第20話 無理は禁物
ぎりぎりのところでテュポーンから脱出し、九死に一生を得たエキドナは地面に着地。
しかし躱しきれずに全身火傷で黒焦げの状態でダメージも大きく、息は荒い。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ⁉」
エキドナが顔を上げると、タケルがゆっくり近づいて来るのが見えた。
怯えた様子で後退りながら歪んだ空を見上げると、
「そんな……ただの人間が、世界の壁を切り裂いたというの?」
それはすぐに修復されるように閉じていき、元の空に戻る。
「あり得ない……だとしたらやっぱり予言は本当に……」
「……予言?」
エキドナの言葉にタケルは足を止める。
予言と言う単語が妙に引っかかったのだ。
すでに抵抗できる力のないエキドナは、それが唯一の突破口だとでも思ったのか、矢継ぎ早に話し出す。
「そ、そうよ! 貴方、その力は予言にもあった――」
言葉を紡ごうとした瞬間、ドス、という鈍い音とともにエキドナの言葉が止まる。
「……ぇ?」
エキドナが視線を下げると、背中から心臓を貫く黒い剣。
彼女が力なく振り向くと、そこにはいつの間にか全身を黒い鎧で纏った騎士がいた。
「っ――⁉」
突然現れた敵の存在にタケルも驚く中、黒騎士は無言で佇みながら剣を引き抜く。
コヒュっと空気の抜けた音とともに逆流した血が地面に流れた。
「ぇ? ぁ……」
自分が死ぬのがわかったエキドナは、思わず倒れている蛇川を見る。
最初は利用するだけのつもりで近づいた男。
蛇川もそのことは理解しており、お互い利用し合うだけの関係――だったはず。
――なのにどうして、そんな顔してるのかしら?
タケルによって倒されて身体の動けない蛇川は、這いつくばりながら手を伸ばし、必死の形相を見せていた。
もう声すら聞こえないエキドナは、必死に叫ぶ蛇川がどこか愛おしく想い、ふらふらと足取りがおぼつかないまま歩く。
――そういえば、もう十年も一緒だったものね……情の一つくらいは当然、か。
流れる血を抑えるように心臓に手を、涙を浮かべ、視界が歪も蛇川の姿すらほぼ見えないでいた。
――お互い居場所がなくて、傷をなめ合うだけの関係だと思ってたけど……。
何度も逆流する血液を吐きながら、ようやく辿り着き――言葉が出ず、力なく膝から崩れ落ちる。
「じ、ん……あなたとの、ひびは……」
「おいエキドナ! 今ならまだ――!」
目の前でしか聞こえないほどか細い声。
――あぁ、だめ……もう言葉がなにも出てこないわ。
必死に声を荒げる蛇川の顔に手を当てると、弱々しくも這い寄るように近づき、そして最後の力を振り絞ってキスをした。
せめて、この人だけは自分と同じようにならないように――。
――もっと、一緒に……。
「エキドナ? おい待てよ⁉」
涙を零しながら笑顔を見せて、エキドナの瞳から光が消え、そのまま死に絶える。
「……っ!」
蛇川は一度顔を伏せ、そしてエキドナを殺した黒騎士を睨むために顔を上げる。
「テメェ! 絶対にぶっ殺して――」
「やほー」
「……は?」
すぐ目の前に小さな少女――スクナがしゃがみこみ、嗤っていた。
あまりに予想外な光景に、蛇川は一瞬身体が硬直する。
そんな蛇川に向けて、スクナは拳を振り上げて――。
「どかーん!」
「がっ――⁉」
蛇川は顔面を殴られて、凄まじい勢いで飛んでいく。
死んではいないが、元々ダメージも溜まっていたこともあり、意識は完全に吹き飛んでしまう。
「おおー、これでまだ壊れないなんて結構頑丈だー」
あははー、と飛んでいった蛇川がおかしいと言わんばかりに嗤っていると、彼女の背後が歪む。
そこから顔を半分仮面で覆った道化師のような細身の魔族が現れると、スクナの首根っこを掴んだ。
――っ⁉ 三人目だと⁉
道化師は一瞬、タケルを見て嗤うと、そのまま視線を逸らしてテレビに出てくる体操のお兄さんのような雰囲気でスクナに話しかける。
「スクナちゃーん、勝手に行っちゃ駄目だって言ったでしょ?」
「あ、ライアー。遅かったじゃん」
「私が遅いんじゃなくて、君らが早いんだって。というかさ、なにかあったら姫様に怒られるの全部私なんだから、黒騎士君も止めてくださいよ」
「……」
「クロちゃんは喋れないんだから、そんなこと言われても困るよねー」
「そもそもスクナちゃんのせいなんだけどねー」
ふざけた様子で出てきた仮面の道化師――ライアーは子どもに振り回される苦労人、といった風にスクナたちと楽しそうに会話をする。
荒廃した大地で、多くの魔物が死に絶えた場所とは思えないやりとりは、とても異質な光景だった。
「お前たちは、なんなんだ?」
タケルの問いかけに、三人は一斉に視線を向ける。
「おっとこれはこれは……失礼しました」
ライアーがにっこりと笑い、スクナを地面に降ろすと丁寧にお辞儀をする。
「私はライアー、この子がスクナで、こっちが……」
「……」
「喋れないので、黒騎士君とでも呼んであげてください」
にっこりと、まるでタケルのことをもてなすべき客だとでも言わんばかりの、友好的な態度。
だからこそ、どこか歪で危険な相手だと本能的に気付く。
――こいつらは危険だ。だけど、これ以上は尊の身体が……!
