のっぺらぼう

ポン吉

のっぺらぼう

 違和感。



「あっちゃん、どうしたの?」

「早く行かないと遅刻しちゃうよー」

「あっ、ゴメン! ぼーっとしてて」



 私がそう言って駆け寄ると、いつも優しいみっちゃんは「大丈夫?」と聞いて、サバサバしてるすーちゃんは「そんなんだから転ぶんだよ」と呆れた顔をした。



「……」

「なあに? ジッと顔なんか見つめて」

「今日の算数、あっちゃんが当たる番でしょ。予習してきたの?」

「ああっ! 忘れてた!」

「やっぱり」



 クスクスと笑う2人の顔は、うん、やっぱりいつも通りだ。

 私とみっちゃんとすーちゃんは、いわゆる幼なじみ。仲良くなったきっかけは、3人のランドセルが全く同じ物だったことだ。

 空色の、さわやかなランドセル。それが3つ並んでいたから、運命かも! と思ったのだ。1年生から6年生まで、ずっと同じ並びだ。

 実際、私たちはすごく仲が良い。お互いのことならなーんでも知っていて、ちょうど昨日の道徳でやった、「絆」というものを感じる。



(それなのに、なんで最近、違和感があるんだろう……)



 おっとりしていて優しいみっちゃん。

 しっかり者で面倒見が良いすーちゃん。

 顔も、声も、体も、性格も変わらない。昨日見たアニメの話だってするし、2年前のクリスマスの話だってする。

 何もおかしいことは無いのだ。なのに違和感が拭えない。



「もう! 置いてくよー!」

「わっ、待ってー!」



 うん、やっぱりいつも通り。すーちゃんが怒って先に行くのも、みっちゃんが困った顔でオロオロするのも、私が焦って追いかけるのも、いつも通りなのだ。

 私は違和感を「気のせいだ」と思い、それっきり思い出すことはなかった。


 きっかけになったのは、弟だった。



「あれ、リクがにんじん食べてる!」



 2つ離れた弟のリクは、極度のにんじん嫌いだ。もはや嫌いとかそういうレベルではなく、憎んでいると言ってもいい。

 そんなリクが、ポトフに入ったにんじんをパクパク食べている。



「おれだって、大人になったんだよ」

「ウソ! 吐くくらい嫌いだったのに! おかあさーん、リクがにんじん食べてるー!」

「あら、偉いじゃない!」



 次はおかあさん。おかあさんはビビリで、ちょっとの物音で飛び跳ねる人だ。私が苦手な算数のテストで100点をとった時なんて、しばらく腰を抜かして動けなかった。

 そんなおかあさんが、こんなにアッサリした態度を取るだなんて、信じられなかった。



「おかあさん、リクがにんじん食べれるようになったって知ってたの?」

「まさか! 今初めて知ったわ。お母さんビックリしちゃって」



 やっぱりおかしい。

 次はおとうさん。おとうさんは気が弱くて、いつも人の相談に乗ったり、仕事を押し付けられたりして帰るのが遅い。その日会えないで寝るのなんて珍しくも無い。なのに、今日は7時に帰ってきた。



「おとうさん、今日は早いね!」

「ああ、リクがにんじんを食べられるようになったんだって? すごいじゃないか」

「おとうさん、お仕事押し付けられたりしてないの」

「それは……」



 おとうさんは苦笑した後、なんと「断ってきたよ」と言った。



「ええ!?」

「家族との時間が大切だからな。今まで寂しい思いをさせてごめんな。やりたいこととか行きたい場所があれば、お父さん付き合うぞ」



 それからはハッキリと違和感を感じられるようになった。

 いつもいじわるなタクヤくんが急に「今までゴメン!」と言ってきたり。

 遅刻魔のけーちゃんがベルが鳴る5分前には教室にいたり。

 近所の引きこもりのお兄ちゃんがシュウショクカツドーを始めたり。

 変だ。



「「あっちゃん、どうしたの?」」

「ひっ」



 気づいてしまってから、周りの人たちが急に怖く思えた。

 いつも通りのみっちゃんの心配そうな顔が、すーちゃんの呆れた顔が、ぐにゃりとゆがんで得体の知れない『ナニカ』になる。顔の部分だけポッカリ黒くて、目も、鼻も、口も、何も見えない。真っ黒だ。



