第49話「二匹の怪物」

   「──来栖崎ッ!!」


──幻想的だと、皮肉にも僕は心を奪われてしまった。

腐乱した死体が織りなす丘に、凛然と佇む少女。

幾千もゾンビを切り伏せた刀は血を滴らせ、右目だけ黒ずむ瞳は涙を滴らせる。

夕日が重なった輪郭は、燦然と飽和し煌めきを放った。

どれだけゾンビが群がろうと、少女は頑なにも、

一歩もその場を──動かなかったのだろう。


ひさぎ 「なにしに……来た」


麓から見上げる僕を、来栖崎は狂おしいほど冷めた瞳で見下した。

説得の余地もないほど、拒絶に満ちた瞳で。


   「……お前を……お前を迎えに来たに決まってるだろ」

ひさぎ 「頼んでない」

  「……」

ひさぎ 「頼んでないから。早く、帰れ」

   「帰るわけにはいかない……僕と一緒に、ポートラルに戻るぞ」

ひさぎ 「ねぇ、聞こえないの? ほんっとうにウザいから。私の視界から消えて」

   「……だめだ、そういうわけには」

ひさぎ 「消えて」

  「消えない、僕は消えたりは」

ひさぎ 「邪魔だっつってんだよッ!!」


半分以上ゾンビ化しかけている少女の叫びは、僕らの肌を粟立たせた。

けど何故だろう。少女の怒号が、僕には慟哭に聞こえてならない。


ひさぎ 「最後くらい……ここでゆっくり……一人にさせて」

   「…………おい、聞け来栖崎」

ひさぎ 「……聞かない」

  「最後じゃない……まだ最後じゃないだろ。自暴自棄になって勝手に決め付けるなって、諦めるにはまだ早過」

ひさぎ 「アンタに分かるわけ無いでしょぉ゛ッ?!」

   「……来栖崎」

ひさぎ 「アンタに何が分かるのッ!? 私がッ! 私を化け物みたいな目でッ! 見といて……気色悪い目で私を見て……!」

  「おい、落ち着け来栖崎。言葉がまとまってないぞ」

ひさぎ 「覚えてるのよッ……全部全部全部全部! 皆を殺しそうになったことも゛ッ! 皆に……ぁう……皆に殺されそうになったこともッ! ぅぅ……おち、お、ぉちつけるわけ……ないでしょ……」

   「殺そうとなんてしてない」

ひさぎ 「私のこと……化け物みたいに脅えといて……嘘つくなよ偽善者がぁッ!!」

   「いいから一旦落ち着け来栖崎。僕の話をちゃんと」

ひさぎ 「落ち着きたいわよッ!? 私だってぇ! 落ち着きたいのに……中にナニカ……いるの……私の……ナカニ……心が……おかしくて……殺したくて……頭がおかしくなりそうで……。……したぃ」

  「……来栖崎? おい?」

ひさぎ 「したぃ……殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したいッ!! ああああ殺してやりたいのよ全部ッ?! もう私は普通の人間じゃないのぉ゛! こんなんで真司に会って……ぁぁ……会いだくないもんッ!」

   「来栖崎! 大丈夫だから! 自暴自棄になるなッ! 僕の血を飲んで、生をつなげば何れ治療する機会はやってくる! いやちがう、絶対治療する術を僕が見つけ出してやる! だから」

ひさぎ 「アンタなんかの血に縋ってッ!? 私を軽蔑する誰かのッ血を啜ってまでッ!? 生きたくなんかないわよぉッ!」


と、来栖崎は自らの眉間に刀を突きつけた。

力を込めれば、脳に突き刺さる位置に。


ひさぎ 「……幸せだったよ真司ぃ……だから、ここで……この場所で……ぁぁ……私も人として……人として死ぬから……逝くから……だから……私を嫌ぃに……ならなぃで」


来栖崎は、斜めに笑った。

こんな絶望に喰われた幸せが、

こんな悲しみに満ちた笑顔が、

あっていいのだろうか。

いいわけない。許しちゃいけない。

けど、でも。

来栖崎。お前の決意はそこまでに……固かったんだな。


   「……はぁ」


なら僕に、できることはもう何もない。

正真正銘、なくなった。


   「分かったよ、来栖崎。──なら、僕も死ぬよ」


来栖崎は固まった。

大粒の涙で歪んだ顔を、呆けさせながら。


ひさぎ 「脅しに……なってると思うわけ……? 勝手に……勝手に死ねばいいじゃないのッ!!」

   「ああ、勝手に死なせてもらうよ」

ひさぎ 「……」


来栖崎は、答えない


   「元より、記憶のない僕が──誰かに守ってもらわなきゃ生き残れないほど弱々しい僕が、この先も図々しく、誰かの影に隠れながら生きる気なんて毛頭なかったよ。ましてやだぜ? 僕の所為でかわいい少女が一人、自殺に追いやられてしまったとあっては生きる許可すらない。生きていい理由が、あるはずもない」


