第1話 招かれざる救世主 後編

 どうやら自分は大和猛ではなく、草薙尊<クサナギタケル>らしい、と知ったのは病室に戻って騒ぎになった後の話。


「尊! 目が覚めたのね!」

「いやいやいや⁉ 君全身骨折をしていたよね⁉ なんでそんなに動けるの⁉」

 おそらく母親と医者の言葉を聞きながら、さてどうするかと悩んだ結果、とりあえず――。


「えっと……誰ですか?」


 記憶喪失の振りをすることにした。




「じゃあ俺は屋上で友人と遊んでてたら、フェンスが壊れて落ちたんですね」

「ええ……」


 この身体の母親(と思われる)女性からそう聞いたタケルは、そんな漫画みたいなこと本当にあるのだろうかと少し疑問に思ってしまう。

 とはいえ、この辺りはなにも知らない自分が答えられるわけもないし、警察なんかも調べた結果だろう。


 わからないことは置いておいて、改めて精密検査をした結果……。


「信じられん……」

 

 医者がそう呟くほど、外傷なし、病気なし、記憶以外は異常なしの健康体、との診断だった。


「あれだけの傷が完治なんて……こんなの熟練のヒーラーでも不可能だぞ? まるで伝説のエリクサーでも飲んだような回復じゃないか」

「あ、そういえば誰か知らない人に変な液体を飲まされた気が……」

「なんだってぇ⁉」


 医者がゲームのようなことを言うので、ついそのノリに合わせて答えてしまったら凄い勢いで喰いつかれた。


「ど、どんな人だった⁉」

「あ、いや……」


 一先ず覚えていないと答えつつ、そもそも全身骨折していた人間がこうしてピンピンしている時点で異常事態なので、余計なことを言うのは止めておこうと心に決めた。 


 いくら事態を把握していないからといって、大けがをしていたのに自力で治したのは間違いだったと反省する。


 そうして医者からの質問ラッシュを「知らない、覚えてない、記憶にございません」で逃げてしばらく、父親らしき人物がやってきた。


「尊! 本当に目が覚めたんだな!」

「あ……」

「お前! 屋上で遊んでて落ちるなんて……この……」


 父らしき人は涙を浮かべながらタケルに抱き着き、その姿に耐えられなくなったのか、母親も抱き着いて来る。

 嗚咽を零しながら謝る二人に対して、タケルはただ困惑することしか出来なかった。


「すみません、俺は二人のことをなんにも覚えていなくて……」

「……いや、生きていてくれただけで……目を覚ましてくれただけでそれでいいんだ」

「そうよ! ああ、本当に、本当に良かった……」


 そんな二人の行動に、少なくともこの草薙尊は両親に愛されて育ったのだとタケルは知る。


 ――そうか、なら……。


 いったいこの身になにが起きているのかは分からない。

 だがこんなに愛されている少年なのだ。

 そして自分は、一度死んだ亡霊のようなもの。

 ならいつか、この身体の主を元に戻す手段が見つかったら、必ず返そうと心に決めた。


 なぜなら、たった一人にでも想われることがどれほど凄いことか、タケルはよく知ってたから。


 ――なあ、エーデルワイス。


 世界中が敵になったあの世界で、ただ一人味方でいてくれた少女を想い、そっと笑うのであった。




 ――記憶喪失って便利だ。


 なんて思うのは、困ったときは知らない振りが出来たから。


 結局あのあとさらに様々な検査を受けた結果、怪我もなく健康だったということで退院をすることになった。


 検査した機械はタケルが知っているものよりもずっと近未来的で、まるでSF世界に迷い込んだのかと思ったが、日本語が通じるのだからここは日本なのだろう。


 とはいえ、父の車に乗って周囲を見渡すと、やはり自分の知っている街よりも妙に綺麗というか、本当に自分の知っている日本と同じなのだろうかと疑問に思う。


 少なくとも、タケルが日本にいた2000年のときとはずいぶんと様子が違っていて――。


『それではニュースの時間です』

「……」


 一先ず余計なことは言わないようにして車のテレビをボーと見ていると、西暦2040年となっていることにまず驚き、次に流れてくる映像にはもっと驚きを隠せなかった。


『今日もハンターたちのおかげで街は平和ですね。彼らの活動のおかげで我々は穏やかな生活を送れるのです』


 映像に映っているのは、現代社会の中で暴れまわる魔物の姿と、そんな魔物と戦う人間たち。


「……は?」

「どうした尊?」

「いや、あの、これって……?」


