第10話 元カレ

 私はふと目が覚めた。どこかの家の居間にいるようだった。手首には手錠をかけられて、足はロープで縛られて、猿ぐつわを嚙まされていた。ソファーに寝かされている。そこは別荘というよりも普通の家のようだった。それに、何だか見覚えがあった。前に来たことがある気がする。しかも、婚活サイトで知り合った男の人の家だ。私ははっとした。待田仁之。確か両親が亡くなって、一戸建てに一人で暮らしているんだった。兄がいたけどアル中で、突然亡くなってしまったそうだ。


 逃げ出したいが、その家は八王子の田舎で、隣の家とはかなり離れている。


 待田は私の初体験の相手だった。相手も童貞で、結婚したいと言われたが、私は断った。理由は年収や学歴などで嘘をついていたからだ。私が国立大学出身だと言うと、自分は医学部に合格したけど、親に負担を掛けたくなくて、入学しなかったと言っていた。私はそれを信じたけど、彼は大卒ですらないようだった。住んでいた家は割と大きな一戸建てで庭もあるけど、すごく古くて、床もきしんでいるが直す余裕もなさそうだった。


「親が残してくれた家だから手を入れたくなくて」

 彼はそう言っていたが、どう見てもお金がなさそうだった。話してみると、趣味がゲームで課金でお金を使ってしまうらしい。勤務先はNTTと言っていたが、勤務先は八王子市内だった。NTT東日本などじゃなくて、NTTの光回線などのセールスを請け負っている会社に勤めているか、電話工事の業者に勤めているんだろう。色々話していて、社会人としての常識がないところも気になった。多分、高卒などで勤めているんだろう。それでも、ちゃんと働いているならいいのだが、すでにやめてしまったようだった。


 待田は私をニヤニヤした顔をして見下ろしていた。

「これから楽しく暮らそうな。ネットの掲示板に、婚活サイトで会ったむかつく女を晒す板があって、俺がのことを書いたら、同じマンションに住んでるって人がいたんだよ。じゃあ、連れてってやるよって約束して、もう半年かかっちまった。金もかかったけど、こうやって今ここにいるからいいや。もう一生離さないからな」

 私は崖から突き落とされたようだった。


 こんな人と付き合うくらいなら、水島さんの方がましだった。私は男に暴力を振るわれないように大人しくしていた。


 私は思い出していた。幼い頃、父は私と母に暴力を振るっていた。とにかく家が怖かった。父が帰ると、押入れの中に隠れていた。飲んで帰るから、いつも遅いのだが、父は玄関に入ってくるなり、迎えに出た母を殴っていた。私はできるだけ顔を合わせないようにしていたが、怯えている態度が気に食わなかったらしく、会うたびに暴力を振るわれていた。痣ができるほどだったが、昔だから誰にも助けを求められなかった。


 そんな父が中学の時亡くなった。死因は凍死だった。飲んで外で寝てしまって、朝通りかかった人が遺体を発見した。それだけでも恥ずかしかったが、父親が亡くなって生活は一気に困窮した。兄は県有数の進学校に通っていたが、部活をやめて、バイトをするようになった。母はもともと働いていたが、週何回か、夜スナックでも働き始めた。私は学校でいじめに遭っていて、何度も自殺未遂を繰り返していた。父の暴力シーンが頭の中で何度も蘇った。

 

 私はそれから無になった。この男に従えば、暴力を振るわれることはない。


 

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