第7話 ハウスメイド、奮闘(その1)

「グレイスフィールお嬢様は、なぜ取り乱したのか」?


 手がかりが一つ見つかった。

 内鍵のない部屋。内から鍵をかけられないから、「鍵持ちの執事」に一度鍵を開けられてしまえば、誰もが入り放題。

 お嬢様は、メイドが勝手に入って勝手に何かをするのが、お嫌なのではないだろうか。


 イーディスは頭をフル回転させた。


 今朝のメイド長など、ノックもせずに入ったに違いない。お嬢様が眠っていると思って、起こさないように入室した筈だから……それじゃあ、お嬢様があの剣幕になるのも道理だ。入ってくるなと言いつけた上でメイド長のあの振る舞いなら、その裏にどんな親心があっても、お嬢様は許さないだろう。


 そんなのは、プライバシーの侵害だ。

 イーディスは前世のまだらな記憶の中からそれを引っ張り出してきた。


<プライバシー>

 私事、私生活。および個人の秘密。あるいは、それらが侵害を受けない権利。──イーディスの脳内辞典より


 だとすれば、なんとなく筋が通る。お嬢様は自分のプライバシーを主張しただけ。日本、東京から転生してきたイーディスと「私」には、極めてまっとうなことのように思われた。


 問題が残っているとしたら、「なぜお嬢様は、突然プライバシーを意識し始めたのか」ということだ。……が。


ぷつん。


 限界だ。イーディスは頭の使いすぎで思考停止してしまった。


──イーディス、ばか、しっかりしなさいよ……!


 中身ソフトが優秀でもハードがダメならこうなってしまうのか。

 イーディスは己を憂いた。考えることは山ほどあるのに。きっと前世の私なら、ちょちょいのちょいで片付けてしまえるのに……。


 けれどもイーディスは、暗雲のような不穏な思考を振り払うように、ぱちんと両頬を叩いた。そして、腕捲りをする。


「頭が動かないなら体を動かすまでよ」


 細かいことは思い出した時に、あとで考えることにする。ひとまず廊下の隅に寄せてある、お嬢様の私物を整理するところから始めよう。



 危ないガラス片などは、先にメイドたちが片付けてくれたらしい。お嬢様が叩き割ったインク瓶のかけらはなかった。赤いカーペットの上に、大きなシミが黒々と残っている。

「……あれ」


 廊下の隅の方に、飾り皿のかけらが落ちていた。メイドたちが見逃してしまったのだろうか? もとは大きな皿だったらしいのに、今はたった一欠片しか残っていない。小さく文字が書いてある。イーディスは拾い上げたかけらにぐっと目を近づけて、それを読んだ。

 イーディスは読み書きはできないけど……どうにか読めた。

 難しい言葉ではなかったからだ。


「……わいい、わたしたち、の、グレイスへ おたんじょ」

かけらに書いてあるのはそれだけだった。イーディスは、目を伏せた。そして、英雄の流星が降った夜のことを思い出した。

『誰も覚えていない、わたくしの16の誕生日』


 オルタンツィアのご兄妹の両親は、汽車の事故で亡くなったと聞いている。これはおそらく、そのご両親からの贈り物の一つだったのではないか。


「……お力になりたいわ」

心の底から、そう思った。

「絶対、悪魔祓いなんか要らない。要らないはず……」


 イーディスは皿のかけらとペンを、メイド服のポケットに仕舞った。それからまた、グレイスフィールの部屋に向き直り、ノックをした。




「お嬢様。……お休みのところ失礼いたします。お目覚めでいらっしゃいますか?」


「起きてるわ。……なあに。またあなた?まだ諦めていなかったの?」


 よかった、起きていらっしゃる。これでお食事のお伺いができるし、御用を聞くことができる。……と思ったが、


「また?」

 ドア越しなのに、まるでイーディスを識別しているかのような言い方をするから、イーディスは聞き返してしまった。

「また、とおっしゃいますと」

「わかるわよ。ノックを3回するの、貴女だけだもの」


「え」

「お付きのハウスメイドは“わたくしです”とかなんとかいってそのまま入ってきたりしますからね。貴女くらいよ。律儀にノックして話しかけてくるハウスメイド」


 先ほどまで考えていたことが、的中した。

 イーディスは胸を押さえて、どきどきしている心臓を宥めた。


「や、やっぱりか……」

「やっぱり?」

「いえ、こちらのお話です。……お嬢様、今朝から何も召し上がっていないと伺っておりますが」

 しばし、沈黙があった。


「ええ、そうね。お腹が空いているみたい。……食欲が戻ってきた。よかったわ」

「何か、ご要望が有ればお伺いいたします」


またしばし、沈黙があった。


「あなた、変なの。出来合いの決まったメニューを押し付けてこないのね」

「お……嬢様のお役に立つのが、私の仕事ですので」


 イーディスは何か言葉につっかえた。お。お?

 今なんと言おうとした?

 まるで、昔から口にしていた、「口癖」のようなものが、勝手に出てきたみたいだった。イーディスは違和感の中で、開かない令嬢の部屋を見上げた。


「わたくしは、お嬢様に快適に過ごしていただけるように尽力いたします。むりやりお部屋に入るつもりはございません。ご希望があれば、申し付けてくだされば……」


というか、この「言い回し」はどこで覚えてきたんだっけ。


「ふうん。いい心構えね。なら、わたくしもわがままを言ってもいいかしら」

「なんなりと」

「ハンバーガーとフライドポテトが食べたいわ。出来上がり次第、部屋の外に置いておいてちょうだいな。気が向いたら食べることにする」

「かしこまりました、ではご用意ができ次第、お知らせします」

「ありがとう」




 イーディスは違和感の中で注文を了承した。


……しかし、このグレイスフィールのわがままが、いかにとんでもないかを、あとでイーディスは思い知ることになるのだ。


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