第9話 通りすがりの 前編

 ゲートを潜ると、そこは広大な森の中だった。

 大木が並んでいるせいか、それとも巨大な魔物が普段から闊歩しているからか、木々は密集しておらず、人が余裕で歩くことのできる道が出来ている。

 小鳥のさえずりがないのは、この魔物がいる森で弱い生物は生き抜くことが出来ないからだろう。


「似てるな……」


 ゲートの奥が異世界に繋がっているのは知っていたが、本当にタケルが過去にいた異世界に空気が似ていた。

 もしかしたら本当にあの世界なのかもしれないと思う。


「もしここがあの世界なら……」


 一瞬、自分が死んだあと、エーデルワイスがどうなったのかが気になった。

 大勢の衆人環視の中、唯一タケルの味方をしたことで、もしかしたら反逆罪に問われたり――。


「いや、エーデルワイスなら大丈夫か……」


 人々が笑顔になるために聖女という重荷を背負い、戦ってきた彼女の心の強さは本物だった。

 それにタケルは、彼女がどれだけ人々のために身を挺してきたかも知っている。

 自分がボロボロになっても魔族や魔物から民を守り抜き、そんな彼女に希望の光を見て付いて行く人たちの姿も知っている。


 だからきっと、もしエーデルワイスになにかあっても、彼女を助けてくれる人々がいるはずだ。


 処刑のときは取り乱していたが、彼女ならきっと乗り越えて、今も元気に人々を笑顔にしていることだろう。


「……急ごう」


 過去を振り払い、タケルは前を向くと、並みのハンターよりもずっと早い動きで森を走り出した。


 これまでは誰かの視線があるかもしれないため力をセーブしていたが、ここでは抑える必要がない。

 いつも以上にキレのある動きで進んでいくと、ゴブリンやオーガといった魔物たちがいる。明らかに力任せに破壊され、折れている大木。


「あっちか」


 木が折られている方向に進むと、足跡があった。

 かなり大きく、オーガ程度の魔物でないことがわかる


『――』


 僅かだが、魔物の雄叫びが聞こえてきた。同時に、森の木々が折られる音も。

 木に飛び乗り、声の方を見る。


「いた」


 四メートルはありそうな巨大な身体に一つ目の魔物は、タケルの知識に間違いがなければサイクロプスという魔物だ。

 純粋な種として、鬼の魔物の中でも最上位に位置し、捕らえた得物が壊れるまで遊ぶ、残虐な性格をしていた。


 先日現れたブラッディオーガと同格で、並みのハンターでは対抗できない強さであり、ウィングガードの面々では勝てる相手ではない。


 そしてサイクロプスが追いかけている先には、ウィングガードのシーフ、白井知佳。

 素早い動きでなんとかサイクロプスの棍棒を躱しているが、ずっと逃げていたからか、動きに繊細さが欠けていた。

 このままでは攻撃を食らうのは時間の問題だろう。


「間に合った」


 それだけ呟き、タケルは足に力を入れて、一気に飛び出した。

 



 サイクロプスの攻撃に耐えられず大怪我をした賀東たちを守るため、囮になってからかなりの時間が経った。

 仲間を逃がすため、サイクロプスから付かず離れずの位置で攻撃を避け続けていた知佳だが、体力の限界は近い。


「はあ、はあ、はあ……っ!」


 棍棒の横薙ぎから発生した風圧に、一瞬背中を押されて前のめりになる。

 同時に聞こえてきたのは、もう何度も聞いた巨大な大木が薙ぎ倒される音。


「はあ、はあ、はあ!」


 サイクロプスは身体の大きさに対して鈍重だ。

 最初の頃であれば、振り切ることも難しくはなかっただろう。

 だがしかし、一撃でも受ければ死んでしまうような攻撃を避け続けるというのは、極限まで精神と体力を削る。

 もはや今の彼女に、サイクロプスを引き離す力は残っていなかった。


「きゃっ――⁉」


 上から棍棒を振り下ろすと、地面に当たった瞬間大地が揺れる。

 すでに体力も限界にきており、足元がふらつきながら走っていたせいで踏ん張りがきかず、地面に滑るように転がった。

 慌てて立ち上がろうとするが、彼女の身体全体を覆うように影が広がり――。


「あ……」

『グオオオオオオーーッ⁉』


 自分の身体よりも太いその腕から伸びる巨大な棍棒が、振り上げられていた。


 ――死ぬ。


 彼女がそう確信した瞬間、黒い影が間に入る。


 木を踏み込み、一気に知佳の前に飛び出したタケルが、サイクロプスの前に到着する。

 そして棍棒が突然弾かれるように上に跳ね上がり、サイクロプスがのけ反ったと思うと、ほぼ同時に巨大な身体が吹き飛んだ。


「……え?」


 突然の事態に驚く知佳。

 空を舞うサイクロプス。

 そして何事もなく立つタケル。


「大丈夫ですか?」

「あ……えっと」


 フード付パーカーに普通のパンツ。

 まるで近所を散歩するような恰好は、危険なゲートの内部においてあり得ないほど違和感を与えてくる。

 だというのに、その立ち姿はあまりにも自然で、知佳は言葉が出ずに詰まってしまっていた。


 タケルは知佳の身体を見て、もし怪我をしていれば治そうと思ったが、攻撃を受けた跡はなかった。

 ただ汚れはかなり酷く、憔悴している様子。

 どうやらサイクロプスの攻撃は避け続けていたらしいが、限界が近かったらしい。


「……大丈夫そうですね」


 それだけ言うとタケルは怒りで迫って来るサイクロプスの方を向いて、悠々と歩く。

 横から薙ぐように棍棒が勢いよく迫り――。


「ゴアアァァァ!」

「危ない! 逃げて!」

 

