第25話 封印の地にて

 昼間の陽気な雰囲気とは一変し、陰気な雰囲気を放つ桔梗。

 彼女は手に持ったミニタオルで前を隠しつつ、タケルの入っている温泉に近づいてくる。


 ――やばい⁉


 頭ではこれが事故だということは分かっていた。

 しかし異世界でエーデルワイスに教育されてきたタケルは、たとえ事故でも女性の裸を見たら自分が怒られると判断。

 咄嗟に気配を消し、岩を背に隠れてしまう。


 チャポン、チャポンと岩の背後から近寄ってくる音が聞こえ、タケルの気まずい表情。

 そして丁度、岩を挟んでタケルの反対側に入った。


「ふぅ……」


 色気のあるため息。

 

「やっぱり人付き合いは苦手だよぉ……」

「でも頑張らないと……上杉は外の人を追い返す家だなんて思われたら、困るもんね」

「大丈夫。姉様だっていつも、やれば出来る子って褒めてくれてたもん……」

「でもなぁ……やっぱりなぁ……」


 温泉の中で淡々と、陰の気を放ちながらブツブツと独り言をつぶやき続ける桔梗。

 ポンコツっぽい雰囲気を出していて、声のトーン、それに言葉はとても昼間に陽キャを人の形にしたような女性とは思えない悩ましいものに、タケルが疑問に思う。


 ――なんか、昼間と雰囲気が……。


 一瞬、興味を持ってしまったことで気配がほんのわずかに漏れる。

 そしてポンコツでも戦闘能力が高い桔梗が、それに反応してしまう。


「だ、誰⁉」

「っ――⁉」


 まさかバレると思わなかったタケルも咄嗟に立ち上がるが、桔梗の動きの方が早かった。

 岩から回り込み、そして立ち上がったせいで全てをさらけ出した状態のタケルと、タオルを胸に当てて大事なところを隠した桔梗が互いに向かい合う。


「「……」」


 桔梗の視線が徐々にタケルの下半身に降りていき、瞠目しながら顔を赤らめる。

 そして無言のまま、あまりの衝撃に手に持ったタオルを落としてしまい、全身を露わにした。


「ぁ――きゃぁぁぁぁぁ⁉」


 全身を見られた桔梗はタオルを拾うとタケルの顔面に投げつけ、そのまま全力で逃げ出してしまう。

 顔をタオルで隠した状態のタケルは、無言で温泉に入り直した。




 翌日。


 式神にタケルが案内された一室では、正装に着替えた状態の桔梗が正座で待ち構えていた。

 部屋を覆う静謐な雰囲気。

 黙って大人しくしていれば神に仕える巫女と表現されそうな彼女は、タケルを見て柔らかく微笑んだ。


「やあタケル君、よく眠れたかい?」

「……」

「そんなにじっと見つめて……ああ」


 昨夜の桔梗の雰囲気との違いにやや困惑していると、不意に桔梗の瞳がニヤリと変わる。


「もしかして、昨夜の私の裸を思い出してるのかなぁ?」

「違います! あ、いやその、昨日はすみませんでした!」


 口元に手を当てて揶揄い混じりの視線を向ける桔梗にツッコミを入れつつ、昨日の件も素直に謝る。

 すると桔梗は昨日の態度は一体なんだったのかと思うわせるくらいあっけらかんと笑った。


「いいよいいよ。なんならこっちのミスだからね」


 そのミスの意味が分からず困惑していると、桔梗が改めて真剣な雰囲気に変わる。


「さて、冗談はこの辺にしておいて、君の言う幽霊について調べてみようか」

「……お願いします」

「目を閉じたら、まずは心臓の音を聞くことに集中して。次は、自分の魂が頭上から見下ろしているイメージを持つといい」


 タケルは桔梗の正面に座ると、桔梗の言うようにする。

 

 ――凄い集中力……。


 一瞬で自己の世界に入りこんだタケルを見て、桔梗が驚く。 

 もう何を言っても、今のタケルには聞こえないだろうとわかった。


「幽霊、か。神霊に仕える一族の私にその嘘は通じないんだけど……」


 霊を見ることが出来る桔梗は、タケルが霊に取り憑かれていないことは分かっていた。


「君のこと、少し調べさせて貰うよ」


 ゆっくりとタケルの肩に触れ、そのまま自分の額をタケルの額に合わせる。

 そしてタケルの魂に触れるため、彼の心の内部に入りこんだ。




「これが、彼の心象世界?」


 桔梗が降り立ったのは、星形の白い花――エーデルワイスが咲き誇る草原。

 それ以外何もない、タケルの心の内側。


「穏やかで、綺麗で、優しい世界だね。だけど……」


 歩みを進めながら、桔梗は表情を崩す。


「どうしてこんなに悲しい気持ちに――っ⁉」


 不意に、桔梗は背後からこれまで感じたことのないレベルのおぞましい殺意を感じた。

 桔梗は焦りながら腰の刀を抜き、咄嗟に振り返りながら大きく叫ぶ。


「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ! 我は毘沙門天の化身なり!」


 かつて毘沙門天の化身として戦国最強の軍神、越後の龍と呼ばれて猛威を振るった上杉謙信。

 その力と同じ神――毘沙門天を宿した桔梗は強力な魔力ブーストを身に纏って刀を切り上げる。


「はぁぁぁぁ!」


 黒い魔力を纏って振り下ろされた剣と、蒼白い魔力を纏った刀がぶつかり合い、暴風が草原を揺らす。

 剣を振り下ろしたのは、黒い靄のかかった首なしの男。


「なんておぞましい力――⁉」


 ――デテイケェェェェェ!!


