第7話 どきどきティータイム

 タケルが聖魔術『セイクリッド・サークル』を放った瞬間、屋上の扉が開く。


 ――やばっ!


 突然現れた背後からの気配に、タケルは焦る。

 しかしもう魔術は止められず、激しい光とともにレイスを含めたアンデッドを滅ぼされた。


「……」

「……」


 そうして訪れる静寂。

 屋上にはタケルと少女、そして青いゲートだけがゆらゆらと残されている状態だ。


「見つけた……あなたが――」


 背後の少女が声をかけようとする気配を感じ、無言でタケルは立ち上がる。

 そしてゲートを潰し――。


 ――フィジカルブースト。


 小さくそう呟いて、タケルは逃げ出した。 

 落としたスマホには気づかないまま……。



「っ――」


 普通なら目にも止まらない速度。

 だがサクラの目はタケルの姿を捉えていた。


 屋上から飛び出し、校門とは反対方向にある廃工場の屋上を走るタケルの姿。


「待ちなさい!」


 ライトニングブーストは通常のフィジカルブーストよりも大きく身体能力を跳ね上げる魔術。

 力はすごいが制御が難しく、タクシーの運転手がF1マシンを乗りこなせないように、普通の魔術師では扱いきれない代物だ。

 しかし、使いこなしたときの力は圧倒的でもある。


 サクラが史上最年少でS級ハンターになれたのも、この力を誰よりも使いこなしていることが大きい。

 だがそれでも――。


「くっ、早い――⁉」


 うぬぼれではなく、サクラはこの国でもトップレベルのハンターだ。

 特に雷魔術を駆使した動きの早さは、国内随一といってもいいはず。


「あれがただのフィジカルブースト? ありえない……」


 だからこそ、サクラは正面を走る男子生徒との距離がどんどん引き離されていくことに、驚きを隠せなかった。



 サクラが驚いているころ、タケルもまた驚いていた。


「この早さについて来れるのか……」


 家の屋上に飛び移りながら高速で移動していても、背後にいる存在のプレッシャーはしっかりと感じていた。

 振り向けば相手に自分の顔がバレてしまうため、相手が誰なのかわからない。

 ただテレビなどでハンターを見た感じでは、自分の動きについて来れるとは思っていなかったのだ。


 タケルは自分の身体をチラッと見る。


 ――魔術が使えるからって、身体は普通の高校生だもんな。


 異世界でずっと鍛えてきた『大和猛』のときと比べて、『草薙尊』の身体は鍛えられていないため軟弱だ。

 フィジカルブーストは己の身体能力を底上げする魔術のため、元となる身体の能力値が高ければ高いほど効果がある。

 魔力は魂に起因するからか、魔力のごり押しで誤魔化せているが、タケルの身体能力は全盛期に比べてはるかに劣る状態だった。


「いくら魔術が使えるからって、油断したら痛い目にあうかも……目立つつもりはないけど、もうちょっと鍛えるか」


 鍛えるくらいなら、いつか身体を返す時が来ても問題ないだろう。

 それより今は、追いかけてくる相手を振り切る方が重要だ。


「よし」


 タケルの足に小さな風が渦巻き、一瞬足に力を入れた瞬間――。


「エリアルブースト」


 足に風を纏う。

 そしてその風が爆発し、まるでロケットブースターのような速度で、一気に背後の少女を引き離した。




「は? なんですかあれ……?」


 あまりの勢いに呆気に取られたサクラは、自分の速度をもってしても、もう追い付くことは不可能だと足を止めて、家の屋上からそれを見送る。


「……」


 そうして、なにかを考えるような仕草をしたあと、学校の方へと戻っていった。




「ふう、ようやく撒けた」


 屋根を飛び回って移動するなど目立ちすぎると思い、人のいないところで降りる。

 逃げることを優先して移動していたため、学校からかなり離れてしまった。


「しかし、あんなに追いかけられるとは思わなかったな……」


 少なくとも、タケルは本気で逃げていた。

 使っていたのがフィジカルブーストだけとはいえ、基礎魔術も極めれば十分強い武器となる。

 異世界で救世主メシアとして魔王軍と戦ってきたタケルが使えば、他の誰も彼の身体能力に敵わないほどに。


「ネットやテレビとかで見た感じだと、ハンターってせいぜい一般的な騎士団や冒険者レベルって思ってたけど……結構強い人もいるのか」


 そんなことを考えていると、見慣れた家に辿り着く。


「ただいま帰りました」

「あ、お帰りなさいタケル。お友達が来てるわよ」

「え?」


 ――友達?