「うわあああああ!!!!!」



 私は思わず逃げ出した。後ろからみっちゃんの驚く声が、すーちゃんの慌てた声が聞こえる。でも、2人の声じゃない。気持ち悪い。

 私はランドセルも投げ捨てて、夢中で走った。



「うわっ!?」



 夢中で走っていたから、人にぶつかった。



「ご、ごめんなさ」

「おンや、気がついてしまいましたか。ネ。」



 ───ひゅっと、喉が鳴る。

 ぶつかったのは人じゃ無かった。人型の『ナニカ』だった。

 『ナニカ』はすらりと長い手足を持っていて、ビジネスマンのようなスーツを着ていた。でも、顔は真っ黒。あるはずのものがそこにない。こんな恐怖は知らなかった。



「いや、いやあああ!!!」

「アラアラ、落ち着いてください。ネ。」

「こないで、こないでえ!」



 私は地面にはいつくばったまま、みっともなく手足をバタつかせて、なんとかあの『ナニカ』から逃げようとした。腰などとっくに砕けてる。ピーナッツを食べたときのアキちゃんみたいに、全身に異常な震えが走った。

 殺される。

 私の頭にはそれしかなかった。



「───学校に行きたくないと、思ったことがあるでしょう。ネ。」



 は?

 声も出なかったはずなのに、自然に口からこぼれる。『ナニカ』は落ち着き払った様子で、そのまま続けた。



「宿題をしたくない、仕事をしたくない、朝起きるのが面倒くさい、人と話すのが面倒くさい、ご飯を食べるのが面倒くさい、排泄が面倒くさい───ニンゲンなら誰しも一度、そう思ったことがあるでしょう。ネ。」

「は……?」

「でも、ワタシたちは違う。【顔】が欲しいのです。ネ。」

「か、顔?」



 私は震える声でそう返した。バカな発想だが、少しでも長く生きていたかったのだ。『ナニカ』の気が変わってくれれば───そんなことばかり考えていた。



「ワタシたちには顔が無いんです。ネ。だからニンゲンの面倒くさいことをする代わりに、顔を貰うんです。ネ。幸い、ニンゲンは怠惰な者が多いですから。ネ。ギブアンドテイクでしょう。ネ。」



 私はポカンと口を開けた。

 だって、人間の面倒くさいと思うことなんてそれこそ───全部だ。



「アナタも、そう思いますよね。ネ。」



 ずいっと『ナニカ』の顔が近づいてくる。至近距離で見るそれは、底なしの沼のようで恐ろしかった。

 この時点で私は気が触れてしまって、うわあと叫んだ。



「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だヤダヤダヤダヤダヤダ!!!! みんなを戻してよおっ! 返して、返してっ」

「アラアラ、同意はいただけませんでしたか。ネ。」

「そんなのヤダァ! いやあ───ーッ!!!!」

「しょうがないです。同意をいただけなかったのですから。ネ。」


 

 『ナニカ』の手のひらがぬっと迫ってくる。私の頭より大きいそれからは逃げられない。下半身が濡れる感覚がした。

 ネ。ネ。ネ。ネ。ネ。ネ。ネ。───



 それから、私の日常はすっかり元に戻った。『ナニカ』との出会いは悪い夢のようで、おとうさんも、おかあさんも、弟のリクも、みっちゃんも、しーちゃんも、あの子もあの子もあの子も。



「「あっちゃん、おはよう!」」



 ほら、いつも通りだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

のっぺらぼう ポン吉 @Ponkichy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