第26話 今の自分に出来ること

 十年前――。

 黄泉岳の一角では大樹の枝が山中を覆い尽くすように暴れ、一つの山を飲み込み、地形は大きく変貌していた。


 巨大な大樹のツタがうねりを上げて山全体を覆う。

 そんな光景を別の山の山頂から見る者たちがいた。

 山全体覆う災厄と立ち向かう、上杉本家の四人と当主だ。


「一族のやつらが命を賭けて開いてくれた道、無駄には出来ねぇなぁ」

「おう。あとは儂らの出番じゃ」

「それにしてもまさか、この時代に神殺しとは……」

「ま、心配いらないよ。なんたってウチらには――」


 まるで赤鬼のような巨躯に金棒を持つ赤茶色の髪の男は獰猛に笑い、年老いてなお背筋は伸びて強い意志を持つ瞳、そして刀を腰に差した白髪の老人は動じることなくそこにある。

 不健康そうな顔つきの黒髪の男性は指に札を持ち淡々と、任侠の姫と呼ばれそうな男勝りな顔つきの女性は大太刀を背負って自信ありげに立つ。


 一人一人がS級ハンター並の強さを持つ上杉本家の一族。

 古来より日の本を怪異から守護してきた一族の彼らは、天変地異を目の前にしてなお怯むことなく前を向く。


 上杉分家の人間たちが情報を集め、戦い続け、封印の地より復活した神の存在を見つけた。

 残った本家の人間が総攻撃を仕掛け眷属を倒し、神への道もすでに敷かれ、あとは本陣に攻め入るのみ。


 それを為すのは上杉家最強の四人と、そして――。


「――歴代最強の上杉がついてるんだからさ」


 大太刀を持つ女性が笑いながら振り返ると、そこに立つのは黒い髪の美女――上杉椿。


「それじゃあ行こうか、みんな」


 椿はまるで散歩に行くかのように気負った様子も見せず、自然体で笑う。

 彼女がいるだけでどんな困難もいつもと同じ日常に思えるような、そんな雰囲気。


「姉様! みんな!」


 まだ十歳の桔梗は、小さな身体でその背を追いかけ、涙を流して姉の背中に向けて叫ぶ。

 上杉の一族はただその背を見せるだけで振り向かない。


「大丈夫だよね! ちゃんと帰ってくるよね!」


 子どもを一人残すことに対し、各々思う事があってもなにも言わなかった。

 進んだ先は死であり、帰ると約束をしても、果たせないだろうと誰もが分かっていたからだ。


「ごめんみんな、ちょっとだけ待って貰って良い?」

「……好きにせい」

「ありがと」


 そんな彼らの中心にいる椿だけが振り返ると、ゆっくり桔梗の傍に来る。


「桔梗ちゃん、ちょっと動かないでねー」

「……?」


 椿は自分の髪を纏めていた紐を取ると、それで桔梗の綺麗な黒髪を結ぶ。


「よし、出来た!」

「姉様?」

「うん、やっぱり我が妹は世界一可愛いなぁ!」

「わっ⁉」


 勢いよく抱きつき、桔梗が困惑した顔をする。


――その髪紐を大切に持っててね。


 そんな彼女の耳元で椿はそっと呟いた。


「おい椿! いつまでも待てねぇぞ!」

「おっと、煩いのがいるからそろそろ行かないと」

「姉様……」


 金棒を持った大男の声で椿は離れ、そして不安そうな顔をする桔梗に笑顔を見せる。


「大丈夫! この最強のお姉ちゃんに、ぜーんぶ任せない!」


 死地に向かうと分かっていながらも、いつものように少し悪戯げな、快活な笑いを見せる大好きな姉の姿。


「桔梗ちゃんの花嫁衣装を見るまで、死ねないからね!」



 紐を無くして凹んでいる桔梗が岩を背に膝を抱え、タケルがそれを見ていると、彼女はポツポツと自分の事情を説明する。


「姉様は本当に凄くて、明るくて、優しくて、強くてね。あの人の周りは笑顔が絶えない、まるで太陽みたいな人だったの」

「私は引っ込み思案でお話も苦手だったけど、姉様の傍にいるのはとても安心出来たんだ」

「だけどあの日……」


 上杉の一族全員と椿が元凶となる山の神を封印したことで事件は一端の終焉となるが、そのときには上杉家は壊滅状態。

 封印の地に向かった本家の人間も、眷属相手に時間稼ぎをしていた分家の人間含めて誰一人戻ってこなかった。


 龍穴のある黄泉岳はとても危険な場所で、上杉家の庇護なしに一般人が残れる場所ではない。

 生き延びた使用人たちは、残された子どもの桔梗を見て残念な顔をしながら去って行く。

 その顔を桔梗は忘れられなかった。


 ――ああ、この人たちにとって私は違ったんだ。


 最後の上杉が椿だったら、きっと使用人たちも残っていたのだろう。

 希望を持って一緒に復興の手助けをしていたに違いない。


 ――待って! このまま残って一緒に上杉を支えてください!


