第1話 招かれざる救世主 前編

【過去の記憶】


 ――俺はこの世界が嫌いだった。


 学校では不良たちに目を付けられて虐められ、反撃もせずにいる情けない自分が嫌いだった。

 それを見てみぬふりをする周囲の人間も嫌いだった。


 自分を取り巻く環境が悪いのだと心で悪態を吐きながら、ただ流れていく無情の日々。

 ネット小説のように生まれ変わることが出来ればどれだけいいか、そんなことを考えながら夜は眠り、朝になると暗く辛い日常へと戻っていく。


 高校二年生にしてそんなことを思っていた大和猛ヤマトタケルにとって、現実世界というのは辛い場所だったのだ。


『ようこそいらっしゃいました。救世主メシア様』


 だから異世界に召喚されて、救世主メシアなんて呼ばれたとき、これで人生が変わるのだと思った。

 

 すべてのしがらみがリセットされ、新しい人生が始まる。

 夢にまで見たやり直しのチャンス。

 これをモノに出来なければ、自分は一生苦しいままだと言い聞かせて、弱い心を無理やり焚きつけた。


 ――救世主の名を背負い、誰に恥じることのない正道を歩んで、そして新しい自分となるきっかけをくれたこの世界の人々を助け、尊敬されよう。


 その思いを胸に、異世界を生きることを誓った。


 苦しい戦いもあった。辛い思いもした。それでも止まることなく、進み続けた。

 すべては日本という場所で認められなかった自分を、せめてこの異世界では認めて欲しかったから。


 そして魔王を倒した瞬間、思ったのだ。

 これで認められる。変われる。自分の未来は明るいものだ、と。


「そうなると、思ったんだけどなぁ……」

「これより神の代行者を名乗る大罪人、タケル・ヤマトの処刑を始める!」


 人と魔族が戦争を始めてから数百年。

 魔王と呼ばれる魔族側との一騎打ちに勝利し、戦争に終止符をうったタケルは今、救った異世界の人々によって処刑される寸前だった。


 理由は、魔王すら殺せる『強すぎる力を持った異世界の人間』だから。


 救世主だといって持ち上げても、言葉の通じるだけの魔獣のように思っていたのだろう。

 必要がなくなれば、こうして処分しなければ自分たちが危ないと思っていたらしい。


 これまでずっと好意的に接してくれていた人々が今、敵意を向けてくるのはとても苦しく、悲しいものだった。


「『元』救世主殿、なにか言い残すことはありますかな?」


 魔力封じの腕輪に重い鉄球をつけた、まさに奴隷のような姿のタケルを、宰相が冷たい視線でこちらを見下ろしてくる。


 異世界に来たとき、宰相は右も左もわからない自分のことを助けてくれた恩人だった。そう思っていた。

 だがその内心は、残念ながら自分の思うものとは大きく異なっていたらしい。


「早く殺せ!」

「怖い!」


 これまで親切にしてくれた異世界の人たちが、憎い敵を見るように睨み、叫び、怯えていた。

 いっそ魔王を殺したときに『世界から憎まれる呪い』でもかけられたのではないか、そんな淡い願望すら思うほどの掌返し。


 だがそんな妄想も、人々の殺せという言葉を聞くたびに心が閉ざされ、なにも考えられなくなる。


「宰相……俺はもう、疲れた……」

「そうか……では、さらばだ」


 振り下ろされた剣は、とてもゆっくりしたものだ。

 それこそ、周囲の人々の表情が止まって見えるほど……。


「ぁ……」


 遠く、群衆の奥で泣き叫びながらこちらに手を伸ばしている銀髪の少女が見えた。


『待って! タケルを殺さないで! お願いだから! 私にとって、あの人こそが――!』


 ――私は人々を救済したいのです。


 そう神に願い、聖女として人々の救済をしてきた少女。

 魔王を倒す旅で出会い、苦楽を共にし、そして笑い合った彼女が今――。


 ――エーデルワイスが、俺のために泣いてくれている。


 不意に、つい先ほどまで諦観しかなかった心が動いた。


 たった一人かもしれない。

 それでも自分のために泣いてくれている人がいるなら、自分はこの世界に来た意味があった、生まれてきた意味があったのだと、そう思ったのだ。


「ああ……そっか……」

 