来栖崎は、答えない。


   「だから、寧ろ逆なんだよ来栖崎」


来栖崎は、答えない。


   「お前が死んだら、僕も死ぬんじゃない。お前がもう少し生きてみようと思ってくれるのなら、僕にももう少しだけ生きる理由ができる」


来栖崎は、答えられない。


   「僕はお前を助けに来たんじゃない──僕がお前に、助けて貰いに来たんだ。僕が生きるには、お前が必要なんだ──」


来栖崎は、来栖崎は


  「だから来栖崎。こんな醜くて、卑怯で非力で無能で脆弱で情けなくて女々しい僕を──救ってはくれないか?」


来栖崎は、うずくまった。


ひさぎ 「ぅぅ……なによ……ぃみわかんなぃし……ホントッ」

来栖崎は刀を落とし、両手で顔を鷲掴みにした。

大粒の涙でぐちゃぐちゃになった顔を、隠すように


ひさぎ  「ぁぅ……ぅぁぁぁぁ」


泣き出す来栖崎の姿に、僕は──いや僕らは少しだけ胸をなでおろした。

刀を納めてくれて──泣きたいほど嬉しいのは、僕の方だというのにな。


ひさぎ 「……ぅぅ……ぅぅぅうぅぅぅっぁぁぁああああああ゛」

   「ん?」

ひさぎ 「あああああああ゛」

   「おい、どうした来栖崎ッ?」

礼音 「まずいぞサンくんッ! 感染度が最終フェイズを超えてしまうッ!!」

  「ッ! 糞ったれがッ!」


僕は死体の丘を駆け上がり、蹲り悶えるひさぎを目指す。

ひさぎ 「ぅがぁぅッ!!」

   「痛ぅッ!」

アド 「サンちゃんッ!」

  「だ、大丈夫! また腕を噛まれただけだッ!」

ひさぎ 「いぃわ゛よ……」

  「来栖崎……?」

ひさぎ 「あんだの血゛、のんでやるわよ゛ッ!!」

  「……ありがとう。僕に理由をくれて」


来栖崎は僕の血を啜り、みるみる感染度を下げていく。

腕にかぶりつき、血を飲む少女

改めて見ても、異常な光景。狂おしい光景だ。

しかし何故だろう、僕にはこの光景が──

酷く懐かしく、愛おしく思えるのだ。


ひさぎ 「……ふぅ……ふぅ……はぅ」

   「良かった……症状は完全に引いたみたいだな……意識は明瞭か? 苦しくはないか?」

ひさぎ 「……ねぇ……約束して」


僕の腕から歯を抜き、涎の糸を引かせながら少女は言う。


ひさぎ 「治療して……真司を見つけ出す……だからそれまで、それまでだけ。死ぬほど嫌だけど……アンタの血を飲んでやるわ」

  「……」

ひさぎ 「けどその後はもう知らない。勝手に一人で死んで……絶対に死んで。死ななきゃ私が殺す」

  「ああ……約束するよ。それまで、もう少しだけ──僕も生きてみる」


こうして僕らは、

無事来栖崎の手を取り、共にデパートへ大急ぎ帰還することとなった。

時刻は太陽が海に沈む十分前だった。



【同日 19時25分 大型デパート9F 中央会議室】


  「僕が──ずっと来栖崎の側にいる。 それでいいだろ?」

百喰 「……」

百喰 「ずっと側にいる……とは」

  「365日24時間、一秒たりとも側を離れずずっとだ。僕がいつでも血を飲んでもらえるよう、側にいる。これで問題ないだろう?」

百喰 「……そんな、馬鹿げた理由で通るはずないで」

礼音 「おい百喰くん──此度ばかりはもうよさないか」

  「礼音さん……」

礼音 「君は確かに審議する側だった。だがサンくんは筋を通し、案を携え、ここに立っている。逆転だ。次に審議されるは──君の覚悟だぞ? 自らの命に変えても──来栖崎くんが危険因子だと追求する、覚悟だ」

百喰 「覚悟などと……問題がおきたらいったいどうす」

礼音 「問題など起きない」

百喰 「……っ」

礼音 「私も全霊をかけ起こさせないよう務める。だからもしも、もしも億分が一にでも問題が起きようものなら、その時私は腹を切って、せめて君たちの食料にでもなって償うと誓おう」


論理など無い。それはただの力技、論理を感傷の話にすり替えた詭弁だった。

そんなこと礼音さん自身が、一番よく理解しているだろう。

だが、その詭弁には芯があった。

磨り潰しても磨り潰しきれない、無視できない芯。

礼音さんが今日までに築いてきた──『信頼』という芯が。


百喰 「…………分かりました。三静寂さんがそこまで仰るのなら、もう良いです。精々、ポートラルへ迷惑のなきように」

礼音 「甚深のご配慮、感謝する百喰くん」


百喰は早々に会議室を立ち去り、捜索隊だけが残される。


   「……ありがとうございます、礼音さん」

礼音 「なに、男子の覚悟を尊重する。三静寂の女として当然の振る舞いをしたまでだ」

アド 「アヤネル……あたし惚れそうだったよ今」

礼音 「ふふ、姫片と違い、女性を食べる趣味はないぞ」

綴   「わたくしはサン様のご覚悟に惚れなおしましたわ」

  「みんな……ありがとうございます……なぁ、来栖崎」


僕は振り返り、部屋の隅でぐっすりと眠る少女を眺めた。


  「本当に……ありがとな」


こうして僕と少女の、

歪に救われて、緻密に巣食われた──共同生活は始まった。


ひさぎ 「すやぁ……」


未だ、幸せの色に包まれた、水無月の夜のことだった。

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