第13話 ハウスメイド、夢と現実

「……と、言うわけでして」


イーディスはぐったりしながらグレイスフィールに告げた。

「見つかりましたが、ジョンさんのお孫さんがいたくオルゴールを気に入ってしまっていて、持ってくることができませんでした。申し訳ありません」


少し間をおいて、令嬢はドアの向こうでため息をついた。


「そんなにくたくたになるまで探し回ったの。切り上げて、明日にすればよかったでしょう。ご飯まで食べ損ねて……どういうつもりなの」

「お嬢様がお待ちかと思って……」

令嬢がふふ、と笑い声を漏らす。


「──そういう貴女の正直でばかなところ、わたくし、嫌いじゃないわ」


 褒められたのか貶されたのか、と疲れ切った頭でイーディスが考えていると、令嬢は続けた。

「よかった、無くなったのではなくて、拾われていたのね」

「ええ、大事に大事に抱えておりました」

「そう。ならその子に、大事にしてねと伝えてちょうだい。明日でもいいわ」

「いいのですか?」

「いいのよ。……もう10年も聞いていないオルゴールだもの。音を奏でているほうがきっと幸せよ」


 イーディスはそれ以上何も言えなかった。あのオルゴールは、探さねばならないほど大事な品だったはずなのだから。おそらく亡くなったご両親の形見なのだろう。

 けれどグレイスフィールがそれでよいというのなら。


「かしこまりました」

「イーディス。もう休みなさい。お風呂に入って、ゆっくり体を休めなさい。今日はこれ以上は働かないように。命令よ」

「承知いたしました。……おやすみなさいませ、お嬢様」

「おやすみ」






 イーディスはさっと風呂を済ませ、早々ベッドに潜り込んだ。

 お嬢様に言われるまでもなく、限界だった。目を閉じると、穴に落ちるように意識がとんだ。

 イーディスは夢の世界へと誘われる。






「火事だー!」

「火事です!火事です!」

「避難してください、階段から、押さないで、ゆっくり降りてください!」


 あの日、ホテルは火事に見舞われていた。出火原因までは思い出せない。けれど6階からの出火で──6階から上を巻き込む、大きな火災になった。夜を裂くように炎は燃え上がり、黒い空に溶けていった。


 お客様がぞろぞろと列を成して外へ避難するのをよそに、ひとりの若手ホテルマンが咳込みながら駆けてくる。

「店舗長!店舗長!7階のお客さまが一名、応答ありません!」

「まさか729号室!?」

「あの部屋か!漫画家先生が缶詰しているっていう部屋か」

「煙が充満してて、とてもじゃないけど呼びかけを続けられず、」

「落ち着け、落ち着くんだ」

「消防はまだなの!?」

「7階ですから……煙を吸って意識を失っているのかも」

「……──他は!」

「避難完了です」


 その時イーディスは……「彼女わたし」は、頭からバケツの水を引っかぶっていた。マスターキーを握りしめ、びっしょびしょの制服姿で、同僚たちに言い放つ。

「7階、見てきます!」


「おい!勝手な行動をするな!死ぬぞ!」

「消防なんか待ってたら、間に合いません!」

「火事に関しちゃズブの素人だぞ!素人に何ができる!」

「やるしかない、じゃないですか……!人の命ですよ!」


──そうか、そうだったんだ。


「私たちは、人の命をお預かりしているんですよ!?」




 イーディスはなんとなく、この先「彼女わたし」がどうなるのかを予測することができた。


 お客さま。お客さま。お願いです。返事をして。

 ドアを開けてください──!

 開けてください。開けて。どうか、

 ドアを……。


 ドアは開かなかった。熱で歪んで、とてもじゃないけど。

 開けられなかったのだ。





 自分の叫びで、イーディスは目覚める。

全身にびっしょりと汗を掻いていた。まるで今まで業火に焼かれていたかのように、体が熱くなっていた。

「はあ、はあっ、はぁっ!」

汗で濡れた顔を覆うと、なぜか涙がこぼれてきて、イーディスは横になったまま、嗚咽を漏らした。

「うう、……ううううぅ」


義母さんママン。苦しい。

義母さん。悲しい。

悔しい。


 でもここにママンはいなくて、イーディスに与えられた小さな部屋に、彼女を慰めてくれる存在は居なくて。

「──泣くな、イーディス。泣くな」

涙声で叱咤する。からっぽのイーディスの部屋に、声ばかりが響き渡る。

「泣くな。泣いても何も変わらない」

 だけど16歳の少女の身体は泣くのをやめなかった。イーディスは、泣いているのが誰なのか、もはや区別できなかった。

 夢はもう、イーディスと「私」を一つに融合してしまったらしかった。


「泣いたって生き返れない!」


 そう、泣いたってこの現状は変わらない。イーディスの生活は首の皮一枚で繋がっていて、明日……今日で決まる。

 全てが決まり、そして終わるのだ。


「やるしかない。やると決めたらやるしかないのよ。イーディス」


 イーディスは薄い毛布を握りしめてぎゅっと目を閉じた。両瞼から、涙がつうと伝って落ちた。


「もう、この世界で生きていくしかないんだから!」


 

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