第18話 冬の星は<役者>を集めて



「グレイスフィール・オルタンツィアと申します。以後お見知り置きを。兄がいつもお世話になっております」


 シャンデリアの光が隅々まで照らし出すパーティ会場に、グレイスフィールは青薔薇の如く咲き誇っていた。取引先の社長や重役に次々頭を下げ、微笑み、ひとことふたこと言葉を取り交わし──イーディスは、「わたくし人と話すのが苦手なのようわあん」と涙ぐんでいた令嬢のことを思い出していた。

 余裕ぶった笑みの端々に緊張が滲むのを、イーディスはすぐ隣で見ていた。

──グレイス様は戦っていらっしゃる。

 ただしく戦いなのだ。ここは戦場だ。第一印象が全て。社交場での振る舞いが、会社同士の付き合いに及ぼす影響を、グレイスフィールはわかっている。ましてこの場には、会社の顔であるヴィンセントがいない。

 だからこそ、この「装備」なのだろう。真っ青なドレスは、彼女を引き立たせると同時に、彼女を護る鎧なのだ。


 グレイスフィールはそれから絵に書き起こした例の「マリーナの取り巻き達」にも顔を出した。ヴィンセントと公私共に仲が良いとされている、レオニール、アルベルト、そしてハインリヒ。3人は一塊になって、会場の隅でシャンパンを飲んでいた。

 グレイスフィールは深呼吸をして、ちらりとイーディスに視線を送った。応援して、と目が言っていた。イーディスは、拳を握って見せた。令嬢は頷いて、きらりと笑顔を作った。

「みなさま、ごきげんよう。グレイスフィールと申します……」

 彼らはきょとんとしていたが、グレイスフィールが「オルタンツィアの」と説明を加えると、すぐさま合点した。


「ああ、ヴィンセントとよく似ているなぁ!」

「ヴィンセントは今日は欠席なのかい?」

「ええ、おやすみを頂きたいと。代わりにわたくしが参りましたわ」

「妹がいると聞いていたが……これほど美しい方だとは思わなかったな」

 一人が、グレイスフィールの手の甲にキスをした。

「母に似ているとよく言われますわ」

「そちらのお嬢さんは?」


 イーディスは背筋を伸ばした。悪印象を持たせないために、余計なことは言わないと決めていた。

「オルタンツィア家の通訳です」

「モンテナ語を話せるのよ」とグレイスフィールが付け加える。

「へえ、じゃああのツェツァンさんとも話せるのかな」

「もちろんですわ」

 グレイスフィールが頷くと、

「ツェツァンさんは気難しい方だ。なかなか話も通じにくいし。言語の壁というか……」

 レオニールだかアルベルトだかハインリヒだか──誰かがそういう。もう二人も頷いた。

「一筋縄ではいかない。腹の底が見えないんだ」

「僕もモンテナ語は少し喋れるんだけど」と一人が言う。「早口で聞き取れないことがあるんだよね……」


 それ、高確率で悪口ですよ、と言いかけて、イーディスは言葉を飲み込んだ。とうのユーリ・ツェツァンの姿が見えたからだ。



「お嬢様。ツェツァン様がいらっしゃいました」

イーディスは囁いた。

「あら。……なら、ご挨拶しなくてはね。みなさん、今夜は楽しみましょう」

 



 ユーリ・ツェツァンは──きっちりとスーツを着こなしつつも、何か動物の毛皮をストールのように巻き付け、防寒対策をしている。三つ編みは今日はポニーテールにまとめて高く括っていた。とにかく背が高いので、そこにいるだけで威圧されるような感覚に陥る。

 そんなユーリ・ツェツァンが、一人の少女を上から覗き込んでいた。

 グレイスフィールが青薔薇ならば、彼女は桜のひと枝だ。淡いピンクのドレスに控えめなアクセサリーを散りばめている。淡い緑をアクセントにしているところに、この衣装を選んだ者のセンスが光っている。

 この世界のヒロイン、マリーナ。マリーナ……なんだっけ。

 イーディスは彼女の下の名前を忘れてしまっていたが、それだけわかれば十分だ。彼女がマリーナだ。

 しかし彼女は真っ青になって震えていた。当然だ。中国マフィアみたいな男が上から覗き込んできたら誰だってそうなる。小ネズミみたいに震える彼女を、男はじっと観察しているのだった。

