第14話 ハウスメイド、クビ。

 泣いても喚いても、朝は来る。

 イーディスの「運命の日」だ。

 狭い私室でエプロンをつけ、帽子を被り、鏡の中の自分を見つめる。少し目の縁が赤くなっていた。でも。


「やるしかない……」


 今日中にお嬢様を「まとも」にしてみせなければ、イーディスは暇を出される。つまり、オルタンツィア家のメイドをクビになる。

 クビになれば、行くところがない。

 それだけはどうしても避けたかった。


 グレイスフィールお嬢様に対する、イーディスの結論はこうだ。


 お嬢様は、前世の記憶を持っていらっしゃる。いつかのタイミングでそれを思い出して、混乱してしまわれた。プライバシーのない世界で、彼女はそれプライバシーを主張したにすぎない。

 そして、彼女はこの世界を「筋書きの決まった物語世界である」と主張している。だから、決まりきった筋書きに背くため、月末に予定されている社交界デビューを拒否し、そのために部屋にこもっていらっしゃる。


要するに。


「グレイスフィールお嬢様は、悪魔祓いをする必要はない」



 そして今日中に、そのことをヴィンセント様に納得していただくのだ。それしかない。


 社交界デビューレビュタントについての問題は全く解決できないのだが、イーディスに主張できるのはそれしかない。お嬢様は悪魔になど憑かれていないし、おかしくなってもいない。


「やるわよ、イーディス」

つぶやいて、部屋を出る。当たり前に一日が始まろうとしていた。





 お嬢様の部屋を訪ねるのは7時頃と決まっている。それまでの間に何か仕事をしておきたい。

 イーディスはそうして屋敷内を歩きまわっていると、背後から声がかかった。


「イーディス。イーディス・アンダント」


屋敷の管理人の一人、「鍵持ちの執事バトラー」、トーマスだ。

 片眼鏡をかけた大柄な男は、きっちりと正した襟を微調整しながら、

「旦那様がお呼びだ。すぐに執務室に来るように」

「えっ」

「今すぐ」

「はっ、はい!」

 イーディスは一度私室に戻って髪を整え直した。

 時刻は朝の6時。旦那様はお食事を終えたあたりだろうか。

急ぎ足で執務室へ向かい、ドアをノックする。3回。


「イーディス・アンダントが参りました」

「入れ」

「失礼致します」


 重厚なデスクの向こう側にヴィンセントが座っている。そのすぐ隣に、トーマスが立っている。さながら彫像だ。

 イーディスは緊張の中でぐるりと部屋を見渡した。どこをとっても清掃の行き届いた部屋。チリ一つなさそうだ。

 書類の束がまとめて窓際に置かれており、その一枚一枚が、オルタンツィア製の用紙とわかる。それとは別に、サンプルらしき紙の一枚一枚が等間隔に並べて広げられ、ヴィンセントの生真面目さと几帳面さを物語っているようだった。


 グレイスフィールの、兄。ヴィンセント・オルタンツィア。

彼は熱心に、デスクで紙を眺めていた。


 イーディスはじっと黙って待った。本来、身分が上の方に声をかけるのはタブーなのだ。イーディスはこの二日間で数え切れないほどそのタブーを破ったのだが──この場では、黙っているのが正しいと、イーディスは思った。

たかがハウスメイドのイーディスを呼びつけ、何を話すのか。もちろん、グレイスフィールの「悪魔祓い」の件に関してだろう。イーディスはそうたかを括っていた。


「イーディス・アンダント」

ヴィンセントが口を開く。

「アンダント救貧院で育った。間違い無いな?」

「……はい。間違いございません」

ヴィンセントは顔も上げずに続ける。

「では、モンテナ語はどこで習った?」

「あっと……」


 モンテナ語。この世界における英語だ。昨日思いがけず、「カッとなって」披露してしまったイーディスの前世からのギフト。

「昨日、私の客人に向かって何か言っただろう。何を言った?」

「え、えと。“ごきげんよう”と」

「違うな。それくらい私にもわかる。……どこで習った」


 口籠もってしまう。とても言えない。大学で語学を専攻し、留学してイギリスに2年ほど住んでいたからだなんて言えない。就職したあとも、外国人観光客を相手にしていたからだなんてとても言えない。

 こんな話、通じるわけがない。


「……ええと、気づいたら習得しておりました、はい」

「気づいたら?」

「ええ……そうとしか……あはは」

「レスティア語を読めも書けもしないお前がか」


 ヴィンセントの追及は鋭い。


「自分の名もまともに書けないお前がどうしてモンテナ語を解す」

ヴィンセントが一枚の紙を掲げた。見せられたのは、イーディスがここに来るさい書かされたサインだった。

 “いーでず・あんだんど”

 我ながら酷い字だ。確かに、「これ」でモンテナ語だけ堪能なのは解せない。

「そ、それは……」



 その時、メイド長が執務室に飛び込んできた。

「お呼びでしょうか」

「キリエ。ちょうどよかった。今から話そうと思っていたんだ」

「何をです」


 メイド長はイーディスの隣に立って、背筋を伸ばした。二人きりだと押しつぶされそうだったけれど、メイド長のおかげで少しだけ楽になる──。


「ハウスメイドのイーディス・アンダントに、暇を出そうと思う」


「へぇッ!?」


イーディスの間抜けな悲鳴が響き渡った。しかし、重苦しい空気は変わらずそこにあってイーディスを圧迫した。

──うそ、うそ、どうして。まだ一日あるはずなのに!

「異論あるか」

「ございません」

トーマスが即答した。

「キリエは」

メイド長は凍りついたイーディスをちらと見やった。イーディスはその目を見つめ返した。必死に見つめ返した。

 メイド長は、少し躊躇ってから、こう口にした。

「……旦那様がそうお決めになったのなら」

「では、決まり──」

「ですが」

 メイド長は震える声で言った。

「弁えずに発言するわたくしをお許しください、旦那様。この者はお嬢様に2日お仕えしましたが……そのたった2日で。たった2日で、この者はお嬢様の部屋の扉を開けたのです。お嬢様は、たいそうこの者を気に入っておられます」

「グレイスが?」

 ヴィンセントは眉を寄せた。

「それは確かなのか」

「はい、間違いございません。わたくしは、旦那様にお仕えする者でありますが、同時にお嬢様にもお仕えする身でございます。……この者の処遇は、お嬢様にお話を通してからでも、良いのではありませんか」


 イーディスの口の中はカラカラに乾いていた。まさかあのメイド長から援護射撃が飛んでくるとは思わなかったのだ。


「メイド長……」

「ではキリエ。今すぐグレイスをここへ」

「今すぐ!?でございますか」

「ああ、今すぐだ」

ヴィンセントはイーディスをチラリと見た。

「イーディス・アンダント。あの言葉、忘れてはいないだろうな」

 イーディスは、震えながら答えた。

「……勿論でございます」


──グレイスフィールを“まとも”に。


 ヴィンセントは冷たく告げた。

「グレイスをここへ。意見を聞こう。“まとも”になったグレイスに」



イーディスの背を、冷たいものが伝い落ちた。


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