第24話 怪物を越えた怪物
新潟県 霊峰
うっすらと霧が出て、触れれば切れてしまいそうな岩々しい崖と大地。
上杉桔梗に会うため、タケルと平等院はそんな険しい山岳地帯を歩いていた。
――妙に身体が軽いと思ったら……。
「ずいぶんと魔力が濃い場所だな」
「あぁ、やっぱりわかるんだ」
「ん?」
異世界ではほぼ無意識に魔力を纏って動くことがクセになっていたタケルは、現代世界よりも異世界寄りで濃い魔力のこの場所は動きやすさを感じていた。
普通なら気付かない差だが、平等院はさすがだと感心する。
そしてじっとタケルを見て、言って良いかほんの少しだけ悩んだあと、理由を説明する。
「この黄泉岳はね、
「龍穴?」
「ゲートとは別に、異世界と繋がってる場所のことだね」
その言葉にタケルが首を傾げると、平等院が説明をしてくれる。
「ゲートが開いたのが三十年前。だけど昔話でも妖怪や鬼って出てくるよね。あれは世界中にある龍穴から来てたって言われてるんだ」
二人は険しい山岳を、平坦な道を歩むように会話をしながら進んでいく。
「それって、ゲームや漫画の話じゃないのか?」
「だとしたら、現代まで伝わってる姿形が似過ぎてると思わないかい?」
――それは俺も異世界で魔物を見たとき思ったけど……。
『ゴ、ゴブリンだ!』
『ゴブリンですね』
『オーガだ!』
『オーガですね』
『あれは……ドラゴンだ!』
『に、逃げますよー!』
ゴブリンやオーガであれば余裕のあったエーデルワイスも、ドラゴンには焦るなど、昔のやり取りを思い出す。
実際に異世界に行ったタケルは、ゲームや漫画で知った魔物の見た目と名前の一致が多く、疑問に思ったことがあった。
それも、遙か昔からこの世界と異世界に繋がりがあり、そのとき名付けられたものを使われていたとしたら、合点がいくものだ。
「色々と危ないからさ、龍穴の存在はS級ハンターや一部の名家だけの秘密なんだ」
「……ふーん」
笑顔で歩きながら、さらっと守秘義務の話を語る平等院。
本来A級ハンターの平等院も知っていていい情報ではないが、平等院家は千年続く槍の名家ということもあり知っていた。
しばらく山岳地帯を歩きながら、タケルは途中で足を止めて平等院の肩に手を置く。
「なんで言った?」
「だって君は桜蘭会の特別名誉会員だからね!」
余計な情報を教えやがって、と恨み節のタケル。
ケラケラと笑いながら言い切る平等院に対し、タケルはいつの間にそんなことになったと頭を抱えるのであった。
「迷い込んだ魔物がいるなら、退治し、守る人も存在する――日本で有名なのは安倍晴明とか陰陽師だけど――」
二人は行き止まりに辿り着き、立ち塞がる崖をごく自然な動作でよじ登る。
「上杉家もそんな、古来より日本を守護してきた一族だったんだ」
「だった?」
過去形の言葉にタケルが疑問を覚える。
「十年前、この黄泉岳に現れた魔物によって壊滅したのさ」
崖をよじ登ったあと、平等院が振り返り黄泉岳を見渡すと、巨大な山脈の一部が不自然に削り取られ、激しい戦闘の傷跡が残っている。
荘厳な雰囲気さえ漂った、幻想的なそこは美しさと同時に恐ろしさがあった。
「……その魔物はどうなったんだ?」
「上杉家当主だった上杉桔梗の姉、上杉椿が命を代償に封印したらしい」
「そうか……」
「結局、上杉家で生き残ったのは桔梗さんただ一人。彼女はずっと、この山で姉が残した封印を守り続けてるんだ」
かつてタケルが体験した、異世界での魔族と人間の戦争。
山岳地帯が戦場となり、現れた巨大な大魔獣を相手に人間の騎士や冒険者が挑み、そして多くの死者を出した。
削れた山の景色、多くの死者を出したこと。
かつての過去と重なり、タケルは少し感傷的になる。
「そういえば、上杉桔梗ってどんな人なんだ? 雑誌を見る限り、凜として静かな雰囲気だけど……」
「は?」
「ん?」
タケルの言葉に、平等院が顔を引き攣らせて変な声を出す。
「凜とした? 静か? ……あの人が?」