「くっ――⁉」


 そんな思念とともにタケルの心象世界から追い出された桔梗は、大きく飛び退いてタケルを警戒したように睨む。


「……え?」


 なぜそんなことになったのか理解が出来ないタケルが困惑。

 その間にも桔梗はタケルを危険視し、出会い頭と違い本気でタケルを倒すことを決意する。


「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ!」

「なにを――⁉」

 

 桔梗を覆っている毘沙門天の力は、真言マントラを紡ぐ度に出力が上がる。

 刀を抜いて斬りかかってきた桔梗の一撃で、タケルは屋敷の外に飛ばされた。


「上杉さん、いったいなんのつもり――」

「君の力はあまりにも危険だ!」


 屋敷の中からタケルを見下ろす桔梗の瞳は、かつて家族と一族を滅ぼした仇敵を見るように、敵意を宿す。

 桔梗の尋常ではない雰囲気に、このままではヤバいとタケルは山の方へと逃げ出した。


「っ――!」

「逃がさない!」


 S級ハンターの中でもトップクラスの実力者である桔梗の動きは、草薙尊の肉体では分が悪いほどに強い。

 身体に制限のあるタケルは追いつかれてしまう。


 山中を駆け巡り、崖を飛び越え、空中でも攻撃の手を緩めない桔梗にタケルも躱すだけでは対応が難しく、プロテクトガードで守るが――。


「やば――!」


 プロテクトガードが斬り裂かれそうになり、咄嗟に飛び退いて躱すが追撃。

 プロテクトガードでは防げない桔梗の剣を止めるため、仕方なしに魔術で作り出した剣で応戦をし始める。


 ――この人、今まで見たどのハンターよりも強い!


 蛇川が同じランクとは思えないほどの実力に、タケルも手加減が出来なくなってしまう。


「はぁ!」

「すみません!」


 桔梗の一撃を受け止めたタケルは、追撃を抑えるために咄嗟に反撃に出る。


「『ウィンド』!」


 桔梗の胸に手を当てると、風の魔術を解き放って一気に吹き飛ばす。

 吹き飛ばされた桔梗は空中で体勢を整えているが、途中で風によって髪紐が外れてしまう。


「あ……」


 咄嗟に手を伸ばすが届かず、崖の下へと消えて行った。

 桔梗はその場で膝を突いて崖の下を見るが、もはや霧に紛れて見えない状況。


「あ、あの……」


 ようやく攻撃を止めてくれた桔梗にタケルが恐る恐る近づくと、桔梗が突然嘆き出す。


「あぁぁぁぁ!」

「っ――!」

「姉様の形見の髪紐なのにぃぃぃ! あれがないと私はぁぁぁぁ!」


 そして子どものようにぽろぽろと涙を零しながら、必死に崖に手を伸ばす桔梗。

 その奇行にタケルはビクっと反応しつつ、どうしようと困惑しつつ――。


「ご、ごめんなさい……」


 とにかく謝るのであった。



 

 

 ――同時刻 封印の地。


 山中の洞窟。

 その奥にある封印の地に、ライアーの使いで訪れた魔族が足を踏み入れていた。


「昔のダチが復活するから、迎えに行けなんてつまんねぇ命令かと思ったが……」


 魔族が洞窟を抜けると、広い空間と湖があった。

 湖の中心にそびえ立つ一本の柱。

 その柱と一体化した女性の上半身。

 まるで存在が石に封印されて女神像のようなそれは、黒い瘴気を宿していた。


「はっはー! こいつはすげぇ! マジでこの国ごと飲み込んじまうくらい醜悪で臭くて最高だぜ!」


 禍々しい瘴気を纏った神の悪意を見て、魔族が興奮したように声を上げる。


「お客さんかな?」

「あん?」


 唐突に、なにもない場所から一人の黒い女性が現れる。

 彼女はただ友達に伝えるように、気軽な雰囲気で言葉を発する。


「けどごめんね。ここは立ち入り禁止なんだ」

「はっ!」


 影は手を伸ばすと攻撃の意思を見せ、それに対して魔族は愉快そうに嗤う。


「こっちははるばる世界を超えて来てんだ! テメェが何者かは知らねぇが、せっかくだから俺様と遊ぼうぜぇぇぇ!」


 背中の大剣を引き抜きながら、魔族は女性に向かって飛び出し――。


「あ――?」


 あらゆる方向から飛び出した泥のような黒い影に飲まれて、そのまま圧縮されて潰れてしまう。


「だから言ったのに。立ち入り禁止だって」


 呆れたようにそう呟いた影の少女は、そのまま出てきた時同様、唐突に消える。

 残ったのは、柱と世界を覆い尽くそうとしているおぞましい瘴気だけだった。

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