 それと聞いて、思い浮かべるのは沢村だった。

 もしかして、学校があんなことになったから心配してきてくれたのだろうか。

 とはいえ、家のことを知っていたのかとか、この状況でなんで? と思っていると母が答えてくれる。


「貴方が落としたスマホを届けてくれたの」

「え? あ……本当だ」


 ポケットに手を入れると、たしかにスマホがなかった。

 どうやら先の騒ぎのときに落としたらしい


「気付かなかった……お礼言わないと」


 そうしてリビングの扉を開く。


「だけどタケルったら隅に置けないわねぇ。いつの間に『こんなに可愛くて凄い子』と友達になったのかしら?」

「……」


 あまりに予想外過ぎる相手の登場に、タケルの顔が真顔になる。


「お帰りなさい。待っていましたよ、草薙尊くん?」


 聞き覚えのない、可愛らしい声。

 どこか見覚えのある、だが直接会ったことのない美少女。

 彼女はタケルのスマホを手に持ち、ちょっと怖い笑みを浮かべていた。


「……高嶺サクラ、さん? S級ハンターの?」

「ええ。さきほどはどうも」


 ――ヤバい……この人にはあの時も力を見られていたのに……。


 初めてのゲートブレイクのとき、彼女に見られたのをタケルは気付いていた。

 その後、最年少S級ハンターとして何度も雑誌に載っていたため、あの時の女の子だと、顔は覚えていたのだ。


 そしてさきほど追いかけてきた相手が誰だったのか、ようやく合点がいく。


 ――簡単に振り切れなかったわけだ。


 タケルはハンターがずいぶんとレベルが高いなと思っていたが、それがトップクラスの相手なら納得である。

 背後では尊の母がにやにやと嬉しそうに笑っているが、サクラと自分の関係は決してそんな甘い関係ではない。

 

 ――不味い。


 さっきはどうも、という言葉の通り、彼女が家までやってきたのは、おそらく屋上の件だろう。

 もしここで話を始めてしまったら、背後でそわそわしている母にすべてが伝わってしまう。


 ――自分の息子が突然バケモノみたいな力を持ったなんて、知るべきじゃないよな……。


 優しい両親に、悲しい思いをさせたくないと思う。

 だからタケルは表面上を取り繕いながらも、サクラに笑顔を見せた。


「わざわざスマホ、拾ってくれてありがとうございます」

「いえ。あなたには聞きたいことがあってきたので、丁度良かったです」


 ――来たか……。


 タケルは内心で焦っていることを表に出さないようにしながら、平静を装う。


「聞きたいこと? 俺みたいな一般人が答えられることなんてないと思いますけど」

「へぇ……一般人ですか」

「はい」


 若干暗い笑みを浮かべたサクラ。

 笑顔のタケル。

 二人の間で火花が散る。


「そうですね。それでは、先日、街で暴れていたブラッディオーガの件とか」

「……」

「昨日の廃工場の件とか」

「……」

「さっきの屋上の件とか」

「……」

「色々と聞きたいことがあるんですが……」


 ――なんか思っていたより色々とバレてる⁉


 ダラダラと内心で汗を流すタケル。

 ニッコリと笑いながら優位に立つサクラ。


「もちろん、答えてくれますよね?」

「タケル? なんの話――」

「ああそうだ! せっかくだからお礼がしたいんですけど、部屋で少し話しませんか⁉」


 これ以上は本当に不味い、と判断したタケルが声を上げる。


「わかりました」

「あら、あらあらあら?」


 母がとても嬉しそうだ。

 だが本当に、全然甘酸っぱいことは起きないのである。



 タケルの部屋に入ると、サクラは視線を部屋に向ける。

 どこまでも普通の部屋。ただハンター雑誌には付箋まで付けられていて、一瞬目が鋭くなった。


 ――ハンターをチェックしてる?


 もしタケルがサクラの心を読み取れたら、こう思うだろう。

 それはただの勘違いである、と。


「……どうぞ」 

「いえ、このままで結構です」


 タケルが椅子を勧めるが、サクラは警戒した様子で立ったまま動く気はなかった。

 それがわかったタケルは、仕方がないので自分が椅子に座る。


 ――もう逃がすつもりはない、ってことか……。


 扉の前に立ったサクラ。

 クールな視線が真っすぐタケルを射抜き、どうやらもう先ほどのように笑うつもりはもうないらしい。

 緊張感が漂う中、サクラが口を開く。


「それで、貴方はいったい何者ですか?」

「何者って、そんなこと聞かれても……」


 単刀直入に切り込んでくるサクラに対し、タケルは言いよどむ。

 先ほどの会話からして、彼女はタケルが今までやってきたことの大部分を掴んでいるらしい。


 ——下手な嘘は通じなさそうだ。

 

「答えによっては、この場で拘束します」


 サクラは手のひらから雷をスパークさせ、威圧的してくる。


「……」


 ――とはいえ、まさか異世界で救世主をしていました、なんて言えるはずないし……。


 しかし力の一部は見られてしまっているので、完全に黙り込むのは悪手だろう。


 そんなタケルを見たサクラは、嫌な予想が頭に過った。


 ――あれだけの力を隠すなんて……やはり、闇ギルドのメンバー?


