第6話 ハウスメイド、調査する

 イーディスは真っ先にメイド長を探しに走った。まずは彼女に聞くべきだ、と思ったからだ。


──なぜグレイスフィールお嬢様は取り乱したのか?



「メイド長。お時間をいただいても?」

「またお前ですか!」

 メイド長は書庫にいた。本のひとつひとつに丁寧にハタキをかけながら、イーディスをジロリと睨みつける。

「お嬢様のおつきはどうしたのです。旦那様の前であんな大見得を切っておいて……」


 ああ、この世界には歌舞伎もあるんだな、とイーディスは考えたが、それはそれ、これはこれだ。


「そもそも!何をやらせても半人前以下のお前がお嬢様のお付きだなんて何かしでかすんじゃないかと私は──」

「あの、メイド長! お嬢様のことについてお伺いしたいのです。同じあやまちを繰り返して、お嬢様に不快な思いをさせないために」

 イーディスは無理やりメイド長の小言を遮った。このまま聞いていれば日が暮れる。

「あ、ああ、」

 メイド長はイーディスの勢いに目を白黒させながら、もごもごと言った。

「……良いでしょう。許します。手短にすませなさい」

 許しを得たイーディスは、ようやく尋ねることができる。

「お嬢様は、メイド長がお嬢様のお部屋に入室なさった時には、“まだ眠っていらっしゃった”のですよね?」


 あの時。朝の4時半過ぎだったろうか。メイド長の悲鳴が聞こえたのは、そんな早朝だったと思う。

 朝の早いヴィンセント様とそのボーイが騒ぎを聞きつけて出てくるならまだわかる。でも、お嬢様はどうだろう。起こすには早い。お付きのメイドたちがお嬢様を起こすのは7時頃ではなかったか?


「ああ……」

メイド長は遠い目をした。

「ここのところのお嬢様は、起きていらっしゃる間だと、私どもがお部屋に入るのを拒まれるから。お嬢様が起きるよりも先に、カーテンを開けて、朝のミルクを準備しておこうと思ったの。そうしないと、ご朝食もお召し上がりにならないから」


 なるほど。早すぎる入室はそういうわけだ。彼女はあの時の言葉通り、お嬢様の世話をするためにあの場にいたのだ。

 メイド長は続けた。


「……でも、お嬢様は、“起きていらっしゃった”わ。まるで待ち構えていたようだった。カーテンを開けようとした私を部屋の外に追い出して……」

「何がお嬢様の気に障ったのか、メイド長、お心あたりは?」

「わからない」

 即答だ。覇気のない声。そして彼女は、困惑したようにイーディスを見返した。

 あまりにも、メイド長らしくなかった。

「本当に、本当にわからないのです。……あんな……あんなグレイス様はみたことがないわ。まるで本当に悪魔が憑いたようなのです。恐ろしかったわ」

「……悪魔」

 イーディスは呟いた。メイド長はイーディスから目を逸らし、用はすんだとばかりにハタキをかけ始める。イーディスは一礼して、書庫をあとにしようとした。その時。


「悪魔祓いを呼ぶべきだと、私も思うわ」


 後ろからメイド長の声が追いかけてきた。イーディスは、その言葉を振り切るように駆け出した。


 メイド長の言葉に応えるにはまだ早い。

 イーディスには、まだ知らなければならないことがある。






「え? お嬢様の様子がおかしくなった時のこと?」


 もともとグレイスフィールお嬢様付きだったメイド3人は、整った顔を見合わせては、かわるがわる、品定めでもするようにイーディスを見つめた。

「どうして貴女に、そんなことを教えなきゃいけないのよ」

「どうせ3日後に辞めるんでしょう?」


「辞めるって決まったわけではないのよ」

イーディスは言った。

「できないと思われてるだけ……多分」


「お嬢様は悪魔に憑かれているんでしょう?悪魔祓いを呼べばおしまいじゃない。なぜ貴女がそんなことを聞いて

回っているわけ?」


 ティーカップを磨く作業をしながら、彼女たちは何がおかしいのか、くすくす笑い始めた。


 ナメられている。

 

 そもそも、お嬢様のお付きも、旦那様のボーイも、そこそこゆとりのある中流家庭から奉公に出された者たちなのだ。学校にも通っていたから読み書きも難なくできるし、奉公のための作法も教え込まれている。

 つまり、彼女たちは仕事内容から何から何まで、イーディスのようなみなしごとは区別されているのだ。本来、イーディスはお嬢様のお付きになど「なれない」。

 その上イーディスは、ハウスメイドたちの間でも「悪い意味で」名が知れているものだから、嫌味にも拍車がかかる。


「貴女がお嬢様のお付きだなんて、ほんとうに、おしまいよね」

「”金皿10枚“よ、”金皿10枚のイーディス“」

「よくお暇を出されなかったわよね」

「帰る家がないからでしょ」

「お嬢様の部屋に入ったら、お皿なんかじゃ済まないわ」

「悪魔に憑かれたお嬢様に殺されちゃうかも」


……不敬だ。

イーディスは思った。

こんな人たちが今までお嬢様のお世話を?