 そんな言葉が出ず、ただ一人黄泉岳に残った幼い桔梗の心は鬱屈とさせていく。


「なんで最後に残ったのが私なんだろってずっと思ってた。姉様ならきっと、みんな安心出来たはずなのにって。それで――」


 桔梗は前に流した自分の髪を握り、かつての椿の髪と同じ形にしてみる。

 姉の形見である髪紐で姉と同じ姿になることで投影することで自信を得ていた。

 そして今、髪紐を失ったことで真似が出来なくなっていた。


 ――なんか、他人に思えないな。


 ウジウジ、ジメジメとした雰囲気を醸し出し、自分で言いながら凹んでいく桔梗を見て、タケルは過去の自分を思い出す。

 なんだか他人事じゃないように思えて、つい共感してしまったくらいだ。


「こんなことばっかり考えちゃう私なんて、嫌い」

「わかりますよ。俺もそうだったから」

「え……?」


 虐められて反撃出来ない自分、見て見ぬ振りをする他人や周囲の環境を恨む自分。

 全ては自分のせいじゃないと思って、原因を周りに押しつけ、そんな陰湿な考えを持つ自分が嫌いだった。


「いつも虐められてて、こんな人生ずっとやり直したいと思ってました。もっと別の自分になりたいなんて毎日思ってました」

「君も? あんなに強いのに?」


 その言葉に苦笑する。

 弱かった自分を変えてくれたのは、自分を認めてくれる人がいたからだ。


「俺を認めてくれた人たちがいたんですよ」


 かつてずっと見守ってくれたエーデルワイスやグラド将軍を思い出し、タケルは柔らかく笑う。

 その笑みを見た桔梗は、少しだけ羨ましそうに呟く。


「君は、良い出会いをしたんだね」

「はい」


 たとえ最後がどうであっても、タケルにとってそれは自信を持ってうなずける出来事だった。



 その日の夕方――逢魔が時。

 タケルは桔梗の紐を探すために、山岳地帯の崖から飛び降りて、落ちたであろう場所を歩いていた。


「やっぱり、こんな山の中から一本の紐を見つけるなんて無理だよな……」


 泣いていた桔梗に申し訳なさを感じて探しに来たが、さすがに諦めの気持ちが出てくる。


「……俺の魂が禍々しく濁ってた、か。それに――」


 桔梗の事情を聞いた後、どうして攻撃をしてきたのかも語ってくれた。

 

