第30話 覚悟

 ――過去。

 屋敷の縁側で幼い桔梗と椿が並びながら話をする。


「桔梗ちゃんにはね、毘沙門天様以外の神様も見守ってくれてるんだよ」

「そうなの?」

「うん。でもその神様は強すぎて人の身体じゃ耐えられないから、簡単に頼っちゃ駄目」


 椿は優しく桔梗の頭を撫でる。


「お願いするのは、どうしようもなくなった最後の最後に少しだけね。わかった?」

「わかった!」



 

そして現代。


 ――ノウマク・サラバタタ・ギャティビャク。


 剣を構えた桔梗は、一言一言をゆっくり、間違いの無いように紡ぐ。

 毘沙門天の真言とは異なる真言。


 ――一言唱えるだけで意識を持っていかれそうになる……だけど!


 あまりに強大すぎる力の代償か、桔梗の瞳から焦点が失われ、全身から汗を流し、呼吸は荒くなる。

 だがそれでも、唱える真言は間違えないようにゆっくり、ゆっくりと唱え続ける。


 ――サラバボッケイビャク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン。


 真言が一度唱えられると、桔梗を中心に清廉とした空気が封印の地に流れ始めた。


「っ――⁉ この力はいったい……⁉」


 桔梗から感じる強大な神の力に恐怖を感じた椿は、慌てたように声を上げる。


「お前たち!」


 慌てたように上杉の人間たちに指示を出すが、それはタケルが間に入る。


「通さないって言ってるだろ」

「この――これならどうだぁぁぁ!」


 苛立ちながら椿が叫んだ瞬間、上杉家の人間が一斉に襲いかかる。


 タケルが手に持った剣で一閃すると、それも斬り裂くが、その隙にこれまでずっと指示を出していただけの椿がタケルを出し抜いて走る。


「っ⁉」


 タケルは一瞬で椿に追いつくと上半身と下半身を真っ二つにするように斬る。


「今は、お前に構ってる暇はないんだよぉぉぉぉ!」


 椿の必死の声とともに地面に落ちた下半身が泥の壁となってタケルの視界を隠した。

 すぐに壁を消し飛ばすと、すでに椿が桔梗に迫っている。


 ――まだ、間に合う!


 タケルは腰を低くし、一足飛びの構えを取り地面を力強く踏み込むと、一気に飛び出した。


――ノウマク・サラバタタ・ギャティビャク……


 目を瞑り、真言を唱えるために集中している桔梗は、同じ真言を再び唱えている。

 その間に迫る椿の凶刃。


 ――取ったぁ!

 ――やらせない!


 椿がそう確信し、タケルが背後から攻撃しようとした瞬間――。


『ガァァァァァァ!』

「っ――⁉」


 椿に凄まじい衝撃が走り、その場から一瞬で消える。


 平等院を送り届けたアニラが、元の形態で怒りの雄叫びを上げながら椿に突撃し、一気に壁まで叩きつけたからだ。


「ぐ、はぁっ――⁉」


 上半身だけの椿はアニラの角が刺さったまま壁に挟まれ拘束され、慌てて桔梗を見る。


 彼女にとって、自分を殺せないタケルよりも、今拘束しているアニラよりも桔梗の方が危険だったから。


 そして桔梗は依然としてこちらには一切視線を向けず、ただ集中をして真言を唱え続けていた。


 ――まずい!