拳を握り込む。

イーディス自身への悪口ならなんでも受け止められる。けれど、お嬢様までどうして悪く言えるのだろう?


 笑いながら彼女たちは言う。

「作業の邪魔だから、行ってちょうだいよ」

「…………」

 黙っていれば、くすくす笑いは大きくなっていく。

「行ってってば」

「それとも公用語もわからなくなっちゃったの?イーディス」

「聞こえてる?」


イーディスはニッコリ笑った。

「ええ、そうね。聞こえてるわよ。貴女たちに聞いても答えてくれないのなら、貴女たちの何が気に障ったのか、お嬢様に直接伺うことにするわ」


 三人娘の顔色は面白いくらい青くなった。


 言外に「お嬢様にチクるぞ」と言ったのだから当然。


 以前のイーディスなら走り去るか、そのまま黙ってしまうか。多分そんなところだ。彼女たちもそうなると思ったのだろう。ポンコツイーディス、怒られてばかりのイーディス、失敗してばかりのイーディス……。


 でも、残念なことに、イーディスはもう以前とは違ってしまっている。


「じゃあね。お仕事の邪魔をしてごめんなさい」

「待って!待ってよ!」

足早に厨房を出るイーディスに追い縋る手があるが、イーディスはやんわり跳ね除けた。笑顔で振り返る。

「邪魔しちゃ悪いものね」

「ご、ごめん、ごめんなさい!許して!話すから!」

「結構よ。お仕事の邪魔をしてごめんなさいね。ごゆっくり」

 暗に「許すわけないじゃない」と言いながら、イーディスは彼女たちを振り切った。後ろからは徐々に罵りに変わっていく女の悲鳴が聞こえてきたけれど、無視した。




 時計を見ると、もうすぐ昼時だ。

 メイド長の言葉が本当なら、お嬢様は朝のミルクも召し上がっていない。お腹を空かせておいでかもしれない。


「さて……お伺いしましょうか」






 階段上へ上がり、お嬢様の部屋をノックする。規則正しく、3回。ノックの回数は3回と決まっている。前世の記憶がそう言っていた。


「お嬢様」

 しかし、返事がない。

 イーディスはもう一度ノックをした。やはり、反応がなかった。

「お嬢様?」

 何かあったのだろうか?

 おそるおそるドアノブをひねると、開いている。

 鍵はかかっていないようだ。

 ドアを開けるか否か、迷うイーディスの耳元に、令嬢の言葉が──グレイスフィールの言葉が蘇る。


『”私“の許しなしに部屋に入ってこないでと言ったはずだわ』

『部屋に入ってこないで』


 ……そういえば。


『わたくしどもも部屋から締め出されてしまって。二度と入ってくるなとキツく言いつけられてしまい……何が何だかわからないのです』

 3人娘たちも確かそういっていた。二度と「入ってくるな」。お嬢様がそう言ったと。


 入ってくるな。

 ”入ってくるな“?


 イーディスははたと思い当たった。イーディスが記憶を引き継いでいる前世の「私」が、と言い換えてもいいかも知れない。

 瞼の裏を、ぐるぐると情報が駆け巡っていた。イーディスが当たり前だと思っていたこと。そして「私」が当然だと思っていたこと……それらの齟齬に、ようやく辿り着いた。衝撃で、頭がくらくらした。

 ああ。

 そんなことが。

 盲点だった。

 もしかして。もしかしたら。


 イーディスは「お嬢様、ごめんなさい」と呟いた。

 捻ったノブを押し、わずかに扉を開ける。

 部屋の中は暗く。カーテンは締め切られている。少し湿っぽいにおいがする。グレイスフィールは眠っているようだった。ひょっとしたら、誰かに入られることを恐れて、慣れない早起きをしたのかもしれなかった。

 イーディスは、そんな部屋の中の様子は努めて見ないように、ドアの内側を……厳密には、ドアノブの下側をまさぐった。


──ない。


今度は少しだけドアを開けて、顔だけを部屋に差し入れる。目でも確認した。


──やっぱり、ない。


 内鍵がないのだ。綺麗に、ないのだ。


 これでは内から鍵をかけられない。

「鍵をかける」なんて選択肢は彼女になかった。

 扱いは下級ハウスメイドのイーディスと一緒だ。

「鍵持ちの執事」に管理されている、イーディスと、一緒だ。

 知らなかった。お嬢様の部屋など無縁の働き方をしてきたから、知らなかった。


 グレイスフィールお嬢様はただ、「私室に勝手に入ってくるな」と、そう仰っているだけなのだ。


 イーディスはそっと、扉を閉めた。

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