それぞれ単体がテュポーン以上の力を持った魔族の登場に、タケルも焦りを感じずにいられない。
万全の状態であればともかく、連戦に次ぐ連戦、さらにテュポーン戦で『草薙尊』の身体に無理を強いてしまっていた。
震える手を見ながら自問自答していると、ライアーが一歩前に出てくる。
「ああ、そう警戒しないで下さい」
――あのときのお兄ちゃんだー!
ライアーの横では、瞳をキラキラさせながらタケルを指すスクナ。
その様子を無言で見下ろす黒騎士。
「今日は我々、そこの裏切り者を始末しに来ただけで」
――よーし、やるぞー。やっちゃうぞー!
説明するライアー。
腕をぐるぐると回して、やる気満々のスクナ。
その様子を無言で見下ろす黒騎士。
「戦いに来たわけでは――」
「お兄ちゃん、あっそぼー!」
ライアーの言葉の途中で飛び出したスクナが、マリオネットのようにヒモで絡み取られて空中で身動きと封じられる。
「ありませんから」
「あっれぇ……?」
「って、何度も説明したよねスクナちゃーん?」
「むぅ……」
空中でバタバタと抵抗するスクナだが、力でどうにも出来ないと分かると諦めて大人しくなる。
そんな彼女を黒騎士に預けながら、ライアーは倒れたエキドナの心臓に手を伸ばし、逃げようとしている小さな黒い泥の魔物を抜き取った。
「あとはまあ、盗まれていたこれの回収ですね」
ライアーが握った瞬間、バタバタとしていた泥の魔物は指でつまめる程度の黒いキューブに変貌する。
「おい、それはなんだ?」
「企業秘密、ですよ」
白いハンカチで包むと、手品のようにキューブは消えてしまう。
馬鹿にしたような雰囲気だが、簡単には手出しできない相手だということもわかり、タケルも行動が制限されていた。
「さてさて、それでは目的も達成しましたし、我々もお暇しましょうか」
「えー! せっかくまた会えたのにー! だってお姉ちゃんの言ってたよげ――」
「スクナちゃーん。帰ったらお菓子上げるから黙ってようねー」
「あい!」
ふざけた様子で再びゲートを生み出し、去ろうとする三人。
雷を宿した手を、そんな三人を睨むタケル。
「逃がすと思うか?」
「はい。だって貴方、とても疲れていますよね」
逃げるのでは無く、見逃すのだと。
そう言わんばかりに三人は禍々しいオーラを解き放ちながら、ライアーは余裕のある笑みを、スクナは無邪気な笑みを、黒騎士はただじっとタケルを見る。
対するタケルも暴力的な雰囲気を宿しながら、三人を睨む。
「とても素晴らしい力ですが、その状態で我々三人を相手取れると思うのは、少々傲慢かと」
「……」
――こいつ……。
ライアーの言う通り、すでに大量の魔力を使っていることの反動で、この三人を相手に勝ちきれる可能性は低かった。
それに相手は草薙尊の身体が弱っていることを見抜いている。
「お互い無理は止めましょう。時が来れば、いずれまたお会い出来ますから」
「それじゃあお兄ちゃん、まったねー!」
「……」
そうして三人はゲートを通り、消えてしまう。
残ったのは気絶した蛇川と、死体となったエキドナ、そしてタケルだけ。
しばらく周囲を警戒していたタケルだが、三人が本当に消えたのを確認して、脅威は去ったと少しだけ力を抜く。
――魔族……。
タケルはエキドナの死体を見て、小さく呟く。
かつて魔王軍として敵対し、タケルを苦しめた敵の存在。
「……やっぱりここは、あの世界なのか?」
なんとなく、哀愁漂う雰囲気でタケルが空を見上げる。
自分を変えてくれ、自分を裏切った異世界に対して、複雑な表情を浮かべながら……。
多くの死者を生み出し、未曾有の被害をもたらした大量のゲート発生事件。
その首謀者がS級ギルド『ウロボロス』の蛇川だと判明し、ハンター協会はすぐに彼を捕らえた。
両手に手錠を付けられた蛇川が、パトカーで運ばれる。
力なく窓の外を見ながら、タケルのことを思い出していた。
『俺のことは誰にも言うなよ』
店のソファで、強烈な殺気とともに身震いするほどの力を見せつけられ、脅された。
脅しに屈するような性格はしていないが、エキドナを失い再起するような気力もなく、蛇川はただ力なく頷くだけ。
――ハンターの資格は剥奪。ウロボロスは解体、か。
「はい、蛇川は依然として暴れる様子もなく――」
警官が無線で話す中、ただボーとしていた。