 ハンター協会に属さず、魔術を使って犯罪を犯す集団。

 中にはS級ハンター並の力を持つ者も存在し、協会も危険視している存在たちだ。


 先ほどの逃亡劇、そしてブラッディオーガを倒したり、魔力の残滓だけで楼蘭学園の生徒を恐れさせた少年。

 そんな彼がハンター協会に属さず、力を隠しているなど疑うには十分すぎる状況だった。

 思わず身体に力が入りかけたところで、タケルが口を開く。


「わからないんです」

「わからない?」

「俺、記憶喪失なので」

「……」


 これは学校にも説明しているし、少し調べればわかることだ。


「だから、自分の名前も両親のことも覚えてなくて……」

「っ――⁉」


 そう言った瞬間、サクラは驚き目を見開く。

 家族を何よりも大切にしている彼女にとって、その言葉は大きな衝撃を与えたのだ。


 ――いや、それはおかしい。


 しかしすぐ、サクラはタケルの言葉の矛盾点に気付く。


「記憶喪失の貴方が魔術を使えるのは、おかしいですよね?」


 魔術は、誰でも使える学問。

 生まれ持った魔力の多さやセンスなど、才能に寄る部分が大きいとはいえ、教えれば子どもだって使えるものだ。


 逆に言えば——知らなければ使えない。


「頭の中に、使い方が浮かぶんです」

「そんなこと……」


 あり得るのか? とサクラは考える。

 

 三十年前、人類に魔術を授けた魔術師たちはもういない。

 最初からいなかったかのように、いつの間にか忽然と消えてしまったのだ。

 だからこそ、魔術は学問であると同時に、まだ解明されきっていない未知の技術でもあった。


 つまり、なにが起きても不思議ではないのだ。


「……たしかに死にかけて魔力が強くなった、もしくは特殊な能力に目覚めた、という事例は過去にもあります。ですが貴方のように、使い方が頭に浮かぶなどというのは、聞いたことがありません」