 思い出すのは、パーティーを崩壊させた巨人の一撃。

 いつもはみんなを守ってくれる巨大な盾を持った賀東が、たった一撃で盾ごと破壊されて戦闘不能にさせられたものだ。

 その光景がフラッシュバックした知佳は、今歩いている少年の未来もそうなるのではないかと思い、声を上げる。


 しかし、知佳が想像していた未来とは、大きく異なる光景が広がった。


「え?」


 サイクロプスが振り回した棍棒が、あっさり片手で止められたのだ。

 必死にそれを動かそうと鬼の形相となるが、全く動かない。

 対してタケルは涼し気な表情。


「なにそれ……」


 力自慢の賀東が吹き飛ばされ、仲間たちの攻撃は通用せず、自分が囮になってなんとか逃がすことの出来た相手だ。

 それがまるで赤子の手を捻るようにあっさりと受け止める少年の姿に、驚きを隠せなかった。


「……フリーズ」


 たった一言、タケルがつぶやく。

 フリーズはちょっと魔術が使える人なら、誰でも使えるような弱い魔術。


「そのはず、よね?」


 一瞬、知佳の頬に冷たい風が流れ、ひんやりとした。

 そう思った瞬間、サイクロプスの棍棒が白い冷気を生み出し、その冷気は徐々に巨躯へと伝導していく。

 サイクロプスは慌てて棍棒を離そうとするが、そう思った時にはすでに棍棒と手が凍り、全身が震えだし、そして内側から全身が凍りだす。


『ガ、ア、ア……』


 サイクロプスは抵抗しようとするが、凍るペースは下がる気配がない。

 ほんのわずかな時間で全身が凍り、その動きを止めてしまった。


「……」


 タケルが氷像となったサイクロプスに触れた瞬間、氷はまるでそうなることが自然な形のように、粉々に砕け散り、風に乗って消えていく。

 それは知佳が見てきたどんな魔術よりも美しいものだった。



 ――ここからどうしよう……。


 考えなしにゲートに入ったとはいえ、こうしてボスと思わしき魔物を倒したことで、目的は達成したと言ってもいいだろう。


「怪我はないですよね?」

「え? あ、ええ……大丈夫よ。ところで貴方は……?」

「通りすがりの者です」

「通りすがりって……」


 なにも間違ったことは言っていない。 

 実際タケルはランニングの途中に、公園の近くを通っただけなのだ。


「君、さっきゲートに入る前に会った子よね?」

「……」


 タケルはそっと顔を逸らす。

 元々フードで顔は隠れているため、そんなことをしても意味がないのだが、反射的にそうしてしまった。


 タケルが正体を隠そうとしているのはわかる。

 だがあまりにもバレバレ過ぎたため、知佳も若干気まずそうだ。


「顔隠してるけど、服も一緒だし」

「……よく見てますね」

「シーフの役割は探索、索敵が主だから……周囲の景色とか、そういうのはしっかり見ないと」


 その言葉にタケルは失敗したと思いながらため息を吐く。

 わずかばかりの抵抗と言わんばかりに、フードを取ることはないまま、向き合う。

 なにせ、彼女はどう見てもタケルのことを警戒しているのだから。


「……」

「なにか?」

「あの魔術は……いえ、やっぱりまだ学生よね?」

「ノーコメントで」


 これ以上の情報を与える必要はない、と線をしっかり引く。

 魔術について聞かなかったのは助かるが、年齢や顔などを詮索されて後程特定されても面倒だ。

 だからこそ、タケルは警戒していることをアピールするために、フードを深くかぶり直した。


「このゲートのボスはさっきのサイクロプスでいいんですよね?」

「ええ……貴方が倒してくれたから、数時間もしたらゲートも閉じると思うわ」

「ならさっさと出ましょう。仲間の人たちが心配してますよ」


 それだけ言うと、タケルは背を向けて歩き出す。

 時間に余裕があるとはいえ、このゲート内にはサイクロプス以外の魔物も存在しているのだ。

 なにより、時間が経つほどゲートの外で待っている賀東たちの不安は増していくだろう。


「あ、ちょっと!」


 さくさく歩いて行くタケルを追うように、知佳も小走りでその背を追った。




 タケルが先導する形で、来た道を真っすぐ戻っている。

 サイクロプスが森を破壊して進んでいたため、道に迷うことはなさそうだ。

 その間、知佳はなにかを言いたげにタケルを見るが、答える気はないという雰囲気に呑まれて何も言えなくなる。


 ――この人はいったい何者なの……?


 絶対に死ぬと思ったのに、命が助かったこと。

 自分たちのパーティーで歯の立たなかったサイクロプスを、多々一人で簡単に倒してしまったこと。

 こんな近所を散歩に行くような恰好でゲート内に来ていること。

 魔物の溢れる命がけのこの場所において、あまりにも異常な光景が続いて頭がおかしくなりそうだった。



 ――さあ、行っくよー!


 タケルたちがいる場所から遙か遠く――少女が楽しそうに手を上げると、彼女の背後には巨大な黒い魔法陣が浮かび上がった。



―――――――――――――――――――――――

【あとがき】

この週の漫画版はカラーイラストあり! 

雑誌で言うところの巻頭カラーみたいなものですね。

めちゃくちゃ可愛いエーデルワイスですので漫画の方もぜひご覧下さいー!

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