――お前と作り上げたもの、全部終わっちまったぜ。なにもかもな……。
このあとはハンター協会に連れて行かれ、尋問されるのだろう。
S級としてその暗部にまで触れてきた彼にとって、ハンター協会がただの慈善業でないことは理解していた。
同時に、このあとに待っているであろう地獄も。
それでも、抵抗しようという気力はない。
なぜなら彼にとって、モチベーションのすべては一つに集約される。
「なあ、エキドナ。居場所を作るって、大変すぎねぇ?」
自分やエキドナみたいな逸れ者たちが堂々と出来る場所を作る。
そのために既存のギルドを含め、一度全てを壊そうとした。
だがそれも――。
「――っ⁉」
突如、パトカーがひっくり返る。
「な、何事だ――⁉」
警察と同行していたハンターが慌てた様子で外に出る。
蛇川は動かずにいると、外から悲鳴が聞こえてきた。
「お、お前たちは――⁉」
「ぐわぁぁぁ⁉」
少しして、静寂とともに蛇川がパトカーから引っ張り出される。
「ようマスター。しけた面してんじゃねえか」
「貴方のせいで、我々もお尋ね者ですよ。ええ」
そこに居たのは、島と八潮、そしてウロボロスの面々だった。
彼らはハンターと警察を倒すと、アジトから回収した蛇川の杖を投げ渡す。
「テメェら、なんのつもりだ?」
杖を受け取った蛇川は、二人を睨む。
「姉さんが殺されたんだろ? だったら仇も討たねぇとなぁ」
「この馬鹿と同じ意見なのは癪ですが、ええ。まさにその通りなので仕方ありません。ええ」
二人の後ろには、かつて自分が集めた居場所のない馬鹿共。
彼らは一様に笑い、まるで悪さを楽しむ子供のようだ。
――こいつら、マジで馬鹿だ。
「おい八潮、テメェがついてながらなにやってんだ?」
「ははは、私一人でこの馬鹿たちを止められるわけないでしょ。マスターがいないと好き放題するのばっかりなんですから」
放っておいたら本当にただの犯罪者集団になってしまうだろう。
しかも暴れるだけ暴れて、簡単に捕まってしまうタイプの脳筋ばかり。
「俺より弱いやつの言うこととか聞く気ねぇからなぁ!」
「誰が島より弱いですって? ぶっ殺しますよ」
「あぁん⁉ やってみろや!」
その場で喧嘩を始めようとするウロボロスの面々。
馬鹿ばかりで、そんなやつらだからこそ、蛇川は自分が頭になって力の使い場所を与えてやったのだ。
――エキドナ。
エキドナもその一人だった。
偉そうにしながら、いつもなにかに怯え、そして味方を利用しようとする弱い女。
だから蛇川は対等のパートナーとして、自分が作ったギルドに勧誘したのだ。
騒がしいウロボロスを思い出し、わずかに残っていた蛇川の心の炎が灯り始める。
「おい、お前ら……」
「「……」」
蛇川の一言で、まるで統率された軍隊のように動きを止める面々。
その目は、腐っていながらも真っ直ぐだった。
呆れながら、先日現れた黒騎士たちやタケルの強さを思い出す。
「死ぬぞ」
「はっ、アンタたちに拾われなかったらチンピラとして死んでただけの命だ」
「ええ。それに我々のリーダーは貴方だけですので。どうせならすべてひっくり返して、また良い思いでもさせてくださいよ」
「馬鹿どもが……」
元々、行き場のない男たち。
それを拾っていったのはエキドナの力を得た蛇川で、そうして出来たのがウロボロスだった。
かつてエキドナとともに辿ってきた道を思い出し、蛇川の瞳に光が宿る。
「行くぞ。俺らに舐めた真似してくれたクソどもは、絶対ぶっ殺す」
「おうよ」
「ええ」
そうして三人は闇に消える。
ニュースでは蛇川たちが逃走したと報道されるが、彼らの姿を見たという者は現れなかった。
タケルは両親が無事退院したため、一緒に外に出ると夏の強い日差しを感じる。
暑そうにしながら、それでも仲良さそうにしている両親を優しく見ながら、タケルは呟いた。
「もうすぐ、夏休みだな」
~ウロボロス編 完~
―――――――――――――――――――――――
【あとがき】
これにて最初の章でもあるウロボロス編が完結です!
とはいえ、物語はここから大きく動いていきます。
大和猛と草薙尊の謎、魔族達の存在、そしてハンター協会など、多くの思惑が絡み合いながら進んでいく本作、ぜひともお楽しみに!
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