 退屈な日常が嫌いだった。

 虐められても反撃できない弱い自分が嫌いだった。

 虐めを見てみぬふりをする周囲の人々が嫌いだった。


 だけど――。


「最期に笑って死ねるなら、きっと俺の人生は幸せだった――」

 

 そうして異世界に召喚され、魔王を倒した救世主は、その世界の人間たちによって命の灯を消されてしまう――。


 ――はずだった。




【現代】


「……知らない天井、だよな?」


 どこか見覚えのある光景。


 目の前にある白い天井を見て、あの世って思ったより普通なのだと、思った。


 タケルは自分が先ほど死んだことは覚えている。

 異世界で救世主として戦ったことも、人々に裏切られて処刑されたことも、そして――。


「エーデルワイスが泣いてたな」


 普段から笑顔で、弱さを見せようとしないエーデルワイスが、あれほど取り乱すのを、タケルは初めて見た。

 彼女には申し訳ないことをしたと思いながら、同時に少しだけ嬉しい気持ちが湧いてくる。


 ――たった一人、エーデルワイスだけは自分のことを信じてくれた。

 

「さて……現実逃避はこの辺にしておいて……なんで俺は生きているんだ?」


 周囲を見渡せば、ここが病院の一室だということは分かる。

 それも、異世界の病室ではなく、現代日本のそれだ。


「俺はこの世界に戻ってきたのか? それとも……あの三年間の戦いはすべて夢?」

 

 そんなはずはない、と思う。

 人々の優しさも、憎しみも、大地に沁みる血の匂いも、魔物や人を斬った感触も、すべてが本物だったはずだ。

 そして同時に、あの世界で感じた死もまた本物。


「まあ、わからないことを考えても仕方ないか」


 異世界に召喚されて、夢物語のような出来事を体験してきた身としては、このくらいのファンタジーでは早々驚かなくなってしまった。


 とりあえず状況把握をしようと思って立ち上がろうとし、そして身体に力が入らないことに気付く。

 無意識で無理やり動かしたせいが、変な音が聞こえてきて痛みもあり――。

 

「いっ――⁉ ああ、いろんなところが骨折してるのか」


 これまでの戦闘からくる感覚的なものだが、恐らく間違いないだろう。

 そう思ったタケルは、自身の身体に手を当て――。


「『リカバリーオール』」


 かつて聖女エーデルワイスに教えて貰った聖魔術。

 淡い緑色の光が温かく、身体を癒していくのがわかった。


「これでよし、っと」


 全身骨折など最初からなかったように、タケルはベッドから降りる。

 救世主として召喚されたタケルにとって、怪我と死は常に隣り合わせであったため、聖魔術は特に力を入れて覚えた魔術だ。


 かつて魔族のとの戦いでは、戦闘中であってもこの程度すぐに治せなければ命がいくらあっても足りない環境だった、という背景もある。


「そういえば、魔術が使えるってことはやっぱり夢じゃないってことだよな」


 あの世界での戦いは実際にあったことだとわかり、少しだけホッとする。

 最期は最悪だったとはいえ、それでも自分の歩んできた道がそもそも『なかったもの』だったなんて思いたくもなかった。


 依然としてわからないことだらけだが、状況を把握するには誰かに聞かなければならないだろう。

 とはいえ今は周囲に誰もいないし、とりあえず少し顔でも洗うかとトイレに向かう。


「なんだ? 完治させたはずなんだが……」


 なんとなく、いつもより身体が重い。

 死んだ影響だろうかと思いながら、トイレに入り鏡を見た瞬間、思わず呆気に取られてしまう。


「……は?」


 鏡に映っていたのは、まったく見知らぬ少年の姿だったのだ。

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