普段の彼らしくない態度に、タケルが疑問に思っていると平等院が両肩を掴んで、なにかに訴えかけるように真剣な表情で口を開く。
「いいかい草薙君。家の繋がりで子どもの頃から交流があった僕はねぇ、彼女のことをよく知っている。ああそうさ、散々虐められてきたんだ! あれは鬼……いや、そんな可愛らしいものじゃないね! 鬼も裸足で逃げ出す怪物さ!」
熱弁し始める平等院の話を聞いていると、タケルはふいに頭上より気配を感じた。
「たしかに昔は大人しい感じだったよ! だけどあの事件を切っ掛けに彼女は変わって――」
「平等院、上だ!」
「え――っ⁉」
頭上より落ちてきた女性――上杉桔梗が手に持った木刀で平等院に襲いかかる。
平等院はそれを槍で受け止め、跳ね返した。
「お、良い反応だ」
桔梗は先に気付いたタケルに少し驚いた後、まるで羽根が生えているかのように軽やかに飛び退く。
「貴方は――!」
襲撃者が桔梗であることに驚く平等院。
「今のを防げるなら、もう少し速くしても大丈夫だね!」
着地と同時に楽しそうに笑いながら桔梗が再び迫る。
「ぐっ! 重っ⁉」
「女の子に重いとは無礼千万! デリカシーがないから減点だ!」
ふざけた言動とは裏腹に、嵐のように凄まじい剣戟は圧倒的で、武術に長けた平等院ですらギリギリ防ぐのが精一杯。
このままではやられるだけだと、無理矢理反撃に出ようとする。
「うおぉぉぉぉ!」
「お、これも反撃出来るんだ。ちゃんと鍛錬積んでるみたいで偉い偉い……ところで――」
力ずくで木刀を弾き、連続で突きを放つ。
しかしそれは軽く木刀で捌かれ、届かない。
桔梗は薄く笑うと、平等院の槍をコマのように回って避けて彼に囁く。
「誰が鬼も裸足で逃げ出す怪物だって?」
「げ⁉ いやそれは――」
「問答無用!」
「がはっ⁉」
勢い良く木刀で平等院を崖に叩きつけると、彼はその一撃で気絶してしまった。
「強い」
――殺気がないから手は出さなかったけど……あの平等院を子ども扱いか。
平等院の槍の技量はタケルも認めるところだったが、あっさり倒してしまった女性にタケルは思わず呟く。
タケルは我関せずのつもりでいたが、平等院を気絶させた桔梗は、そのままタケルに振り向くと木刀を向けてきた。
「さて、次は君だよ」
「……え?」
「ここから先へ進みたいなら、実力を見せて貰おうか!」
「ちょ、俺は――⁉」
迫る桔梗の木刀を躱す。
「へぇ……」
自分の攻撃を躱され、桔梗が興味深そうな気配を見せる。
距離を取ったタケルは警戒した様子で見つめると、桔梗は笑顔を見せてきた。
「君、やるね。並のハンターなら今ので終わるんだけど……」
桔梗はジロジロとタケルを見て、うんうん唸る。
「うーん……これくらい、かな?」
先ほどより遙かに早い動きで間合いを詰めた。
「っ――」
そのままタケルとの攻防。
武器を持っていないタケルは腕を魔力で強化して、桔梗の剣を二度、三度と受け流す。
武術の達人のような動き。
桔梗はタケルの視線がぶれずに自分を見つめていることに気づき、経験の深さを感じる。
――見たことないけど、この子……。
桔梗が考え事をした瞬間、その隙を見逃すことのないタケルが反撃。
踏み込み、拳で殴ろうとする。
「甘い」
桔梗も余裕をもって、迫るタケルの腕に木刀を巻き付けると、上に弾く。
態勢を崩されたタケルの胸が開く。
「っ――⁉」
その勢いで両手に持ち替えた桔梗が上段の構えで笑うと、 木刀が幻影のように波揺れてぶれる。
「秘剣“
体勢を崩され、揺れながら振り下ろされた木刀は受け流せない。
躱しきれないと理解したタケルの判断は早かった。
両腕で防御に徹し、衝撃が走る。
魔力を通した木刀であっても、桔梗の一撃に耐えきれず、折れてしまう。
タケルは宙に浮いた剣先を掴むと、それで桔梗に反撃しようとした瞬間――。
――オン・ベイシラマン……。
桔梗が小さく
「っ――⁉」
桔梗から強烈なプレッシャーを感じたタケルが大きく飛び退く。
――今のは……?
