第17話 夜は星と共に来たりて
グレイスフィールお嬢様の社交界デビューの日までに、イーディスは、メイド長にありとあらゆる作法を叩き込まれることになったが──ほとんどが前世の記憶でカバーできてしまったため、イーディスは単にメイド長を驚愕させただけだった。
「行儀の悪い小娘だと思ってたのに」
「メイド長、私のことそんなふうに思っていたんですね」
メイド長は咳払いをひとつした。
「行いです。全ては行い。お前の行いが変われば、自ずと周りの目も変わるのです」
イーディスはそれを聞いて、……おかしくて、笑った。メイド長はふんと顔を背けた。メイド長がイーディスを見る目は、彼女の言った通り変わり始めていた。メイド長は認めたくないかもしれないが。
「イーディスはこのお衣装がいいわね」
そして、グレイスフィールの自室では衣装選びの真っ最中。
グレイスフィールはいくつかの包みの中から一枚のワンピースを取り出した。そして、ウォークインクロゼットからトルソーを引っ張り出してきて、それに着せつける。汚部屋は相変わらずだが、申し訳程度に壁際に寄せられたゴミ達が、グレイスフィールの涙ぐましい努力を匂わせている。
「エプロンドレスでしょう、リボンでしょう、それからこのカフス!」
イーディスの衣装を選ぶだけなのに、グレイスフィールが一番楽しそうだ。
「私にこれは派手すぎませんか?グレイス様。この
「いいのよ!わたくしはもっとハデハデなのだからあなたもこれくらい!」
「ええー……」
「一度でいいからやってみたかったのよ、こういうの!」
イーディスは気乗りしないままグレイスフィールの着せ替え人形にされてしまう。セットした髪も解かれ、イーディスにしてみればハデハデした髪飾りが編み込まれていく。
「わたくしね、今世も前世も妹が欲しかったのだけど」
鏡の中でグレイスフィールが言った。
「今世はお兄様しかいないでしょう。前世は弟しかいなかったのよ。だからとっても楽しい」
「……そうなんですね。でもお嬢様。ほどほどになさいませ。わたくし、オルタンツィア家の通訳ですけど、ただのメイドでもあるんですよ」
「わかっているわ。“ギリギリ”を攻めるのね」
……わかっていないな、とイーディスは思った。けれども美しい碧眼が輝いているのを見れば、それ以上とやかくは言えない。
そうして迎えた社交界デビューの夜は、流星のお告げが出ていた。
「天文台によりますと」
トーマスが恭しく言った。
「今夜は英雄の星座の方角から流星が降るとのことです」
髪を結い上げたグレイスフィールの耳元で、クリスタルの耳飾りが揺れた。社交界デビューを控えた令嬢は、瞳の色に合わせた真っ青なドレスを着こなしている。
イーディスもまた、深緑のロングワンピースに、フリルのついたエプロンドレスをつけていた。ロープタイにあしらわれた宝石は黄水晶。ギラギラした髪飾りは、イーディスが頑なに固辞した。そのかわりカチューシャが付いている。
「参りましょう、どうぞお車へ。お送りします」
トーマスが令嬢へ手をのべる前に、背後から走り寄る影がある。
ヴィンセントだ。
「グレイス!ああ……母上によく似ている。美しいよ、似合っている」
「そう?ありがとう、お兄様」
「幸運を祈っているよ」
ヴィンセントは妹の手を取るとその指先に口付けた。イーディスは見てはいけないものを見たような気持ちになったが──兄妹の間では普通のことらしかった。
「では、お兄様を頼みますよ、キリエ」
グレイスフィールが手をひらりと振る。メイド長は恭しくこうべを垂れた。
「かしこまりました。一同、お嬢様のお帰りをお待ち申し上げております」
「ああ、肩が凝る」
車に乗るなり、グレイスフィールはため息をついた。
「お兄様もキリエも誰も彼も、もっと砕けた言葉遣いでもいいのにね?イーディス」
「しー、お嬢様、しー」
運転中のトーマスがチラリとこちらを見た。イーディスはニコニコとその場を取り繕い、グレイスフィールを見た。
「みな、立場がございますので」
「イーディスだってそうだわ。イーディスと私の立場はおんなじよ。もっとくだけていいのよ。なんならタメでもいいくらい。マブよ、マブ」
前世の言葉が出ること出ること。イーディスはトーマスの視線を気にしながら、声をひそめた。
「同じだなんて、まさか。そんなことは……」
「あるわ」
グレイスフィールは窓の外を見た。晩餐会を控えた夕方の、赤い空を。いずれ星の降る南の空。
「あなたもわたしも“流星の子”。同じ日に生まれた……」
「……?」
「聞いたことはない?古いお伽噺。流星の降る夜に生まれた子は、祝福されているの。特別な子なのよ」
「……ああ、」
『英雄の流星が降る夜には、何かが起こるのよ、イーディス』
「あの流星の一つ一つは、魂だわ」
グレイスフィールはそらんじるように囁いた。
「どこかから神様が迷子の魂を呼ぶの。そして魂は、生まれてくる子の中に宿って、新しい人生を生き直すとされている。“本当にするべきことをするために”」
トーマスが耳を傾けているのがよくわかった。グレイスフィールは、付け加えるようにこう続けた。
「……古い文献で読んだの。確かかどうかは知らないわ」
イーディスにはわかっている。それは「確か」だ。
この世界はグレイスフィールが前世で作ったものだから。
つまり流星は──。
──誰かの魂。
イーディスたちもそうやって生まれてきたのだ。
“本当にするべきことをするため”──。
会場へ降り立ったグレイスフィールは、執事の手を取り、優雅に微笑んだ。
「トーマス。ご苦労だったわ。夜会の終わりにまたお願いね」
「承知いたしました」
イーディスはその後に続く。あくまでメイド、あくまで通訳。ここではグレイスフィールという花を立てる器に過ぎない。
大きな扉の前で、燕尾服の男性達が待ち構えている。その前に、と、イーディスはグレイスフィールの背中に喋りかけた。
「グレイス様。この戦いが終わったら……」
振り向く令嬢の耳飾りがきらりと光った。イーディスは、そっと彼女の手を包むように握った。
「……汚部屋のお掃除をさせてくれませんか」
──グレイスフィールは硬直したあと、面白いくらい顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「いっ、いきなり何言い出すかと思えば! なんのフラグかと……!」
「これから先、何があっても、私はグレイス様のおそばにおります。なんでもお申し付けください。できる限りお応えします」
「……それで、お部屋のお掃除ってワケ?」
イーディスは大真面目に頷いた。
「ええ。……私の人生は、グレイスフィールお嬢様に捧げると決めました。許すと。そう一言おっしゃってください」
グレイスフィールは言葉を失い、それからイーディスを見つめた。
「許すわ。ただし、私のお友達としてよ」
「グレイス様……!」
「でも!机の上は絶対触らないで。絶対よ」
イーディスは心の中で呟く。
……あの日救えなかったあなた。ドア越しに助けを求めたあなた。今度こそ、力になります──。
「行きましょう」
「はい!」
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