第20話 お嬢様、お掃除のお時間です!

「お兄様。お話がありますの」


 グレイスフィールは紙の束を持ってヴィンセントの執務室を訪れた。ヴィンセントは、先日の妹の社交界デビューの夜の「成果」を噛み締めながら、出社時間をやや遅らせて、執務机に座っていたところだった。


「これから出社する。手短にできるか」

「ええ、単純なご提案です」


 グレイスフィールは一枚の絵を見せた。ヴィンセントの横顔を写実的に描いたものだ。


「これは……!誰が?」

ヴィンセントは仰け反った。それから絵と鏡とを見比べた。

「わたくしです」

「上手……というか……どうしたんだ、急に。こんな才能を持っていたなんて今まで一度も」

「ここからがご提案です。この絵、滲んでおりますでしょう。まつ毛の先や、髪の毛のところ」

「ああ、そうだな……」

「どうしても、紙の繊維に沿ってインクが流れてしまうのです。これを改良できないかしら。紙の表面をもっともっときめ細かくして……そうすれば、質の良い紙ができますし、──」

「ペン画に適した紙」

「そうです。わたくし、画用紙が欲しいの。……変な話かもしれないのだけど、画家になりたいの、わたくし」

「……なるほどな」

ヴィンセントは微笑んだ。何枚かの絵を受け取り、眺め、穏やかに妹を見上げる。

「部屋にこもっている間、お前は絵を描いていたのか」

グレイスフィールは照れたように頬をかく。

「この絵も。……お金になるかどうかはわかりませんけど、オルタンツィア製紙の広告塔くらいにはなれるんじゃないかしら。これは黒一色ですけど、色を足していって、三色くらいにすれば。先日インクの業者とも繋がりを持てましたので、協力する形で──」


その時、規則正しいノック音が3回響いた。


「失礼いたします」

「どうした?」

ヴィンセントが声を上げる。「今はグレイスと話をしていたのだが」

「そのグレイス様に御用が」

「ああ、イーディスか」

 呟くヴィンセントの隣で、グレイスフィールはみるみる顔色を変えていく。


「お嬢様、お掃除のお時間ですけれど、お部屋に入っても?」

「イーディス、あと一日待ってちょうだい」

「……お嬢様は昨日もそう仰いました。わたくしは一日待ちました」

「もう一日!」

「不可能です。衛生上問題が発生します。3日に一度のお約束でしたでしょう。もう5日も清掃に入っていませんわ」

「ねえ!せめて1時間待ってちょうだい!すぐに片付けるから!」


 グレイスフィールは紙の束をヴィンセントに押し付けると、執務室の扉をあけた。質素なメイド服のイーディスが、モップと箒とバケツを抱えた重装備で立っている。


 ひゅっ、とグレイスフィールの喉が鳴った。


「では1時間待ちます」

「1時間よ、きっちり1時間ですからね!」

「もちろん」


 メイドは満面の笑みで言った。グレイスフィールは何もかも放り出して自室へ走っていく。

 

 残されたヴィンセントは、妹の描いたイラストの束を眺めてから、下がろうとしたメイドの顔を見て表情を緩めた。

「イーディス」

「はい」

「感謝している。グレイスがあんなに明るくなったのは、お前のお陰だと。今はそう思っている」

「ありがたきお言葉」

「これからも励んでくれ」


 イーディスはそれを聞いて、ぎゅっと唇を引き結んだ。

「……はい。わたくしの持てる力の限り。誠心誠意、尽くします」

 メイドの目には涙が滲んでいた。ヴィンセントは見ないふりをし、「下がって良い」と告げた。


 



「お嬢様!よろしいですか?」

部屋の前で、イーディスは問いかける。グレイスフィールは「ええ」とは言わないだろう。

「どうしても今日じゃないとダメ?」

「ダメです。お洗濯物も溜まっておりますでしょう?シャワールームもカビが生えますし、埃だって。このまま住み続けたらいずれアレルギーになってしまいます」

「……わかったわ、わかったわよ!」


拗ねた様子のグレイスフィールが、ドアを開けた。


「掃除に入ってちょうだい!」

「かしこまりました、お嬢様」





イーディス・アンダント。

16歳。

オルタンツィア家のモンテナ語通訳係。

グレイスフィール・オルタンツィア付きのハウスメイド。

──これが今の私だ。

 イーディスは部屋へ入って、腕まくりをした。


「よし!お掃除、始めますか!」




【転生メイドと幽霊令嬢:完】

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