「っと、危ない危ない。このままじゃ私が本気になっちゃいそうだから、これでおしまい!」
木刀から手を離し、あっけらかんとした様子。
先ほど感じたプレッシャーも無くなり、明るい雰囲気の桔梗がそこに残るだけだった。
「……」
警戒したタケルに対して桔梗が笑う。
「そう警戒しないでよ。試験は終わりだからさー」
「試験?」
「ここは龍穴を宿した霊峰、黄泉岳。弱いハンターが迷い込んだら死んじゃうからねぇ」
快活な雰囲気から一変、桔梗は怪談話をするようなおどろおどろしい雰囲気で語る。
タケルを怯えさせてやろうと、怖い目で嗤う。
「入る資格があるか試してるんだよ」
もっともそんなことでタケルが怯えるはずもなく、リュックから上杉桔梗様宛と書かれた三つ折りの紙を取り出すと、桔梗に手渡す。
「あの、これ……」
「ん、なになに……?」
桔梗は渡された手紙を開く。
『彼はこれまで出会ったハンターより強いから、黄泉岳もへっちゃらさ!』
――もちろん桔梗さんより強いよ! と平等院が煽るようなイラスト。
紹介状を見た桔梗は、しばらく黙り込む。
「……ふーん」
それだけ言うと桔梗は無言で倒れた平等院に近づき――。
「てい」
「ギャッ――⁉」
折れた木刀でツッコミを入れてトドメを刺した。
気絶した平等院は、でっぷりした羊型の式神に乗せられ運ばれている。
高所により霧が揺らめく黄泉岳を歩きながら、タケルと桔梗は会話をしていた。
「じゃあ君、ハンターじゃないんだ」
「一般人です」
「一般人、ねぇ……」
疑いの眼差しでジロジロと見つめてくる桔梗だが、タケルは堂々としたものだ。
「まあいっか。それでどうして私に会いに来たのかな?」
まだこの時点で桔梗のことを信用し切れていないタケルは、一先ず誤魔化しながら相談をすることにした。
「実は俺、幽霊に取り憑かれてるんです」
「ほうほう」
「しかも記憶喪失」
「やっぱり一般人じゃないよねそれ!」
桔梗は笑いながらツッコミをいれてくる。
――そりゃそういう反応になるよな。
タケルは自分でもツッコミ所が多すぎると思った。
「記憶がないのに幽霊の力が入りこんできて、こんな力を手に入れてしまったんですよ。でも俺は普通に戻りたくて……」
タケルは持ってきていた雑誌を見せる。
「英霊を憑依させて戦う上杉さんなら、なにかわかるかと思ったんです」
「あー、なるほどねぇ」
桔梗は雑誌を見て若干困った顔をする。
「本当はちょっと違うんだけど……まあいいや。ところで――」
一度足を止め、桔梗は真剣な瞳でタケルを見る。
「その幽霊は、本当に祓ってもいいものなんだね?」
「はい、大丈夫です」
意味深に尋ねてくる桔梗に、タケルは自分の存在は残るべきじゃないと思っているため躊躇なく頷いた。
「事情はわかった。詳しい話は――」
自慢するように桔梗が振り向く。
そうして霧が晴れていき、ひらけた視界の先には和風の屋敷が存在した。
「屋敷で聞かせて貰うね」
「す、凄い歓迎だった……」
案内された露天温泉に浸かるタケル。
ぐったりしながら屋敷に着いたときのことを思い出していた。
――客人じゃぁぁぁぁ!
――おぉぉぉぉ! お嬢様が若い男を連れてきたぞー!
――久しぶりの歓待! 皆の者であえであえー!
本当に久しぶりの客人に、屋敷に仕えている使用人のおばちゃん達が我先に見るのだと迫ってくる。
その姿にタケルも圧倒され、気絶している平等院はまるで若さを吸う老サキュバスのような使用人達に持ち運ばれていく。
――これじゃあゆっくり聞けないし、話はまた明日にしよっか。
色々準備があるから、ゆっくりしてねー、と桔梗は離れ、タケルは鼻息荒い使用人たちから高級旅館のような接待を受ける。
そして今は食事を終え、そのまま温泉を勧められたので、ゆっくりしているところだった。
「そういえば昔、エーデルワイスが入ってるところに……」
一瞬過去にエーデルワイスが温泉に入っているところに乱入してしまったことを思い出しかけ、クビを横に振る。
「いや、忘れるって約束したんだから思い出さないようにしないと……」
記憶消去(物理)を思い出し、表情を引き攣らせていると、扉が開く。
――平等院が起きたのか?
それにしては静かに入ってきた、と思ってそちらを見ると、そこには髪を下ろした状態で“裸”の桔梗がいた。
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