 サクラはじっと、タケルを見つめる。


「仮に貴方の言うように、魔術の使い方が勝手に頭に浮かんだとして、どうして魔物と戦えるのですか?」

「……」


 サクラは先ほどの学校での生徒たちを思い出す。

 冷静になれば倒せる弱い魔物でも、戦い慣れていない一般人なら、あんな風に恐れ、冷静でいられなくなるものだ。

 だがタケルは、それが当たり前のように戦っていた。


「戦い方を知っているのと、戦えるのはまったく別物です」


 サクラが掌の雷の威力を高め、タケルに恐怖を与えるためプレッシャーをかける。


「もう一度聞きます。貴方はどうして魔物と戦えるのですか?」

「えっと……なんとなく?」


 サクラのそれが威嚇だとわかっているタケルにとって、そのプレッシャーは恐れるものではない。

 ただ良い言い訳が思い浮かばず、ついそう言ってしまうと、サクラは毒気を抜かれたように大きくため息を吐いて雷を消した。


「……はぁ。その答えで私が納得すると思っているのですか?」

「そう言われても……今使うべき魔術が頭の中に浮かび上がって、身体が勝手に動くんですよ」


 これはタケルにとって、嘘ではなかった。

 これまで戦い続けてきた彼にとって、思考するよりも反射的に身体が最適な動きをするのだ。


 ――記憶喪失の代わりに特殊な能力を得た? でもそれなら……。


「力を隠している理由は?」

「わけもわからないまま、いきなりこんな力を手に入れたんですよ? そんな怖いもの、使いたいなんて思いわけないじゃないですか」

「それだけの力があれば、ハンターとしてトップレベルの活躍が出来ます」

「ハンターになる気はありませんよ。両親が心配するので」

「地位も名声も、すべてが思いのままだとしても?」


 その言葉を聞いた瞬間、タケルは一瞬異世界での自分を思い出す。

 地位も名声もあり、人々の希望として戦い、そして――処刑されたことを。


「そんなもの、必要ない」


 だからこそ、タケルははっきりと、この日一番力強い言葉で言い切る。

 強い力はそれに見合った重責を担うことを、これまでの人生で十分すぎるほど知っていたタケルにとって、地位も名声も必要のないものなのだ。


「俺はただ、静かに暮らしたいだけなんです」

「……」


 そんなタケルの言葉を、サクラは意外に思う。

 これだけの力を持ったハンターなら、普通は力を使いたいと思うもの。

 だがタケルの真剣な瞳からは、本当にただ穏やかな暮らしをしたいという想いだけが伝わってきたのだ。


 ――この言葉に嘘はない、か……。


「わかりました」

「え?」

「貴方が力を無闇に振るわないというなら、私からハンター協会に話す理由はありません。先ほどの件も、すべて私が解決したことにしておきます」

「あ、ありがとうございます!」


 あれだけしっかり屋上でやらかしたことを見られたのだから、当然もう報告されているものだと思っていた。

 サクラが家までやってきたのも、ハンター協会へ連行する気なのか、くらいに考えていたくらいだ。

 だからこそ、タケルは心の底からホッとし、力が抜けた。


「自分の手柄を取られたのにありがとうございますって……本当に変わった人ですね」


 普通、ハンターは自らの力や活躍を誇示したがるが、真逆の反応。

それが何故か嬉しく思い、サクラは優しく微笑む。


「貴方の持つ力は大きすぎますが……それでも静かに暮らしたいというその意思を、私は尊重したい」

「……」


 まさかそんなことを言って貰えるとは思わず、タケルは呆気に取られる。

 力があるなら使え、力ある者の義務だろう。

 そんな風に言われてもおかしくないというのに、彼女は自分になにも求めず、ただ後押ししてくれる。

 それが少し、嬉しかった。


「だからもし、なにか困ったことがあれば連絡してください」


サクラが自らのスマホを取り出し、近づいて来る。


「あの……?」


 連絡先を交換しようと思っていたサクラは、反応のないタケルを前に困惑した。


 そんな彼女を見て、ようやくタケルも連絡先交換かと思い慌てて動きだす。

 タケルもスマホを取り出すが、まだ使い方に慣れておらず、ここからいったいなにをすればいいのか実はわかっていなかった。

 とりあえず色々と触ってみるが……。


「赤外線の場所、どこだこれ?」

「赤外線?」


 その言葉で、先ほどとは違う、珍妙な沈黙が部屋を包まれる。


「……えっと。連絡先、交換するんですよね?」

「ええ、普通にこうやってQRコードを開いて……」


 そうして微妙な空気のまま、連絡先を交換する二人であった。




 タケルの部屋から出て、玄関に降りたサクラはタケルに振り向く。


「今日は突然追いかけるようなことをしてしまい、申し訳ございませんでした」

「いや、俺の方こそ逃げてすみません」


 タケルの家から出たサクラは、玄関先でふと昼の蛇川のことを思い出す。

 あの男が狙っているのであれば、タケルがいつまでも穏やかに過ごせるとは思えなかった。


「私は、人々が『普通』の生活ができるようにするために、ハンターになりました」


 不意に、真剣な口調で話しだすサクラに、タケルは何だと思う。


「……草薙くん、貴方の大きな力は、いつまでも隠せるものではないと思います」

「……」

「ですが、貴方が突如手に入れたその力に振り回されることなく、静かな暮らしを望むのであれば……」


——貴方の平穏は、私が守ります。


 まるで何か覚悟を決めたような、もしくは改めて覚悟を決め直したような、そんな表情。


「どうして俺のこと、そんなに信じてくれるんですか? 俺が力を使って暴れるかもしれないのに……」


 タケルはかつて異世界で、『強い力が怖い』という、ただそれだけで恐れられ、そして死んだ。

 だからこそ、誰よりも理解出来ない力が恐怖心を呼び起こすことを知っていた。

 だが——。


「貴方が今まで行ってきたことは、常に誰かを守ろうとしていたことですから」


 サクラが笑いながらそう言ったことで、タケルが過去にやってきたことを認められた気がして、少しだけ嬉しく思うのであった。




 タケルの家から出たサクラは、歩きながら先ほどのことを思い出して笑ってしまう。


「それにしても、ふふ……赤外線で連絡先を交換したいなんて、初めて聞きました」


 スマホに残った、草薙尊という文字を見る。


 凄まじい力を持ちながら、それを振るうことをよしとしない男子生徒。

 それはこれまで多くのハンターを見てきたサクラにとって、とても珍しいと思う存在だった。


「そういえば……あとでスマホのパスワードを0000にするのは止めた方がいいって教えてあげないといけませんね」


 スマホには指紋認証や顔認証の他に、数字のパスワードでも開くことが出来る。

 サクラがタケルのスマホの持ち主を特定して家まで来られたのも、適当に打ったパスワードで開けてしまったからだ。

 

 普通ならそんなパスワードにしないが、それも記憶喪失だったからなのだろう。

 スマホに苦戦する姿はどこかお爺ちゃんのように、サクラは再び笑いながら帰り道を歩くのであった。



 その頃タケルは、ニュースで風見高校がゲートブレイクで大変なことになっていたこと知った母に、色々と事情説明をしているところだった。

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