『幽霊に憑かれたって言うのが嘘なのは、最初から分かってたの』

『だから魂を視て君を知ろうと思ったんだけど、途中で禍々しく濁った闇に襲われてね』

『危険を感じてつい……今思えば君が悪人じゃないことくらいちゃんと話せばわかったのに、ごめんなさい』 


 そう頭を下げる桔梗にタケルも謝罪を受け入れた。

 元を正せば、自分が嘘を吐いたことから始まったことで申しわけなさすら感じたくらいだ。


『特に怪我とかもしてないので、気にしないでください』

『……私も全力だったはずなんだけど、君は――』

『と、ところで、他になにかありませんでしたか⁉ たとえば、別の魂があったとか!』


 S級の中でもトップクラスのハンターの全力を相手に無傷。

 そんなあり得ない事態に疑問を覚える桔梗だが、その言葉を誤魔化すようにタケルは声を被せる。


『ううん。それはないよ。だって一つの身体に二つの魂が入ることなんて、“絶対”にありえないから』

『え? でも上杉さんは憑依させて戦うって……』

『憑依させられるのは力だけだよ。もし別の魂が入ったとしたら――』


 岩場の影などにないか探しながら、タケルは桔梗の言葉を思い出す。


「元の魂は追い出される、か。だとしたら尊の魂はどこかに……ん?」


 当初考えていた、身体の中に尊の魂があると思っていたタケルは、振り出しに戻ることに。

 どうするべきか悩んでいると、一匹のキツネがこちらを見ていることに気が付いた。


「キツネ? いや、それにしては妙な力を感じるけど」


 一瞬魔物か、と思っているとキツネはゆっくりと背を向けて歩き出す。

 敵意はなく、まるで付いてこいと言わんばかりの行動。

 これまでも異世界で知恵のある動物とは遭遇してきたこともあり、慣れた様子でタケルは追いかけていく。


「あれは……」


 しばらくすると、広い洞窟の前。

 キツネはそのまま近くの岩に飛び乗ると、そこに紐が挟まっているのが見えた。


 タケルは急いで石をどかして紐を手に取る。

 見上げると、キツネはドヤ顔。

 この紐まで案内してくれたのは間違いなかった。


「お前が見つけてくれてくれたんだな。ありがとう」

「お礼は身体で返してくれたらいいよー」

「そうか。なにしたらいいんだ?」


 驚かそうといきなり声をかけたのに、ごく自然に返されてキツネが逆に驚いた顔をする。


「……君、全然驚かないんだね」

「喋る動物を見るのは初めてじゃないからさ」

「そうだったとしても、驚くのが礼儀ってやつだよ。君はつまらない子だなぁ」

「うぐ……」


 タケルからすれば、動物が喋るくらいそんなに驚くことではなかった。

 ただつまらないと言われてちょっとグサっとメンタルが攻撃される。


「……それで、身体で返せって言うのは?」

「君、さっき女の子と一緒にいたでしょ」

「上杉さんのこと?」

「そうそう。その子のこと、守ってあげて欲しいんだ」


 冗談交じりのような声。 

 だがその瞳は真っ直ぐで、真剣な感情が伝わってくる。


「……わかった」

「ありがとう。しかし、ふふふ……」


 キツネはどこか嬉しそうに笑う。


「まさかここでウルトラ大当たりを引くとはねぇ。さすが私!」

「あの?」

「おっと、今のはこっちの話だから気にしないで。それじゃあ少年、桔梗ちゃんのことを頼んだよー」


 狐は微笑みながらそう言うと、洞窟の中へと消えて行く。


――あ、私のことは桔梗ちゃんには内緒でね。


 その言葉が空から響くと同時に、まるで幻術だったかのように周囲の空間が歪む。

 見た目はなにも変わらない殺風景な岩山だが、先ほどまでほんのわずか位相がずれていたことにタケルは気付く。

 

「……」

「あれ、草薙君……どうしてここに?」


 背後から紐のないままの桔梗が現れて、タケルを見て不思議な顔をする。

 すぐにタケルの手に桔梗の紐があることに気付いて、驚いた顔に変わった。

  

「もしかしてわざわざ探してくれてたの⁉ こんな時間まで⁉」

「あ、はい」

「う、うぅぅ……ありがとうー!」


 桔梗が感極まったように抱きついてきた。

 彼女は普段から人と付き合わずに山に籠もってきたため、距離感が少しバグっている。

 殺気もなかったため避ける事も出来ず、タケルはそのまま抱きつかれ、少し困惑する。


「本当に、本当に大切なものだったの! もう絶対に見つからないと思って諦めてたのに!」


 仰々しく感謝されるが、見つけたのはキツネのためタケルとしても感謝を受け取るのはやや気まずさがあった。

 とはいえ、桔梗には言うなと言われているのでとりあえず黙っておくしかないとも思う。


「見つかって良かったです。ところで、その……恥ずかしいから離れて貰いたいんですけど」

「え?」


 言われて初めて自分が異性に抱きついていることに気付いて、顔を赤くして離れる。


「……っ⁉ ご、ごめんね! 私ったらつい!」


 慌てて自分の髪を紐で結び、出会ったときのように年上のお姉さんを演じ始める。


「ふふ。草薙君、私に抱きつかれて嬉しかった?」

「さっきの今だと、恥ずかしさを誤魔化してるようにしか思えないですよ」

「うぐっ……」

 

 さすがに自覚があるのか、桔梗は若干気まずそうな顔で目をそらす。

そして拗ねたように口を開いた。


「君は少し、意地悪だ」

「そんなことありませんよ。それより、そろそろ日も暮れますし帰りませんか?」

「……うん。そうだね」


 タケルの言葉に桔梗はどこか遠くを見るように沈む太陽を見つめた。



 ――封印の地。

 椿は封印の儀式をする湖の中に歩いて行く。


「面白みのない子だったけど、あの子が傍にいるなら桔梗ちゃんはもう大丈夫だね」


 椿が封印の場所にある湖に進んでいき、その中央で止まる。


「それにしても、間に合って良かった」


 椿はずっと待っていた。

 自らの身を賭して封印し続けていた神が復活しても、対抗出来る力を持つ者を。

 桔梗が成長し、一人で生きていけるようになることを。


「思えば、貴方とも長い付き合いだねぇ」


 椿の視線の先、そこには封印された神が柱と同化してこちらを見下ろしていた。

 見る者が見れば恐怖に彩られるそれは、椿にとってもはや見慣れたもの。


『――――』

「ふふん、わかってないなぁ。私はこの日が来るのをずっと待ってたんだよ」

『――?』

「たとえ私の魂が消えても、貴方の望みはもう叶わない」

『――! ――――!』

「むりむり、むりでーす。だって桔梗ちゃんはもう一人じゃないもん」


 妹の安全を確信して、幽霊としての未練もなくなり、魂を削りながら封印を継続させていた椿は、笑顔で姿が湖に消えて行く。


「妹を守るのはお姉ちゃんの役目、だったんだけど……仕方ないか」


 一度振り返り、椿はタケルのことを思い浮かべる。


「あとは任せたよ……桔梗ちゃんを泣かしたら化けて出てやるからね」


そうして椿は闇に飲まれていく。

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