 異世界でも人間の脅威として存在した生物――ゴブリンやオークといった見覚えのあるそれらが、『日本人たち』によって駆逐されている。


 まるで戦隊モノの番組か、漫画をそのまま現実に落とし込んだような光景は、異世界で戦い続けたタケルからしても違和感しかなかった。


「やっぱりハンターたちの活躍は凄いなぁ。父さんももっと若かったらハンターになって活躍できたのに。ははは」

「まったく貴方ったら、どんくさいのにハンターになんてなったらすぐ死んじゃうじゃない」

「ははは……」


 父と母の言葉にタケルは渇いた笑みを浮かべながらテレビを見る。

 とりあえず、ハンターというのは当たり前に認知されている存在なのだろう。

 魔術も使えるようだし、そもそも自分が知っている日本人では不可能な動きをしている。


 ――記憶喪失にしておいてよかった。


 迂闊なことを言っても許される立場に設定した自分を誉めていると突如、車の進行方向にある空間が歪む。

 それと同時に現れる巨大な『なにかの影』。


「お、おおおぉぉ⁉」

「きゃぁぁぁぁ⁉」

「っ――⁉」


 父が慌ててハンドルを切ったせいで凄まじい遠心力がかかり、車体が大きく揺れる。

 このままでは自分はともかく二人が不味い! そう思ったタケルは、慌てて手を前にかざす。


「くっ――『プロテクトガード』!」


 ガードレールにぶつかりそうになる直前、タケルは二人に防御魔術をかけた。

 敵の攻撃を防ぐものではなく、個人の防御力を高めるそれは薄い青色の膜のように両親を包む。

 それと同時に起きるすさまじい衝撃。


「う……」

「いた……くない?」

「二人とも無事ですか?」

「あ、ああ……」

「ええ……」

「ならよかった……?」


 ギリギリのところで間に合ったと安堵していると、車のフロントガラスから映る光景にタケルは思わず目を細める。

 ゆらゆらと青白く歪む空間は、まるで昔『異世界』で見た召喚術のようにも見え――。


「ま、まずい! 二人とも、ゲートブレイクだ!」

「そんな! に、逃げないと!」


 理解が出来ないうちに慌てる両親。

 タケルが困惑していると、そこから巨大な身体をした鬼のような魔物。


「……ここって本当に現代日本だよな? なんでオーガが?」

「早く! 尊も早くこっちに来なさい!」


 車から出た二人は、必死にこちらに声をかけてくる。

 たしかにオーガは強力な魔物だ。

 王国でも訓練をうけた騎士たちが複数人で相手をするような魔物で、鍛練などしたことのないただの人間など、素手で引きちぎってしまうだろう。 


 とはいえ、魔王すら倒したタケルからすればしょせんはオーガ。

 いくらこの身が元の身体ではないとはいえ、病室で魔術が使えることはわかっているのでこの程度なら――。


「いや……」


 周囲を見る。魔物が現れて逃げるのが『普通の人』の反応だ。


 かつて異世界でタケル・ヤマトは、その力の大きさ恐れられた。

 強すぎる力は災いにしかならないし、なによりこの身体は『草薙尊』のものであって救世主であった『大和猛』のものではない。


 もしここで下手に目立って魔術など見せてしまえば、いつかこの身体を返したときに迷惑をかけてしまうだろう。


 ――なにより、もう誰かに恐れられるのは嫌だった。


「……逃げるか」


 振り向くと、両親が必死にこちらに叫んでいる姿。

 同時に、彼らの背後から凄まじい勢いで迫って来るオーガの気配。


『グオォォォォォ』

「くそっ、間に合え――!」


 ――フレア・バースト!


 反射的に手に魔力を込めて飛ばしたのと、どこからかともなく火球が飛んできたのはほぼ同時だった。


「あっ、不味い」


 なにが不味いかというと、その順番。

 まず最初にタケルの魔力によってオーガの顔面が吹き飛ぶ。

 そのあとに飛んできた火球が『オーガの首があったところを通り抜けて』地面に落ちた。

 

 つまり、後から飛んできた火球はオーガに当たっていないのである。


「……」


 視線を感じる。

 火球の飛んできた方向を見ると、遠く離れたビルの上からジーとこちらを見ている少女の姿があった。

 黄金の髪をポニーテールにした制服姿の少女は、どこか疑いの眼差しだ。


 ――これは後々面倒なことになるかもしれない。


 そんなことを思いつつ、少女の存在に気付かなかった振りをしながら、こちらを心配して近寄って来る『草薙尊』の両親と一緒にその場から逃げ出すのであった。

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