ってきた。

「うう、寒い……こんなに寒いなんて思わなかったわ」

薄衣うすぎぬの令嬢がそういうので、イーディスは意を決して彼女にストールの全てを譲った。

「……お、お風邪を、引いてしまっては困り、ますので」

「悪いわね」

 今度こそ、彼女にもイーディスが「ハウスメイド」であることがわかったろう。ボサボサの髪も、手入れを怠っている肌も、あばただらけの顔も、全部が冬の冷気の下にあらわになる。

 令嬢は青い瞳をこちらに向け、みすぼらしいハウスメイドの寝巻きを見て──何をいうでもなく、空に目を向けた。イーディスもまた空を見上げた。大きな粒が立て続けに夜空を滑っていく。消えたと思えばまた瞬く。

「見てご覧なさい。わたくしの誕生日に降る、英雄の流れ星よ」

聞いて、イーディスはほとんど反射的に大声を上げた。

「お誕生日!」

はっと口をおさえるが、遅い。令嬢は美しい横顔に憂いを浮かべながら、さみしそうに呟いた。

「そうなの。お兄様もお忘れでトーマスもキリエも覚えていない、……誰も覚えていない、わたくしの十六の誕生日よ。あなたにだけ教えてあげ……」「私もです!」

 不敬、という言葉が脳裏に浮かぶより先に、口が滑った。

「私も、今日で十六になりました。あ、厳密に生まれた日というわけではないのですが……母に拾われたのが今日で、その、はい」

 イーディスは途中で口をつぐんだ。不敬だった、やらかした、怒られる、そうした思考が遅れてやってくる。いつものくせだ。ダメだ……そう思った。しかし。

「そうなの。奇遇ね。お誕生日おめでとう」

ボロボロのストールを体に巻きつけた美少女は、微笑んでいた。「幽霊令嬢」の呼び名に似つかわしくない、柔らかい微笑だった。イーディスはつられるように笑い、彼女の瞳を見つめて、軽く頭を下げた。

「こちらこそ。お誕生日、おめでとう、ございます。心より、お祝い……しています。お嬢様」

 流星は絶えず流れ落ち、光の雨となって二人の頭上に降り注ぐ。イーディスと令嬢は息を詰めてそれを眺めていた。時折、隣から震えが伝わってきた。寒いのだ。

「……お嬢様、そろそろお部屋に戻った方が」

「もう少し」令嬢は言った。「もう少しだけここに居させて」

 暗がりで見る美貌は切実さを漂わせていて、イーディスはうっと言葉に詰まった。そろそろ戻らないと、と思うのに、令嬢はストールをきつく巻き付けて離さない。

「わかり、ました。では私もここにいます」

 

ゆっくりしている場合ではないことを思い出したのは、令嬢が去るのを見送ったあとだった。部屋から締め出される!

 流星群が終わるより先にバルコニーを出る。転がり落ちるように階段を駆け降りて地下の自室を開けようと試みたが、当然、開かなかった。

 鍵持ちの執事はとうの昔に戸締まりをしてしまったようだ。イーディスは寒さに震えながら寝巻きの体を抱きしめ、令嬢に自前のストールを渡してしまったことを思い出した。

「あー、本当、私っていつも……」

 凍死するか死ぬほど怒られるか。イーディスは後者を選んだ。鍵持ちの執事、トーマスの自室の扉を叩き、こっそり抜け出したことを正直に白状し、大量のお小言を頂戴したあと、自室の鍵を開けてもらった。イーディスは顔を覆って、ロージィに話しかけた。

「あの、ロージィ姉さん、私――」

 しかし。そこにいるはずの姉は、どこにもいなかった。荷物も消えていたし、壁に掛けられている制服もなかった。そこから姉の姿と存在がごっそり抜けて落ちたようだった。

「ロージィ姉さん……?」 

つぶやく声が遠い。後ろから、鍵持ちの執事の低い声が聞こえる。

「逃げたな。ずるがしこい奴め」

 遅れてやってきた身体の震えが、イーディスの頭のてっぺんからつま先までを冷やしていく。

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