 すでに二度、真言は唱えられている。

 降りてくる神の気配。そこから感じられる力の大きさは、自らを滅するに値するものだ。


 他の上杉を仕掛けても、立ち塞がるタケルを突破することが出来ずにいる。


「ぐ、このぉ!」

『ガァッ――』


 椿は慌てて下半身を再生させると、剣を握り直してアニラの首に刺す。

 式神とはいえ、攻撃を受ければダメージは蓄積され、致命傷を受ければその身体を維持出来なくなってしまうはず――だった。


 ――アニラ、桔梗ちゃんを守ってね。

 ――めぇ~。


 自分の身体に抱きつき、安心したように眠る幼い桔梗。

 それを優しく見守る椿に、アニラは約束したのだ。


 椿によって『桔梗を守るために』生まれたアニラは、たとえ死んでもそれを果たすべく立ち塞がる。


『ガァァァァァ!』

「たかが、式神風情がぁぁぁぁ!」


 最後の力を振り絞ってでも椿を拘束し続けるアニラに、椿は苛立ちげに刺した剣に力を入れ、足で蹴り押すと、アニラは激しく地面に転がった。


「ハァ、ハァ、ハァ……!」


 力尽きて地面に倒れるアニラを憎々しげに見下すと、タケルがアニラに近づいて膝をつき回復魔術を使い始める。


「アニラ、よく頑張ったな」

『ガァ……?』

「もう大丈夫だ」


 その表情は落ち着き、まるでもうすべてが終わったかのようだ。

 そんなタケルを見て椿は一瞬呆然とする。


「いや、今はそれよりも――⁉」


 優先すべきは桔梗だと顔を上げると、それまで閉じて集中していた桔梗と目が合った。


「――ウンタラタ・カンマン!」


 その瞬間、封印の地に炎が走る。

 それは浄化の力を持って上杉家を飲み込み、そして二度と戻ることはなかった。


「ギャァァァァァァァ⁉」


 ――馬鹿な⁉ なんだこの炎は⁉ この痛みはぁぁぁ⁉


 椿はなにか恐ろしいものを見るように、桔梗を睨む。


「激しい怒りにより憤怒の姿をされ、暴虐なる力を持った守護尊、不動明王様。我が迷いを絶ち切り下さい。我が敵を砕く力をお与え下さい……」


 背後に炎を背負い、右手には炎が龍のように纏った倶利伽羅剣くりからけん

 左手には髪紐を羂索のように巻いて立つ。


 その姿は最強の明王である“不動明王”がそのまま乗り移ったかのようで、桔梗が一歩踏み込んだ。


「そして私の願いを成就せしたまえ!」

「お、おおおぉぉ……」


 桔梗から発せられる神気によって椿の姿を維持出来なくなった魔族は、姿が変わる。


 長い白髪に角を生やし、瞳はなく黒い空洞となり、枯れてひびの入った赤銅色の肌をした着物の女。

 魔族の姿へと戻り、自らの滅びを感じて畏れ戦く。


「たかが人の身で、これほどの力に耐えられるはずがない! この身体つばきですら私が限界なのに……こんな、こんなことがぁぁぁ!」


 魔族は凄まじい速度で桔梗に迫る。


 桔梗の背中には迦楼羅のごとき激しい炎。

 魔族には、それはまるで多くの人が彼女の背中を支えているように映り、さらに椿が意地悪げに笑ってくるようにも見えた。


 ――だから無理だって。貴方は私の可愛い可愛い桔梗ちゃんか、その子どもか、またそのずっとずっと先の子に負けるんだから!


「黙れぇぇぇぇぇぇ!」


 魔族が幻想を振り払うように剣を強く握り、桔梗に斬りかかる。

 桔梗の手に握る刀は、炎が龍のように強く輝き燃え盛る。


「もう、私は迷わない」

「シネェェェェェ!」

「これは悪しき魂を燃やし尽くす降魔の剣」


 ――迦楼羅焔剱カルラエンノツルギ


 炎燃える桔梗が剣を振るう。

 すれ違い様、真っ二つになった魔族の身体が燃え上がり、そして滅び始める。


「あ……うそ、だ……? あ、あ、あ……アァァァァァァ⁉」


そ して炎に呑まれ、魔族は粒子になって崩れていく。

 そのまま黄泉岳全体を覆う巨大な魔力が、そこにいた魔の存在がことごとく消滅させていく。そして黄金の粒子が天に向かって昇っていった。



「はぁ、はぁ、はぁ……ふぅ」


 桔梗は荒れる呼吸を落ち着かせるように立ち尽くし、天井を見上げる。

 もはや今の彼女に、なんの余力も残っていなかった。


「あ……」


 左手に握っていた、椿との思い出が詰まった大切な髪紐。

 それは役目を終えたかのように光の粒子となり、消えてしまう。


 同時に封印の地からキラキラと輝く白い粒子が地面から地上に広がり、それが人型になる。

 その姿を見た瞬間、桔梗は我慢していた涙が溢れ出し始めた。


「う、うぅぅ……」


 桔梗はゆっくりとその人型に近づいて行き、一番前で迎え入れてくれた存在に抱きつく。


「ねえさま……みんな……わたし、頑張ったよね? 期待に、応えられたよね?」


 彼らは笑いながら頷くと、椿が桔梗を抱きしめた。

 そして椿は一言。


――頑張ったね!


 そのまま、椿たちは白い粒子となって消えて行く。

 いつの間にか、タケルが自分のことを優しく抱きしめていた。

 傍には羊姿に戻ったアニラもいる。


 だが桔梗は安心しきったように目を閉じているため気付かない。

 

「うん……私、頑張ったんだ……」


 それは、子どもが母親に安心を求めるような雰囲気。


「お疲れ様でした」

「めぇ~」


 そんな桔梗を、タケルはただ一言そう労うのであった。




 全てが終わった翌日。

 山の高台の上にある椿や代々の上杉家が眠る墓地。

 全てを終えた桔梗は墓参りをし、その様子をタケルと平等院が見守っていた。


 桔梗とアニラは自分のことを椿たちに伝え終えると、立ち上がって振り向く。


「ふぅ……それじゃあ行こっか」

「本当に一緒に下山するんですか?」

「うん。元々一人で守れる場所じゃないし、黄泉岳の管理もハンター協会に頼まないと」


 似たような髪紐で髪をくくっているが、形見だった髪紐を失った桔梗はもう以前のように振る舞うことは出来ない。


 だがたしかに前に進んでいるようで、以前よりも少し前向きとなる。


「……あ、そうだ」


 桔梗は思い出したように振り向くと、もう一度椿の墓の前に立ち、髪紐を解いた


「いつまでも姉様の真似をしてたら、心配して成仏出来ないからね」


 桔梗は手を離して、自分の髪紐をそのまま風に乗せる。

 広大な山の中に髪は消えて行き――。


「行ってきます」


 それを見送った桔梗の顔はとてもすっきりしていて、美しいものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る