「イーディス、これは……」

 グレイスフィールまで困惑している。仕方なく、イーディスは声をかけた。

『ツェツァン様。ご令嬢を怖がらせるような真似はお控えください』

『……!』

 ツェツァンはイーディスを見るなり驚き、それからゆっくり口元を綻ばせた。

『話の通じるやつがいて助かる。この小ネズミに、おれを紹介しろ。女』

『……物の頼み方もわからない、意地の悪いモンテナ男です、と?』

 男は歯を剥いた。笑っている。マリーナは怯えているし、グレイスフィールはどうしていいかわからないようだ。

『やはり面白いやつだ、覚えているぞ、オルタンツィアのメイド。名前は』

『そんなことはどうでも良いです。彼女に何を伝えたいのかおっしゃってください』

イーディスは彼の目を睨みつけた。

『私の今の仕事は通訳ですから。そのまま訳してもよろしいんですか』




「こちら、モンテナのツェツァン社よりお越しになったツェツァン専務です」

「ご、ごきげんよう……」

 哀れになるくらいマリーナは小さくなっていた。続けてイーディスはツェツァンを見上げた。

『こちらはアーガスティン商工組合の会長、モンテスター翁の孫娘に当たります、マリーナ・モンテスター様です』

「よろしく、マリーナ嬢」

 ツェツァンはマリーナの目線まで屈んだ。最初からそうすればよかったのに。

 イーディスが半目でツェツァンを見ていると、グレイスフィールがツェツァンに話しかけた。


『こんばんは、ツェツァン様。グレイスフィール・オルタンツィアです。お会いできて嬉しい』


 ここまでは日本の教育の賜物だ。ツェツァンにも難なく通じたらしい。


『ヴィンセントの妹か。よく似ている』

イーディスはそのまま訳すことにした。

「よく言われますわ。……ツェツァン殿。この前はお越しいただいたのに、ご挨拶できなくてごめんなさい」

『何も気にすることはない、あまり人前に出るのが得意ではないとヴィンセントから聞いていた』

「お恥ずかしい限りです」

『今日はヴィンセントはいないのか』

「ええ、代わりにわたくしが参りました。社交界デビューも兼ねて」

『そのメイドを通訳として譲る話はどうなっている?』


イーディスの背に緊張が走った。


「お断り申し上げます」

グレイスフィールは即答した。

『話が違うようだが』

「イーディスはわたくしのお付きのメイドでした。なのにお兄様は、わたくしの許可なしに取引をしてしまった。ですのでわたくしの口から、お断り申し上げようと思いましたの」

『ヴィンセント殿に約束した融資の話も、紹介の話も、無いことになるが』

「残念ながら、そうなります。折角取りはからっていただいたのに、申し訳ないと思っておりますわ……」

 グレイスフィールは項垂れた。演技なのか本当に萎れているのかイーディスには区別がつかなかった。

「ですが、当社もモンテナ進出を諦めてはおりません。彼女のような人材は我が社にも必要なのです。……これまで通り、変わらぬ友人のように接していただければ幸いだと、兄が申しておりました」

『……イーディスと言ったか』


 ツェツァンの言葉はイーディスに向けられた。

おれはお前を諦めていない。いつか必ず買収する』


イーディスはポカンとした。どうしてこの流れでそうなる?


『あの、ここまでのお話を聞いてどうしてそうなるんですか?』

『ツェツァン社にも野心がある。レスティアの内地に進出したい。お前のような人材が必要だ。ただそれだけだ』

『他にもいらっしゃるでしょう、モンテナ語の達者な方くらい……。それか、どなたかに今からレスティア語を学ばせるとか。いくらでも方法はあるんじゃありませんか』

ツェツァンはグレイスフィールを置き去りに、イーディスを真上から覗き込んだ。

『違う。お前で無いとダメだ。お前は“流星の子“だろう。違うのか』

『どうしてそれを……?』


 ツェツァンは、イーディスだけを見つめた。


おれも同じだからだ』


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